油井 雅志
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

退職金制度により支給された退職手当等や企業年金制度の給付金として支給された退職一時金等(以下「退職手当・一時金等」という。)の所得分類は、それが一時に受給することから退職所得に分類され、その所得金額は、収入金額から勤続年数に応じた退職所得控除額を控除した残額の二分の一に相当する金額とし、他の所得と分離して課税するなどの税制優遇措置が講じられている。これは、退職所得が、長年にわたる勤労の対価の後払いという性格と、退職後の老後の糧であるという性格を有し、その担税力は他の所得に比較して低いと考えられていることによるものである。
 しかし、近年の雇用形態の多様化や少子・高齢化の進展等に伴う労働環境の変化により、退職手当・一時金等の支給形態が多様化しており、政府税制調査会においても、勤続期間が20年を超えると一年あたりの退職所得控除額が増加する仕組みが、転職の増加など働き方の多様化を想定していないとの指摘や、企業年金の給付金が一時金払いか年金払いかによって税制上の取扱いが異なり、給付のあり方に中立でないといった指摘がなされている。
 また、公的年金の受給開始年齢の繰上げが実施されるなか、企業においては、高齢者の従業員に係る雇用確保義務が課されることになり、定年年齢の引上げや継続雇用制度の導入等(以下「定年延長等」という。)が実施されている。それにより、退職手当等を定年延長前の旧定年で支給する、いわゆる打切支給の退職金を支給するケースが増えていることも想定される。
 企業における退職金制度と企業年金制度(以下「退職金制度等」という。)の導入状況は、それぞれを単独で導入する企業のほか、併用している企業も増えており、定年延長等に伴いそれぞれの制度設計を見直す必要性が生じている。並びに、企業年金の老齢給付金は、受給開始年齢の引上げが実施されており、従業員が退職手当・一時金等を同年度に受給せず、別々の年度で受給するなど、様々なケースが考えられる。
 ここで、退職金制度等を併用する企業における退職手当・一時金等の課税上の取扱いについて、定年延長等によってそれぞれの支給時期が異なる場合など、退職所得として認められない、若しくは、退職所得控除額が重複適用されるといった不合理なケースが発生しないか疑問が生じる。
 本研究は、このような問題意識の下、近年の雇用形態・労働環境の変化に伴い、退職所得課税に生じている課題や、定年延長等により退職手当・一時金等の打切支給が行われた場合等に生じ得る問題点を研究し、退職所得課税における法令、通達の改正の必要性について提言を行うことを目的とするものである。

2 研究の概要

(1)退職金に係る法整備

政府税制調査会における退職所得課税に対する課題がなぜ発生しているのかを研究する上で、退職金制度等がどのように制度設計されていったのか、また、退職所得課税がどのように法整備されていったのかを概観する。

イ 退職金制度の普及及び企業年金制度への変遷

退職金制度は、戦後の高度成長期にかけて、厚生年金保険制度が未成熟だったこともあり、企業で次第に普及していったところ、企業の資金不足や退職金支給額の増加に伴い、資金負担を平準化する観点から、掛金として定期的に外部に積み立てる企業年金制度への変遷が進んでいったとされる。一方、企業年金制度も、掛金の積立不足により十分な運用資金が確保できないといった事例が発生し、受給者保護の観点等から「確定給付企業年金」や「確定拠出年金」の新しい企業年金制度が創設された。
 近年の雇用形態・労働環境の変化により、退職金制度においては、退職金相当額を給与に上乗せして支給する前払退職金制度を導入する企業が出てきたり、企業年金制度においては、働き方や勤務先に左右されない自助努力を支援するため、離転職時における制度間の年金資産の持ち運び(ポータビリティ)の拡充などが順次図られている。

ロ 退職所得課税における税制優遇措置

退職所得に対する課税は、営利の事業に属さない一時の所得として非課税とされていたところ、昭和13年3月に行われた所得税法の一部改正により課税されることとなった。その後、退職所得に係る税制優遇措置である「二分の一控除」、「退職所得控除」及び「分離課税」が順次税制改正によって法整備されている。
 その中の「退職所得控除」に関して、昭和49年の税制改正により実施された、勤続年数20年を境に退職所得控除額が増加する仕組みの妥当性について、当時政府が作成した退職金支給状況の資料から検討したところ、永年勤務者をより優遇する意味で勤続年数20年を境に1年当たりの控除額を増加した結果、勤続年数20年以降の控除額を平均退職金支給額以上にすることは実現されたが、勤続年数20年未満の早期退職者の控除額が平均退職金支給額を大幅に上回っており、逆に早期退職者を優遇する結果となっている。

ハ 企業年金制度に係る給付金の取扱い

退職時における企業年金制度の給付金は、老齢給付金が主なものである。老齢給付金の支給方法は年金として支給することとされているが、規約で定めた場合には、一時金として支給することができる。ただし、支給方法が一時金又は年金かによって課税上の取扱いが異なり、一時金で受給した場合は退職所得として課税され、年金で受給した場合は公的年金等に係る雑所得として課税されている。
 ここで、企業年金制度の税制に関して、拠出建ての「確定拠出年金」が給付建ての「確定給付企業年金」と、税制上同じ取扱いとなっている背景を検討している。これは、「確定拠出年金」は、拠出が任意で本人の意思により運用選択が可能であることなどから貯蓄性の高い金融商品であり、そのような特定の金融商品について特別な優遇措置を講ずることは、貯蓄の適正化に反するのではないかといった議論がなされてきたところ、貯蓄との違いを考慮する制度設計がなされ、確定給付企業年金等と同様の「年金」として位置づけ、税制優遇措置の適用を受けられることにしたものとされている。ただし、より貯蓄性が高いと考えられる確定拠出年金の個人型に対しても、制度上一時金での支給が認められ、その一時金は退職所得として税制優遇措置が適用されることから、より他の企業年金制度との課税上の中立性に配慮した制度設計が必要であると考えられる。

(2)税制調査会における指摘

上記(1)の検討を踏まえ、近年の雇用形態の多様化等によって、退職所得課税に生じる課題の背景・原因から問題点を明らかにし、どのような改善策が考えられるかを研究する。

イ 指摘された課題

政府税制調査会において指摘されている退職所得課税に対する主な課題として、以下の3つが挙げられる。

(イ) 支給形態の多様化

退職手当等の支給形態は、前払退職金制度や退職年金の支給など様々な方法がとられており、退職所得課税との関係で、前者においては、在職中の給与所得との課税の中立性の問題点が指摘され、後者においては、年金課税との中立性の問題点が指摘されている。

(ロ) 雇用の流動化

今までのような正社員を中心とした終身雇用を前提とする労働環境は、若年層を中心に就業意識の変化が見られ、早期の中途退職による転職なども増えている。退職所得課税における退職所得控除額は、終身雇用を前提とした定年退職者の平均的な退職手当等を課税対象から除くという方針で制度設計されており、中途退職による早期の退職者に対してそのまま適用するのは、老後の糧として優遇する本来の目的を果たしていないばかりか、控除額が高い水準になっているという問題がある。ほかにも、勤続年数20年超で増額される控除額は、勤続年数20年以下で転職した者には適用されず、終身雇用により勤続年数20年超の控除額を適用した者と比較すると、転職前後の勤務先の勤続期間を通算すれば終身雇用者と同じ勤続年数であっても、控除額の総額が異なるという不公平を生じさせるという問題点も指摘される。

(ハ) 課税の中立性

企業年金の老齢給付金の支給方法が一時金払いか年金払いかによって税制上の取扱いが異なるという問題であり、現状では7割強の退職者が一時金として受給しているという調査結果もある。これは、一時金で受給した方が課税上有利であることが原因ではないかといわれているが、その選択は税制以外の要因によるところが大きいとの指摘もあり、それぞれの所得の性格に着目した課税方式が採られることが適当であるともいわれている。

ロ 課題への対応

(イ) 個人退職年金勘定の導入

これまでの政府税制調査会において、従業員それぞれに私的年金等を管理する個人退職年金勘定を設けるといった議論がなされている。退職所得課税に関しては、受給した退職手当等からもこの勘定に非課税で拠出できるようにし、この勘定からの受給時に課税を統一することにより、課税の中立性・公平性を図るものとされている。佐藤英明教授が提案されている「JIRA構想」を例にすれば、退職時に受給した退職手当・一時金等をこの勘定に全額拠出すれば、退職手当・一時金等に対する課税は受給するまで繰り延べられるとともに、複数回転職したとしても、拠出限度額がすべての勤務先の勤続期間を通算したものになれば、転職による不利益は発生しないことになる。また、退職手当・一時金等から拠出する場合に、拠出限度額を超える部分などのその勘定に拠出しない退職手当等は退職時に課税されることとし、税制優遇措置である「二分の一控除」、「分離課税」の適用は存続させることで、現在の退職所得課税並みの税負担となるように考えられている。並びに、この勘定からの受給は、年金による受取が原則とされ、公的年金等に係る雑所得として課税することで、課税の中立性の課題も解決される。
 以上のとおり、個人退職年金勘定の導入によって、現在の退職所得課税で指摘されている課題は、おおむね解決の方向性が示されると考えられるが、今後の政府税制調査会における議論によって、拠出・運用・給付を通じた適正かつ公平な税負担を確保できる包括的な見直しの実現が期待される。

(ロ) 制度面・税制面からの小考察

雇用の流動化に伴う退職所得控除の見直しを制度面から検討すると、企業年金制度で採用されているポータビリティの積極的な活用が考えられる。この仕組みは、就労形態が多様化する中、加入者の選択肢を拡大し、老後の所得確保に向けた自助努力を向上させるために導入されているものであるが、退職所得課税に関しても雇用の流動化の課題に対して効果があると考えられる。
 ただし、このポータビリティの仕組みは、企業年金等の一部で活用されているものであるとともに、我が国の企業年金制度が、年金資産を企業単位で管理している制度と個人単位で管理している制度が混在しているため、制度間のポータビリティが限定的となっているという問題があり、それを踏まえると、企業が支給する退職手当等も含めたポータビリティの実現は一層困難であると考えられる。
 次に、支給方法の選択による課税の中立性を税制面から検討すると、企業年金からの支給を広義の給与として考え、年金による支給でも一時金による支給でも、給与の後払いという性格から退職手当等とみなす考え方はできないであろうか。例えば、退職手当等を分割して支給を受ける場合などと同様に、年金支給総額を退職所得に係る収入金額として計算し、算出された税額を各回の支払額にあん分して徴収する方法などにより、退職所得として課税することも可能と考えられる。ただし、退職所得は源泉徴収による分離課税のため、支払の都度、源泉徴収の関係書類の提出義務が生じることになり、多大な事務負担が発生することから、実現するためには、退職所得の源泉徴収事務手続の見直しが必要になるであろう。

(3)定年延長等に係る法整備

近年における少子・高齢化の進展等に伴う高齢者雇用に関する就業機会の確保の求めによって、企業に対して、法律等でどのような雇用継続のための措置が義務付けられているのか、また、その実施状況などを研究する。

イ 高年齢者雇用安定法

平成16年の高年齢者雇用安定法の改正により、65歳までの「雇用確保措置」として、@定年年齢の65歳引上げ、A希望者全員対象の65歳までの継続雇用制度の導入、B定年の定めの廃止、のいずれかの措置を講ずることが事業主に義務付けられることになった。また、令和3年の改正により、65歳から70歳までの「就業確保措置」の努力義務として、70歳までの定年引上げなど、5つの制度から選択して導入する措置が設けられることになった。

ロ 公的年金・企業年金法

令和2年5月に「年金制度の機能強化のための国民年金法等の一部を改正する法律」が成立し、6月に公布されている。これにより、確定給付企業年金は、受給開始時期の設定可能な範囲が70歳まで拡大されることになり、労使合意に基づく規約によって60歳から70歳の間で設定できることとなった。また、確定拠出年金は、@企業型が、厚生年金被保険者(70歳未満)であれば加入者となることができ、受給開始時期についても、上限年齢が75歳まで引き上げること(60歳から75歳の間で各人において選択可能)とされ、A個人型が、国民年金被保険者であれば加入可能となり実質65歳まで拡大され、受給開始時期も企業型と同様に上限年齢が75歳まで引き上げられた。

ハ 雇用確保措置等の実施状況

65歳までの「雇用確保措置」の実施状況は、継続雇用制度の導入が7割強であり、定年の引上げと定年制の廃止の順になっている。定年の引上げを実施している企業は65歳までの引上げがほとんどである。また、70歳までの「就業確保措置」は3割弱が既に実施済みである。

ニ 退職金制度等の採用状況

中央労働委員会が実施した調査によると、対象企業のうち8割強が退職金制度と企業年金制度を併用しているという結果であり、企業年金制度への移行が進んでいると考えられる(厚生労働省の調査でも、大企業は5割弱が併用しているという結果であった。)。採用している企業年金の種類は、確定給付企業年金と確定拠出年金(企業型)のどちらか、若しくは両方を採用している企業が大半である。

(4)退職所得に係る基本的な取扱い

定年延長等に伴い退職所得課税に生じ得る問題を研究する上で、退職所得の判断基準を最高裁における判決等から具体化するとともに、法令、通達等で規定される退職所得課税の公平性に係る取扱いや打切支給の退職金に係る取扱いを概観する。

イ 退職所得の判断基準

退職所得の基準は、所得税法30条1項に規定されている「退職手当、一時恩給その他の退職により一時に受ける給与及びこれらの性質を有する給与」とされ、包括的な定義がなされている。
 それに対して、最高裁昭和58年9月9日判決の5年定年制の裁判において、退職所得の基準の明確化が図られることになり、所得税法30条1項の規定の文理及び退職所得の優遇税制についての立法趣旨に照らして決すべきであるとし、退職所得というためには、@勤務関係の終了という事実により給付されるものであること、A従来の継続的な勤務に対する報償ないしその間の労務の対価の一部の後払いの性質を有すること、B一時金として支払われること、という要件が必要であるとされ、さらに、「これらの性質を有する給与」というためには、それが、形式的には上の各要件のすべてを備えていなくても、実質的にみてこれらの要件の要求するところに適合し、課税上、「退職により一時に受ける給与」と同一の取扱いが相当であることを必要と解すべきと判示された。

ロ 打切支給の退職金の取扱い

引き続き勤務する使用人等に対し退職手当等として一時に支払われる給与で、「これらの性質を有する給与」に該当し退職所得として取り扱われる、いわゆる打切支給の退職金について、所得税基本通達30−2で明らかにされている。
 最高裁昭和58年12月6日判決の10年定年制の裁判において、「これらの性質を有する給与」の基準の明確化が図られることになり、当該金員が定年延長又は退職年金制度の採用等の合理的な理由による退職金支給制度の実質的な改変により精算の必要があって支給されるものであるとか、あるいは、当該勤務関係の性質、内容、労働条件等において重大な変動があって、形式的には継続している勤務関係が実質的には単なる従前の勤務関係の延長とはみられないなどの特別の事実関係があることを要するものと解すべきとされた。
 打切支給の退職金のうち、所得税基本通達30−2(5)に規定される「労働規約等の改正による定年延長に伴う打切支給」は、その支払をすることに相当の理由があると認められるものとされており、10年定年制の判示に基づき判断が必要と解されるところ、通達等で明確な基準が示されていないこともあり、国税局等の文書回答手続を利用することにより適用の可否を照会する事例も近年増えており、文書回答事例として国税庁HPに公表されている。
 今後、企業において定年延長等が実施されるなかで、現在の所得税基本通達30−2に規定される打切支給の退職金に係る基準の見直しが求められることも考えられる。

ハ 控除額の重複適用の回避

二か所以上の勤務先から退職手当等を受給する場合や、勤務先からの退職手当等と企業年金の退職一時金等を共に受給する場合など、退職所得控除額の重複適用を回避するために、勤続年数の特殊な場合の計算方法や退職所得控除額の調整計算を行う規定が法令に定められている。
 また、一の勤務先を退職したことにより、二以上の退職手当等の支払を受ける権利を有することとなり、それが異なる年に支払を受けた場合は、退職所得の収入すべき時期を一致させ、同年度の退職所得として計算することで、控除額の重複適用を回避している。
 これらの規定は、控除額の重複適用を回避する手段として、適正な退職所得課税を実現するために重要な役割を果たしている。
 ただし、企業における定年延長等の実施や企業年金制度の受給開始時期等の法改正等を踏まえると、控除額の調整計算を行う期間である「前年以前4年内」が十分であるのかといった事例や、収入すべき時期を一致させることで控除額の重複適用の回避が求められるところ、退職手当・一時金等が旧定年で打切支給された場合に、適用対象外となることがないかといった事例の検討が必要と考えられる。

(5)定年延長等に伴う取扱いの検討

上記(3)及び(4)における検討を踏まえ、定年延長等や企業年金の受給開始時期の引上げなどによって、退職所得課税に関する法令、通達の適用上、問題となるような事例が発生していないかを研究する。

イ 雇用確保措置を踏まえた検討

(イ) 定年の延長

退職手当等の支給を定年延長後の退職時に支給する場合と、旧定年時に打切支給する場合が考えられ、退職時に支給する場合は退職所得と認められ、打切支給する場合は所得税基本通達30−2(5)に該当すれば退職所得として認められる。
 ここで、旧定年時に打切支給の退職手当等を支給したのち、旧定年から定年延長後までを基準期間とした退職手当等を別途支給した場合の取扱いを検討したところ、所得税法施行令77条の適用は、退職所得控除額の重複適用を回避するという観点から判断すべきであり、一の勤務先を退職することにより異なった年分に二以上の退職手当等の支給を受ける権利を有することとなる場合であっても、それぞれの支給額の計算の基礎となった期間に重複がなければ、同一の勤務先における異なる過去の勤務に基づき支払を受けるものと認められるため、所得税法施行令77条は適用されないと解するのが相当であろうと結論付けた。
 また、企業年金制度を採用している企業において、定年延長時に退職一時金等を支給する場合の取扱いについて検討し、確定給付企業年金の老齢給付金を、旧定年である60歳時に一時金で受給した場合は、所得税基本通達31−1(3)に該当すれば、打切支給の退職金と同様に、退職所得とみなされることになる。ただし、所得税基本通達31−1(3)の適用にあたり、支払をすることに所得税基本通達30−2(5)と同等の「相当の理由」が求められると解されることから、実質から判断して柔軟に対応することも必要ではないかと考えられる。

(ロ) 定年制の廃止

退職手当等の支給は、旧定年時ではなく勤務期間終了時に支給する場合が多いものと考えられ、その場合であれば、勤務関係の終了という事実があるため、退職所得として認められる。ただし、旧定年時に退職手当等を支給する場合もあると考えられ、その場合に打切支給の退職金として退職所得に認められるかは、定年延長時の所得税基本通達30−2(5)の適用における文書回答事例から類推解釈すると、定年制の廃止前に入社した従業員等であれば、退職所得として認められる余地はあるが、定年制の廃止後に入社した従業員等は認められないと考えられる。
 また、確定給付企業年金を採用している場合、勤務期間終了前に老齢給付金の受給要件を満たし、支給された一時金が退職所得として認められるかについては、所得税基本通達31−1(3)に該当すれば、退職所得として認められる余地があると考えられる。ただし、例えば、70歳を超えて勤務する従業員等に対して、確定給付企業年金の老齢給付金における受給開始時期の上限である70歳で支給された一時金が退職所得として認められないとすれば、税制が企業年金制度の規定に対応できていないといった問題になり得ることから、退職所得とみなされるように、法令、通達の整備が必要ではないかと考えられる。

ロ 退職金制度等を併用する場合の検討

定年延長に伴い退職手当・一時金等を支給する場合に、打切支給など支給時期の違いによって、退職所得課税に問題が生じないかを、5つの事例を中心に検討した。
 その結果、問題が生じ得ると考えられるケースは、以下の4つである。

(イ) 退職手当を65歳で受給し、退職一時金等を60歳で受給

旧定年の令和4年3月31日に支給された退職一時金等が、退職所得として認められるかが問題となる。まず、確定給付企業年金の退職一時金の場合は、所得税基本通達31−1(3)に該当すれば、退職所得として認められることになる。ただし、所得税基本通達31−1(3)の括弧書きにおいて、退職手当も打切支給されていることが要件となっているため、本例の場合は、退職手当が所得税基本通達30−2(5)に伴う打切支給がされていないことから、当該退職一時金は、退職所得として認めらないことになる。
 一方、退職一時金等が確定拠出年金の場合は、確定拠出年金が所得税基本通達31−1(3)の企業年金の対象に含まれておらず、打切支給の退職金と同様の取扱いではない。しかし、確定拠出年金の老齢給付金の支給要件は、退職の事実は必要なく原則60歳以上であれば受給可能であり、支給された一時金は所得税法施行令72条3項七号で退職所得とみなされるため、本例においても退職所得になる。
 以上のとおり、確定給付企業年金と確定拠出年金で取扱いが分かれており、確定拠出年金が確定給付企業年金等と税制上同じ取扱いとなっている背景等に鑑みると、退職所得にみなされるかを統一すべきであると考えられる。
 他に、支給された退職手当と退職一時金等の退職所得控除額の重複適用の問題がある。本例において、退職一時金等が確定拠出年金の場合は、控除額の重複適用が控除額の調整計算で回避されることになる。退職手当の調整計算の期間は「前年以前4年内」であり、令和9年3月31日に退職手当が支給されたとすれば、令和5年以降に支給された一時金が範囲内になるため、当該一時金は控除額の調整計算の対象外となり、控除額の重複適用を回避することができない。よって、調整計算の期間を「前年以前4年内」から拡大することが必要と考えられる。

(ロ) 確定給付企業年金の退職一時金を65歳で受給し、確定拠出年金の一時金を60歳で受給

この退職一時金について、確定拠出年金の一時金との退職所得控除額の重複適用の問題が考えられるところ、上記ロ(イ)と同様に、確定拠出年金の一時金が所得税法施行令77条の適用対象外となっていることで、退職一時金に所得税法施行令77条が適用できず、重複適用が回避できない。そのため、控除額の調整計算による回避が必要になるため、確定給付企業年金の退職一時金に係る調整計算の期間を「前年以前4年内」から拡大することが必要と考えられる。

(ハ) 退職手当を60歳(打切支給)と65歳の2回受給し、退職一時金等を65歳で受給

退職一時金等が確定給付企業年金の場合に、所得税法施行令77条の適用により旧定年の60歳で支給された退職手当(以下「退職手当@」という。)と同年度の所得として計算するか、定年延長後の65歳で支給された退職手当(以下「退職手当A」という。)と同年度の所得として計算するかが問題となる。
 これは、所得税法施行令77条を文理解釈すれば、最初に支払を受けた退職手当@と同年度の所得として計算することになると思われる。ただし、退職手当@と退職一時金の控除額の重複適用は回避できるが、退職手当Aの控除額との重複適用は回避できず、所得税法施行令77条の適用だけでは不十分という結果になる。
 一方、退職一時金等が確定拠出年金の場合は、退職手当Aと同年度の収入として計算することになり、退職手当Aと一時金の控除額の重複適用が回避できるとともに、退職手当@との控除額の重複適用も控除額の調整計算により回避可能であることから、確定給付企業年金の退職一時金の場合も、控除額の調整計算により重複適用を回避する方法が望ましいと考えられる。

(ニ) 転職前のA社で加入していた確定給付企業年金の年金資産を、転職後のB社の確定給付企業年金に持ち運びを行い、B社の退職時に退職一時金を受給した場合

転職時においてA社の確定給付企業年金の年金資産をB社の確定給付企業年金に持ち運んでいるので、この時点で脱退一時金の支給はなく、A社の退職手当以外に退職所得とみなされる収入はない。
 B社の退職時において、B社の退職手当とA社とB社の加入者期間を計算の基礎とした退職一時金を同年度の収入として計算することになるが、A社の退職手当に係る控除額の重複適用の回避が必要となるところ、現在の控除額の調整期間の範囲である「前年以前4年内」では回避できないばかりか、採用する企業年金が確定拠出年金の場合であっても、「前年以前19年内」から外れるものであれば、同じく重複適用を回避することができないため、何らかの対応を検討しなければならないと考えられる。

3 結論

上記2(5)で指摘した問題点について、以下のとおり改善案を提案することにしたい。
 まず、所得税基本通達31−1(3)の適用における「相当の理由」の柔軟な対応については、対象である確定給付企業年金の老齢給付金が、60歳以上70歳以下の規約で定める年齢に達したときに支給されるものとすれば、支給の繰下げの申出を行わない限り、規約で定められた年齢で支給されることから、加入者の選択の自由度は限られているし、確定給付企業年金の目的が老後の糧であることに鑑みれば、住宅ローンの返済のためといった相当の理由は不要であるとしても、実質的に判断して問題ないのではないかと考えられる。
 また、確定給付企業年金の老齢給付金で、受給開始時期の上限年齢で支払われる一時金が、退職所得として認められない可能性があることについて、法律上の上限年齢で支給する場合であれば、やむを得ないものであるとともに、確定給付企業年金の老齢給付金の性格上、老後の糧であることは明らかであり、実質的に退職所得と認められるものと解釈しても問題ないと考えられることから、制度上の上限年齢で支給された一時金も退職所得とみなすよう改正されることを提案したい。
 並びに、退職金制度等を併用している企業で、定年延長等により退職手当・一時金等の支給時期が異なる場合に、退職所得控除額の重複適用を回避する方法として、退職手当と確定給付企業年金とも控除額の調整計算の期間を、「その年の前年以前10年内」となるように改正することが望ましい。また、所得税法施行令77条の適用による控除額の重複適用の回避は、完全に回避できず不十分である事例が認められたことから、例えば、確定拠出年金の場合と同様に、確定給付企業年金を所得税法施行令77条の対象外とし、控除額の調整計算で回避可能となるように、控除額の調整計算の期間をさらに拡大するといった検討も必要である。
 最後に、確定給付企業年金と確定拠出年金の退職一時金等に係る税制上の取扱いを統一する方法として、確定給付企業年金の老齢給付金として60歳以上で支給された一時金は、一律に退職所得として取扱うこととする法令、通達の改正を提案したい。これは、確定給付企業年金と確定拠出年金の目的が、「国民の高齢期における所得の確保に係る自主的な努力を支援し、もって公的年金の給付と相まって国民の生活の安定と福祉の向上に寄与すること」とされていることに鑑みて、その給付は老後の糧となるもので、一時金として支給されれば退職所得の要件の一つに該当するものであり、一時的には退職手当が退職所得とされる基準との整合性がとれないとしても、その取扱いを確定拠出年金と統一することで、退職所得控除額の重複適用が回避できるのであれば、それを重視すべきであると考えられる。
 なお、結論には至らなかったが、年金資産のポータビリティによって、退職所得控除額の重複適用が回避されない課題については、控除額の調整期間の拡大では限界があることから、どのような方法で回避可能か今後研究されることを期待したい。


目次

項目 ページ
はじめに 100
第1章 退職金に係る法整備 102
第1節 退職金制度等 102
1 退職金制度等の沿革 102
2 企業年金制度等の概要 107
第2節 退職所得課税 111
1 退職所得課税の沿革 112
2 みなし退職所得課税 118
第2章 税制調査会における指摘 125
第1節 指摘された課題 125
1 支給形態の多様化 125
2 雇用の流動化 127
3 課税の中立性 131
第2節 課題への対応 133
1 個人退職年金勘定の導入 134
2 制度面・税制面からの小考察 137
第3章 定年延長等に係る法整備 140
第1節 制度面における各法律の改正 140
1 高年齢者雇用安定法 140
2 公的年金・企業年金法 141
第2節 企業における実施・採用状況 143
1 雇用確保措置等の実施状況 144
2 退職金制度等の採用状況 145
第4章 退職所得に係る基本的な取扱い 150
第1節 退職所得の判断基準 150
1 最高裁判決における明確化 150
2 給与所得と退職所得との違い 151
第2節 打切支給の退職金の取扱い 152
1 最高裁判決における指標 154
2 定年延長に伴う打切支給 155
3 相当の理由の妥当性 156
第3節 控除額の重複適用の回避 158
1 勤続年数の特殊な計算 158
2 退職所得控除額の調整計算 159
3 退職所得の収入すべき時期 160
第5章 定年延長等に伴う取扱いの検討 163
第1節 現状における税制改正 163
1 令和3年度の税制改正の内容 163
2 調整期間に関する小考察 164
第2節 雇用確保措置を踏まえた検討 165
1 継続雇用制度 165
2 定年の延長 166
3 定年制の廃止 174
第3節 退職金制度等を併用する場合の検討 177
1 事例1 178
2 事例2 181
3 事例3 183
4 事例4 184
5 事例5 188
第4節 課題への対応 189
1 雇用確保措置を踏まえた課題 189
2 退職金制度等を併用する場合の課題 192
結びに代えて 196