前田 章秀
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

国際的な二重課税の問題に関する紛争など、租税条約の適用に関して生じる紛争は、国内における争訟だけでなく、租税条約締約国の権限ある当局間の相互協議を通じても解決されるが、相互協議は両締約国の権限ある当局が最大限の努力を払っても解決までに長い時間を要し、場合によっては解決できないときがある。我が国の相互協議の実施状況は、相手国の人材不足、経験不足、固有の執行方針等により合意のハードルが高く円滑に進まないケースが増えていると考えられるところ、新規申出件数の増加とあいまって、直近の繰越件数は、過去最多となっている。その7割以上が移転価格税制に関する事前確認(以下、「APA」という。)事案で占めている。
 APAは、1987年に我が国が世界に先駆けて導入した施策であるが、既に35年を迎え、多くの国で導入され、国内外で同制度が浸透・成熟してきている。昨今のOECD/G20によるBEPSプロジェクトでは、相互協議を一層効果的・効率的に実施するための措置が議論され、行動14の最終報告書に取りまとめられているが、そのベストプラクティスには、「APAが、租税の確実性を大幅に高め、二重課税の可能性を軽減し、更に、移転価格紛争を積極的に防止し得ることを各国が認識した上で、各国は、速やかに二国間のAPAを実施すべきである」と勧告している。
 更に、2020年のOECD FTA「アムステルダム」総会のコミュニケでは、APAの改善、多国間APA及び相互協議の利用拡大等の作業を継続する旨各国は同意している。つまり、APAの実施と相互協議の迅速な処理、利用拡大というテーマは、各国の大きな関心事であり、また課題ともなっている。
 この点、各国におけるAPAの現状は、制度面や運用面において様々である。例えば、小規模納税者に対する簡易なAPA手続を導入している国、APA申請を有料にしている国、当局による事前審査を経て正式にAPA申請が受理される国等、我が国と異なる特徴を持った国が多数存在する。経済のデジタル化やグローバル化の進展により、一つの取引に係るサプライチェーンが二国間で収まることは少なく、その先に第三国まで及ぶことが通常となってきており、多国間APAも増えてくることが予想される。
 このような状況において、我が国のAPAと異なった制度や運用を行う諸外国について整理・分析することは意義深いと考える。本研究では、諸外国の経験から我が国の相互協議実務への有用性を導き出すことに重点を置き、今後、APAの国際的なスタンダードをどのような方向にもっていくべきか考察するものである。

2 研究の概要

(1)租税条約に基づく相互協議とAPA

第1章においては、近年の相互協議を伴うAPAの状況及びその国際機関における議論、具体的には、紛争防止解決手段の分野でBEPSプロジェクトを中心に議論を展開してきたOECD、開発途上国の立場から議論を行ってきた国連並びに当該分野で議論を先導してきたEUについて概観する。
 開発途上国や新興国における移転価格制度の執行強化による積極的な課税、増加する租税条約の締結数とあいまって、相互協議で二重課税の紛争解決を求める件数が増えている。一方、全世界的にAPAを含む相互協議事案の繰越件数が増え続けていることは、協議の早期合意が困難な事案が増えていることを示しているのかもしれない。昨今、OECD等の国際機関では、租税の確実性や透明性の観点から、紛争防止解決手段についての議論が盛んに行われているが、各国は、今まで以上に相互協議担当部署を含む体制の強化、更なる効率的かつ迅速な処理、また、特に時間を要している事案の早期解決策が求められている。
 我が国に関しては、相互協議の特徴として、毎年発生ベースで全体の7割以上をAPA事案で占めていることが挙げられる。また、繰越事案の国別では、米国を筆頭にOECD非加盟国である中国及びインドが続き、それらの国の事案をいかに円滑にかつ効率的に解決していくかが今後の課題の一つに挙げられる。また、インドネシアやベトナムといった開発途上国とも相互協議が発生し、我が国との経済協力関係を踏まえると、今後、相互協議の発生件数は増加するものと考えられる。一方で、これらのOECD非加盟国の中には、相互協議にあたる人材や経験の不足、固有の執行方針等により合意のハードルが高い国が多い。我が国は、従来から国税庁の処理体制の充実を図るためにマンパワーの増強や、相手国との連絡を緊密にすることで、機動的かつ円滑な協議の実施を図っている。また、相互協議実施における手続面での整備といった必要性が高いと認められるアジア諸国に対する技術協力も行っている。これらの取組みにより、直近の我が国における相互協議の平均処理期間は、1件当たり30.3か月、APAに限ると29.2か月であるが、依然として2年を超えている状況であり、合意まで長い期間を要している。移転価格税制の法的安定性を高めるためにも改善の余地は大いにあるのではないだろうか。
 2015年のBEPSプロジェクト最終報告書・行動14では、OECD税務長官会議(FTA)の下にMAPフォーラムを設け、ピアレビューが実施されている。当該報告書のベストプラクティスには、二国間APAを実施すべきであること 、更に、相互協議のガイダンスでは、多国間のMAP及びAPAに関するガイダンスを定めるよう示し、次回のOECDモデル租税条約の改正の一環として多国間MAP及びAPAの問題に対処するためのコメンタリー改正を予定しているとされる。また、ピアレビューの結果を踏まえ、ミニマムスタンダードの拡充を含む審査基準の見直しを行っており、二国間APAの実施等のミニマムスタンダード化が検討されていると言われている。
 BEPSプロジェクトの実施と並行して、「租税の確実性(税の安定性)」の議論が進展している。その中で、租税の確実性を高める効果的なツールや選択肢として、紛争防止の観点から多国間APA等が挙げられ、2019年のFTA総会のコミュニケでは、今後の取組みとして、FTA MAPフォーラムにて、APA手続に関する改善点の特定、多国間APAや相互協議のより広範な活用の可能性を検討していくこととし、翌年の2020年には、APAの改善、多国間APA及び相互協議の利用拡大並びに移転価格に係る紛争の共通の分野における標準化されたベンチマークの利用を通じどのようにより一層の税の安定性を企業に提供できるかについて作業を継続することとしている。
 以上の状況において、昨今の経済のデジタル化の進展に伴う新たな国際的な紛争問題への対応、OECD非加盟国をはじめ、仲裁手続を導入していない国への対応等、リソースが限られていることを踏まえると、国際課税分野の問題については、我が国の制度や執行面の見直しといった一国のみで対応していくことは困難である。国際機関での議論の動向や我が国や諸外国のAPAの制度面や執行面の経験からグローバル・スタンダードをどのような方向に持って行くべきか共通の場で検討していくことが重要である。

(2)諸外国のAPAの特徴(制度面から)

第2章においては、諸外国におけるAPAの特徴について制度面からいくつかのテーマに絞って概観する。具体的には、@各国で異なるAPAの法的地位・枠組み、A各国のAPAの手数料導入の有無とその形態、BユニAPAの活用状況、Cいくつかの国で導入されているAPAの正式申請前の審査制度、D各国のAPAを不受理とする、あるいは取り消す際の要件、及びE各国で多様なセーフハーバーや簡易APAの制度について整理する。

イ APAの法的地位・枠組み等

APAの法的地位や枠組みは、各国の法文化や税制を反映して様々な形態をとっている。例えば、APAを法制化している国には、APAの処理期限を規定することによって透明性や確実性を高めているところがある。また、法制化しなくとも、租税条約において直接的にAPAについて相互協議できる旨の規定を置くことで、国内法上の移転価格税制と相互協議を伴うAPAとの橋渡しを行うことで法的安定性を高めているところもある。更に、APAを締結している納税者に対して税務当局が移転価格課税を行わない根拠については、我が国のように信義則による国もあれば、税務当局と納税者との合意に基づくものとする国もある。
 なお、APAの法制化の是非については、「相互協議の効率的な実施」の観点から詳細に検討していないが、仮に法制化を検討するのであれば、APA指針からその対象をどうするか、法制化することによって新たに発生する論点や副作用、例えば、事前照会に対する文書回答手続の取扱い、相手国との交渉における柔軟性のメリット、APAの取消訴訟の可能性等について検討を重ねる必要がある。

ロ APAの有料化

諸外国においては、APAに限らず、行政サービスに手数料を課す国もあれば、課さない国もある。また、手数料を課す国も、その形態や金額の水準に大きな違いが見られる。我が国にとって、最大の相互協議相手国である米国の手数料水準の高さは、他の諸外国と比較しても抜きんでており、日米の手数料の非対称の問題をどう考えるか。また、我が国が有料化を検討する際には、他の同様の行政サービスの状況や財政法等の関連する法規、更に、手数料の金額水準によっては、納税者のAPA申出件数に影響が出ることも考えられ、移転価格税制の法的安定性を高めるためにセーフハーバーの拡充や文書化の簡易化、その他、APA以外の紛争回避手段の導入等も含め検討する必要がある。

ハ ユニAPAの活用

アドバンス・ルーリング(事前照会)の制度が納税者に幅広く利用されているEUや二国間APAの経験が浅い開発途上国では、自国の課税リスクや法的安定性を求める納税者から、幅広くユニAPAを受入れ、また、最近は、納税者の利便性向上のため、手続の簡素化や処理の迅速化を進めている。二国間(多国間)APAを求める納税者が増える傾向にあるが、一方で、中小事業者の中には、手続の複雑性や処理期間の長さ、費用の高さといった要因が、その制度普及の妨げとなっているかもしれない。諸外国のAPAの状況を踏まえると、中小事業者におけるユニAPAのニーズは決して低くない。中小事業者を含め、法的安定性を求める納税者に対して、セーフハーバーの検討や文書化の活用も含め、どのように対応すべきか、自国のみならず、グローバルで検討していく重要性が増している。

ニ 事前(APA申請前)審査制度

APA申請には明らかに租税回避を意図する内容も考えられる。そのため、APAの濫用に対して各国は、従来の手続を見直し、正式なAPA申請前に審査を行う国が増えている。例えば、必要な資料情報を定め、提出させたうえで十分な審査を行い、受理するかどうかの判断を行っている国 や自国の濫用防止規定の適用といった付随的な問題も含め、納税者のコンプライアンス履歴や移転価格文書化の内容、全ての海外取引や取決め等について調査することで選別作業を強化している国 等がある。事前審査の導入や強化といった背景には、申請前の段階でBEPS事案といった条約の濫用を排除することや、事前に事案を選別化することにより、正式申請後の審査や協議の効率化を運用面で図ることを目的としている国も少なくない。また、そのような事案は、一旦相互協議が開始されると合意等の解決までに相当な時間を要し、非効率であることは明らかである。事前審査は、結果として、課税権の確保のみならず、課税の公平性の担保や行政コストの観点からメリットが大きいものと考えられる。

ホ APAの不受理・取消等

BEPSプロジェクトを踏まえ、各国は、上記ニの事前審査制度と併せて、正式申請を認めるための要件ないし、不受理とする要件を具体的かつ詳細に規定している国が増えている。また、米国では、合意後にAPAを取消し、訴訟に至った事例も発生している。
 二国間(多国間)APAの相互協議に入るか否かの意思は、各国の方針や租税条約の相互協議条項をどのように解釈するかにかかっているため、不受理や取消の規定ぶりは国によって異なっている。つまり、その「敷居」の高低は各国で異なり、OECD移転価格ガイドラインで、考慮する材料が示されている 。したがって、この考慮する材料をより具体的に定めるとともに、各国と共通化していくことで、現状の「敷居」の高低差を小さくする必要がある。

ヘ セーフハーバー等

移転価格税制の複雑化により、納税者と当局双方にとって管理やコンプライアンスに係るコスト負担が大きくなっている。そのため、各国は、移転価格上のリスクが低い納税者や少額の取引等を対象にセーフハーバー、文書化の簡易化、簡易APAといった制度を導入しているが、その適用される納税者や取引の範囲は多岐にわたる。例えば、簡易APAを導入している国は、一定規模に満たない中小事業者や取引を対象とし、APA手数料の軽減、提供すべき資料情報等の簡略化、当局による比較対象取引の選定支援等があるが、要件や基準は国によって多様である。
 一方で、セーフハーバーは、二重課税リスクを生み出す可能性があることや、新たなタックスプラニングを誘発する可能性も否定できない。また、中小事業者のためのAPA手続の合理化は文書化条件の軽減の形態をとることができるが、移転価格に関して、事業の規模によって取引が単純であるかどうかは関係せず、取引の複雑性は、事業規模だけに依存せず、製品や市場といった要因にも関係する。同時文書の義務化により、今後、その基準をより具体的に共通化していくことが将来の移転価格リスクを回避する上で重要であるという認識が高まっている。

(3)諸外国のAPAの特徴(運用面から)

第3章においては、第2章に引き続き、諸外国におけるAPAの特徴について運用面からいくつかのテーマに絞って概観する。具体的には、@各国の事前相談の体制、A審査や相互協議の体制及び最近の審査や相互協議において論点となって項目、並びにその他各国で取り入れている事務手続等、B多国間APAを整備していくための課題、及びC増加傾向にあるAPAに対して各国が実施している施策について整理する。

イ 事前相談

我が国含め、APAが導入された当初において、事前相談はAPAの手続や当局の方針を説明する場に過ぎなかった。しかしながら、制度が普及するにつれて、事前審査を導入する国など、諸外国のその位置づけが変わり、事前相談の体制についても多様化してきている。最近では、全ての事案や一定の条件に該当する事案について事前相談を義務化する国が増えている。そのような国の中には、正式申請を認めるに当たり当局の裁量が認められている国、正式申請までのタイムラインを詳細に設定するとともに、納税者及び当局の役割や任務を具体的に定め運用している国、APAや協議を行う部署以外にリスク管理や業種の専門家、当局幹部が関与する国、匿名の相談を受け付けない国等が見られる。

ロ 審査及び相互協議

(イ) 体制

APAの普及とBEPSへの対応を踏まえ、増え続ける繰越事案の処理の必要性から、事前相談を含め、APAの運用体制を整備・強化している国が増えている。具体的には、スタッフの拡充や審査部署と協議部署の一体化にとどまらず、租税回避を意図とした事案、複雑・困難な事案にも対応できるように、業種や事案、関連法規等に精通した実務専門家や移転価格を含む国際的リスク管理部署等を加えたAPA管理ユニットを設け、重要な意思決定を行う際に必要な議論をし、また、相互協議前には、パネルを設置して協議ポジション案を議論するといったことを行っている国もある。更に、納税者や当局の提案により、外部の専門家を活用することができる国もある。

(ロ) 最近の審査及び協議の特徴と課題への対処

まず、独立企業間価格算定方法について、利益分割法の活用が見直されている。その背景には、複雑かつ大規模なAPA事案が増え、バリュードライバーに対するコントロールについて、これまでよく活用されている取引単位営業利益法(TNMM)といった片側検証ではなく、双方を検証する利益分割法等の可能性を模索するためと言われており 、米国は、新たな機能コスト診断モデルを公表している。また、EUも2019年に域内における当該手法の適用について報告書を公表している 。なお、インドや中国では、市場固有の特性(LSAs)の考えに基づき、その利益の増分について、比較対象取引がない場合、利益分割法によって配分を決定することができるとしている。
 次に、事務手続の改善が挙げられる。例えば、提出書類のフォーマット化、電子化、オンラインによる審査を導入しているところが少なくない。
 租税回避を意図とした事案、複雑・困難な事案、開発途上国の市場固有の特性の考え方等の論点に関しては、二国間(多国間)の相互協議による解決をますます困難にさせるものであり、グローバルな議論や取組みにより解決していくことが重要である。

ハ 多国間APA

多国間APAに関して公表されている情報は限られているが、実例は少なく、手続等が整備されている国は少ないと思われる。一方で、昨今の経済取引においては、一つの取引が二国間で収まることは少なく、第三国まで及ぶことが通常となっており、バリューチェーン化や経済のデジタル化の進展により、今後、租税の確実性の観点から、国際社会として多国間APAの体制を整備していくことの重要性は高いと考えられる。2020年に公表された金融取引に関する移転価格ガイドラインは、グローバルな証券取引やコモディティ取引の分野で生じる所得配分及び帰属の問題、多国間の費用分担取決めにAPAが有用であると指摘している。英国では、特に金融サービス分野での多国間APAに積極的であると言われ、複雑で価格設定が困難であり、移転価格問題におけるコンセンサスが不足している同分野の二国間(多国間)APAのプログラムを開始することを決め、同国の納税者や豪州、米国当局と議論しているとされる。一方で、多国間APAの現状は、他国の了解や情報交換の制約の下、二国間の枠組みを採用しているため、二国間APAより手間や処理に更に時間がかかり、効率的な議論が期待できないといった実務上の課題が残されており、改善の必要性は高い。

ニ 増加するAPAに対する施策

二国間(多国間)APAの経験が豊富な国の中には、APAとして適切でない事案を排除するためや正式申請後の審査を効率的に進める観点から関係する部署の機能強化や専門化を図り事前審査を重視している国がある。また、申請手数料の引き上げ、スタッフの拡充、APA申請の形式的要件を設定するといった直接的な対策をとっている国もある。全世界的に関心が高まっているAPAに対して、自国内でできることには限りがあり、二国間(多国間)APAの処理期間に限れば、大きく改善が見られた国は少ない。したがって、関係国や国際社会との共通の取組みが今後重要になってくると考える。
 一方で、EUでは、国際的紛争防止手段として、APA以外に、ルーリングや共同調査、調停手続等のADRといったツールも整備されていることから、それらにも目を向ける必要がある。

(4)我が国の相互協議への有用性

第4章においては、第2章及び第3章でみてきた諸外国の制度面及び運用面の特徴を踏まえ、我が国の相互協議への有用性を導き出すとともに、これからのAPAについて、国際的なスタンダードへの方向性を考察するとともに若干の提言を行う。
 我が国の相互協議の現状を踏まえると、現在のAPA審査及び相互協議の体制を維持しつつ、増え続ける繰越事案や処理期間の大幅な改善は困難かもしれない。一方で、限りあるマンパワーでどこにどれだけ投下すれば効率的な運用ができるのか、そのためにどのような仕組みが必要なのかを常に考えていかなければならない。その際、課税の公平性、透明性、利便性の担保とともに我が国の課税権の確保が重要になることは言うまでもない。

イ 事前審査の重要性及び不適切なAPAの取消・排除の明確化

国際的クロスボーダー取引が普通になってきた今日、複雑化・大型化した事案が増え続けることが容易に想定される。APAを30年以上経験してきた我が国において、現状を踏まえると、今後、大規模、複雑・困難な事案に十分なリソースを投下し、課税権を確保していかなければならない。その際、事案の性質を早期の段階で把握し、審査や協議の方向性を確定させ、効率的に処理していくことが重要である。そのためには、現在の審査・協議体制にとどまらず、事案によっては、その内容や業種に精通した当局内外の専門家やコンプライアンスを管理する調査関係部署の職員などを動員する体制が必要になるのではないか。
 また、APA申請には明らかに租税回避を意図するような内容も考えられ、そのようなAPAを利用した条約濫用に対しては、国際社会として対応をとっていかなければならない。これまで見てきたように、正式なAPA申請前に必要な資料情報の提供を求め、十分な審査を行った上で、相互協議をする上で適切な内容の申請のみを正式に受理するといった国が少なくない。これは、早期の段階でBEPS事案等の不適切な事案を排除することができ、また、事案の内容をよく把握、選別化することにより、正式受理後の審査や協議の効率化につながり、結果として、課税権の確保のみならず、課税の公平性の担保や行政コストの観点からメリットが大きいと考えられる。なお、「不適切な事案」については明確化し、共通化することが重要であり、両当局が合意の上で排除する仕組みが必要である。

ロ 専門家の活用

今後の審査や協議では、無形資産取引を含む複雑で精緻な取引の詳細な分析に加え、モデル租税条約、二国間で締結した租税条約及びBEPS防止措置実施条約といった条約の解釈が必要となる機会が増えていくと考えられる。そのような状況に的確に対応していくために、場合によっては、当局に対し助言的な機能を有する第三者の専門家を柔軟に活用することが必要ではないだろうか。また、活用することで、リソースを他の複雑な事案等に投下することもできる。いくつかの国で、専門家の利用を規定しているが、納税者自らの意思で申し出るAPAにおいて、専門家が関与することで円滑に審査や協議が進行し、場合によっては合意の可能性が高まるのであれば、納税者のメリットは大きいのではないだろうか。

ハ 多国間APA手続の整備

バリューチェーン化や経済のデジタル化が進展し、益々複雑化していくグローバルな経済取引に対して、多国間APAの体制を整備していくことの重要性は高い。一方で、金融取引の分野では、2020年の金融取引に関する移転価格ガイドラインにも示されているように、グローバルな証券取引やコモディティ取引の分野で生じる所得配分及び帰属の問題、多国間の費用分担取決めにAPAが有用であると指摘しているが、取引が複雑で価格設定が困難であり、移転価格問題におけるコンセンサスが不足しているとされる。更に、多国間APAとして利用されているグローバル・トレーディング事案では、三か国ベースの合意のために二国間の枠組みを採用しているように、多国間で協議を進めることに実務上困難な点も多いとされる。
 現状を踏まえると、多国間の制度的な枠組みを早急に議論するのではなく、まずは、現在の二国間の枠組みにおいて経験を積み重ね、とりわけ二国間以上に合意まで長い期間を要すると言われている課題にどのように対処していくかを優先すべきではないだろうか。そのうえで、多国間で協議を行うことの重要性が高い事案(グローバル・トレーディング事案等)に限って、手続を整備していくことが考えられる。

3 まとめ

(1)APAの国際的なスタンダードへの方向性

イ 諸外国との協調体制の構築

最近のOECDでは、OECD加盟国以外の国も多様な議論に対等の立場で参加している。また、国際機関での場に限らず、関係する国同士や地域単位でAPAの迅速化等についての非公式なコンサルテーションを実施している。このように、国際機関における議論や諸外国のAPAの状況を概観すると、APAが開発途上国を含め、グローバルな広がりをみせ、成熟してきている国も増えている。OECDでのMAPフォーラムやFTAの租税の確実性(税の安定性)の議論を見てもわかるように、世界中の多くの国が参加することで、APAや相互協議の手続についての議論が盛んに展開され、また、ピアレビューにより、各国はミニマムスタンダードの遵守を意識し、自国の規則や手続を改善してきている。現時点では、移転価格をめぐる各国税務当局の反応は、グローバルベースでみると多様であり、とりわけAPAについても、依然導入していない国や具体的な手続等を定めていない国があることも事実であるが、今後ともこの協調体制をより強固なものにしていくことが、APAの国際的スタンダードを構築するのに欠かせない。

ロ 我が国の役割と国際的なスタンダードへの方向性

相互協議を伴う二国間や多国間APAを効果的・効率的に実施していくためには我が国のみの対応では難しいところもあり、相手国を含めたグローバルな観点から検討していくことが重要である。OECDは、BEPS行動14のピアレビューを踏まえ、ミニマムスタンダードの拡充を含む審査基準の見直しを行っているとされ、今後の新たな基準に基づくピアレビューにおいても、我が国の相互協議の実務において高い評価を得られるように努めるだけでなく、これまでの数多く経験をOECD等の活動の場を通じて諸外国に積極的に共有していくとともに、我が国の相互協議相手国の多くを占めるOECD非加盟国に対してミニマムスタンダードやベストプラクティスに沿った相互協議の枠組みやAPA手続の整備を求めつつ、議論をリードしコンセンサスを積み上げていくことが求められるのではないだろうか。
 現状では、各国の手続は多岐にわたるが、多くの国はOECD移転価格ガイドラインを国内手続の参考にしている。このことから、今後、我が国を含め、各国の経験から得られたベストプラクティスを積み上げ、その内容をより具体的にOECD移転価格ガイドライン等に組み込んでいく必要があるのではないか。BEPS行動14のピアレビューにおいて、全世界で数多くの勧告がなされたが、各国の改善に向けた取組みは大きな成果を見せているとされる。引き続き、この枠組みを活用し、現在のミニマムスタンダードやベストプラクティスにAPAの手続に関して新たな基準を追加することで、手続の透明性を確保し、また不確実性を排除していくことで各国の手続をより国際的なスタンダードに近づけるよう働きかけることが効果的ではないだろうか。これからは、二国間のみでなく、多国間による協調の枠組み、グローバルコンセンサスによる共通の制度策定、実施の重要性が増してくるだろう。その点、OECD MAPフォーラムでの取組みが今後も益々重要となり、我が国がこれまで以上に相互協議相手国に対してより強固な協調・協力関係を築くことで、結果として相互協議事案の効率的・効果的な実施につながるのではないだろうか。

(2)若干の提言

イ 短・中期的観点

OECD MAPフォーラムを十分活用し、諸外国との協調体制を構築・強化していくことが重要である。現在、進められているミニマムスタンダードの見直しで検討されている、@二国間APAの実施、及びAAPA統計に関する情報の共通プラットフォームによる公表については、各国の移転価格税制の法的安定性や透明性を高めるものであり、今後のモニタリングにおける基本かつ重要な構成要素になるため、早い段階でのミニマムスタンダード化が望まれる。
 また、その他に、各国のAPAガイドライン及び手続の公表やAPAプロファイルの共通プラットフォームでの公表についてもAPAのグローバル化の観点から重要である。

ロ 長期的観点

APA手続の共通化を図っていく観点から、まず、上記イの各項目について、ピアレビューを通じて、各国に対して整備や改善を働きかけることが重要である。そのうえで、納税者のAPAへのアクセスや申請を受け入れる要件を可能な限り統一化することが理想であり、その一つとして、BEPS等の条約を濫用するような不適切な事案を明確化し、共通化することが重要である。
 また、我が国を含め、一定の経験を有する国については、課税事案と同様に解決までの期間について目標設定や一定の期間内で解決できなかった場合の手段の検討ないし整備、審査・協議手続の更なる合理化の検討を図っていくことが効率的な解決の観点から重要である。

(3)最後に

国際的クロスボーダー取引にかかる紛争については、今後、回避する手段がますます重要になってくるものと思われる。APAはその手段の一つであるが、国際機関や諸外国では、それ以外の手段についても議論や取組みが進んでいる。移転価格税制に関する法的安定性や透明性を高めていくため、また、相互協議に移行する事案を減らすためにもAPA以外の協力的手法等について研究する必要があるかもしれない。


目次

項目 ページ
はじめに 368
第1章 租税条約に基づく相互協議とAPA 371
第1節 租税条約における相互協議規定とAPA 371
1 租税条約における相互協議規定 371
2 モデル租税条約とAPA 373
3 我が国のAPA 375
4 相互協議の実施状況 376
第2節 最近の国際機関における議論 379
1 OECD 379
2 国連 384
3 EU 385
第3節 小括 389
第2章 諸外国のAPAの特徴(制度面から) 391
第1節 APAの法的地位・枠組み等 391
1 APA手続の流れ 391
2 各国の法的地位・枠組み 392
3 我が国の位置づけと法的拘束力 399
4 まとめ 401
第2節 APAの有料化 402
1 手数料の導入国 402
2 手数料の形態 403
3 有料化の効果 405
4 まとめ 407
第3節 ユニAPAの活用 408
1 ユニAPAのメリット 408
2 ユニAPAの実施状況 409
3 ユニAPAの特徴 412
4 まとめ 414
第4節 事前(APA申請前)審査制度 414
1 米国 415
2 カナダ 415
3 豪州 416
4 中国 417
5 シンガポール 418
6 まとめ 418
第5節 APAの不受理・取消等 419
1 諸外国の不受理・取消等の規定 420
2 APA取消の裁判例 423
3 まとめ 424
第6節 セーフハーバー(APA簡素化措置を含む)及び文書化 425
1 概要 425
2 セーフハーバー、同時文書の免除等 426
3 APAの簡素化措置 430
4 まとめ 432
第3章 諸外国のAPAの特徴(運用面から) 433
第1節 事前相談 433
1 英国 433
2 中国 434
3 米国 435
4 豪州 436
5 カナダ 437
6 シンガポール 437
7 まとめ 438
第2節 審査及び相互協議 438
1 運営体制 438
2 最近の審査及び相互協議の特徴と課題への対処 440
3 まとめ 446
第3節 多国間APAの課題 447
1 多国間APAに関する規定 447
2 多国間APAの実施状況と課題 449
3 まとめ 451
第4節 増加するAPAに対する施策 452
1 概観 452
2 具体的施策 452
3 まとめ 459
第4章 我が国の相互協議への有用性とAPAの国際的なスタンダードへの方向性 460
第1節 諸外国の二国間APAの方向性について 460
1 概観 460
2 各国の方向性 461
第2節 我が国の相互協議への有用性 463
1 事前審査の重要性と不適切なAPAの取消・排除の明確化 463
2 専門家の活用 467
3 多国間APAの手続の整備 468
4 審査と協議の一体化と紛争防止手段の拡充(APA除く) 469
5 まとめ 470
第3節 APAの国際的なスタンダードへの方向性と提言 473
1 諸外国との協調体制の構築 473
2 我が国の役割と国際的なスタンダードへの方向性 474
3 若干の提言 475
結びにかえて 477
別添図表1 EU及び主要国のMAP発生件数及びAPA実施件数等の状況 479
別添図表2 我が国の相互協議の状況(APA)その1 480
別添図表3 我が国の相互協議の状況(APA)その2 481