前田 章秀
税務大学校
研究部教授

要約

1 研究の目的(問題の所在)

国際的な二重課税の問題に関する紛争など、租税条約の適用に関して生じる紛争は、租税条約締約国の権限ある当局間の相互協議を通じて解決されるが、両締約国の権限ある当局が最大限の努力を払っても解決までに長い時間を要し、場合によっては解決できないときがある。
 我が国が締結した租税条約の中には、このような問題を解決するために、相互協議における補完的紛争解決手段としての義務的かつ拘束的な仲裁手続を含むものがあるが、主に先進国との間の租税条約に限られており、近年事案数が増加傾向にあるOECD非加盟のアジア諸国との間の租税条約においては、仲裁手続を含むものは少ない。我が国の相互協議の実施状況については、協議の合意に至っていない繰越件数が過去最多となっており、地域別では、OECD非加盟国が多数含まれるアジア・大洋州が最も多く、全体の5割を超えている。
 一方、OECDによるBEPSプロジェクトでは、相互協議を一層効果的・効率的に実施するための措置が議論され、行動14の最終報告書に取りまとめられているが、相互協議事案の迅速な処理というテーマは、各国の大きな関心事となっている。また、近年の経済のデジタル化に伴うグローバルなビジネスモデルの構造変化による国際的租税紛争の増加も予想される中、EUや国連においても更なる紛争防止・解決メカニズムの強化の必要性が議論されている。
 このような状況において、相互協議による紛争解決が困難になった場合の効果的な手段が求められているが、2008年、OECDモデル租税条約25条(相互協議手続)に義務的拘束的な仲裁手続が導入され、また、同条のコメンタリー・パラグラフ86及び87においては、仲裁手続以外の補完的紛争解決手段(いわゆるADR)について、相互協議の手続の一部として柔軟に活用できることが指摘されている。
 本稿では、以上の問題意識のもと、紛争解決手段の分野で先導してきたEU、次いでOECD、そして今日まで活発な議論がされている国連の3つの国際機関における議論について整理する。具体的には、2019年に施行したEU租税紛争解決指令によりADRを奨励しているEUや相互協議における非拘束的なADRの活用について活発な議論をしている国連の議論を中心に概観する。また、仲裁手続に消極的な国が少なくない状況において、いくつかの国において、国内の紛争解決手段として専門家の活用や調停手続といった非拘束的なADRを活用していることから、それらの国々の経験から、ADRの有用性を導き出し、上記コメンタリー・パラグラフで指摘されている相互協議におけるADRの活用について、我が国の今後の紛争解決へのインプリケーションを考察するものである。

2 研究の概要

(1)租税条約に基づく相互協議

第1章においては、まず、OECDモデル租税条約に基づく相互協議規定を確認するとともに、紛争解決手段としての相互協議の状況について概観し、我が国の相互協議における最近の傾向を分析することで、今後の課題を抽出した。
 我が国は、2021年5月1日現在、75の国ないし地域との間に66の所得税の二重課税を防止するための租税条約を締結している。租税条約には、二国間の紛争を解決する手段として、相互協議手続が規定されており、OECDモデル租税条約25条は、権限ある当局に対し法的合意義務がないとしても、個別の二重課税事案について相互協議を通じて解決するよう努力しなければならないと明確に要求している。また、相互協議による紛争解決が困難になった場合については、2008年に義務的拘束的な仲裁手続が導入され、我が国も2010年に初めて仲裁手続を含む日蘭租税条約に署名し、現在では仲裁手続の導入を支持している。一方で、今日までこの義務的拘束的な仲裁手続を二国間租税条約に導入、又は我が国が2017年に署名したBEPS防止措置実施条約で同規定を選択している国の数は、OECD加盟国を中心に増加傾向にあるものの、我が国の主要な相互協議相手国を含むOECD非加盟国においては、2か国・地域に留まる。義務的拘束的な仲裁手続の導入が、特にOECD非加盟国で進まない理由は、国家主権に影響を与えるものであること、憲法上の問題が生じる可能性があること、仲裁人として活用できる自国の専門家が不足していること、相互協議や仲裁手続の経験不足や知識不足、といった点が挙げられており、現状においては、OECD非加盟国の多くが仲裁手続の導入に消極的である。したがって、これらの国から義務的拘束的な仲裁手続のコンセンサスを得るには、引き続き、紛争解決手段の議論を深めていくことが必要であり、一定の時間を要するものと思われる。
 我が国の相互協議の実施状況に関しては、2019事務年度において、200件(APA事案を含む)の新規申出が発生しているが、同事務年度末の繰越件数(542件)は4年連続で増加し、過去最多となっている。全世界に向けると、繰越件数については発生件数の2倍以上、移転価格課税事案にいたっては、3倍以上もあり、我が国を含め、各国は、相互協議担当部署の増員、更なる効率的かつ迅速な処理、また、特に時間を要している事案の早期解決策が求められている。
 我が国の特徴としては、相互協議の発生ベースで全体の7割以上が事前確認(APA)事案で占め、また、繰越事案の国別では、米国に次いで、仲裁手続を導入していないOECD非加盟国であるインド及び中国の2か国で全体の33%を占めている。我が国にとって、経済的な結びつきが強いアジア諸国と、今後ますます国境を越えた経済活動が活発になることが容易に想定され、これらのOECD非加盟国との事案を円滑にかつ効率的に解決していくことが、今後の課題の一つに挙げられる。
 近年のICTやAIの発展とともに、経済のデジタル化に伴うグローバルなビジネスモデルの構造変化による国際的租税紛争の増加により、これまでの伝統的な相互協議による紛争解決が円滑に進まないケースが増えている。このことは、最近の相互協議の繰越事案の増加や処理期間の長さからも読み取ることができる。それゆえに、国際機関において、更なる紛争防止・解決メカニズムの強化の必要性が議論されている。我が国は、2021年に米国と仲裁手続に関する実施取決めを交わし、未解決事案の仲裁付託が現実味を帯びている。このような状況において、昨今の経済のデジタル化に伴う国際的な紛争問題の発生の増加、仲裁手続を導入していない国への対応、相互協議に従事するスタッフのリソースが限られることを踏まえると、現状のツールで相互協議を改善していけるのか、また、国際機関の議論の動向や諸外国のベストプラクティスを検討する必要があるのではないだろうか。このような背景から、今後ますます義務的拘束的な仲裁手続以外の紛争解決手段として、非拘束的なADR導入の重要性が高まっていくことが予想される。

(2)国際機関における紛争解決手段に関する議論

第2章においては、国際機関(EU、OECD及び国連)におけるこれまでの紛争解決手段にかかる議論、具体的には、EUでは、2019年に施行したEU租税紛争解決指令の特徴、OECDでは、「実効的相互協議マニュアル」やモデル租税条約コメンタリーでのADR活用の議論、そして国連では、国連ハンドブックにおけるADR活用に関する議論を概観した。これらの議論を踏まえ、我が国の相互協議における課題を解決していく観点から、次のとおり、ADRの有用性について整理した。

イ 紛争解決手段をめぐる最近の議論

国際機関では、これまでEUが紛争解決の議論を先導し、主に仲裁手続の導入の是非やその内容について議論をしてきた。モデル租税条約に仲裁手続が導入されてからは、義務的拘束的な当該手続に消極的な開発途上国等、多数の国が加盟する国連が、非拘束的なADRの活用を含め多様な議論を展開している。このことは、国際的な紛争解決が近年、二国間・多国間を問わず、その重要性がますます高まっていることを示している。一例を示すと、現在、各国がBEPSプロジェクトの勧告内容を踏まえ、ミニマムスタンダードとして、相互協議に関する4つの分野(紛争の未然防止、相互協議の利便性・アクセス、相互協議事案の解決及び相互協議の合意内容の実施)に関する法的枠組及び行政的枠組についての改善に取り組んでおり、また、その取り組みの実施状況については、ピアレビューが実施されている。また、OECDの「経済のデジタル化に伴う課税上の課題(第1の柱)」の中では、紛争解決手段に関して義務的拘束的な手段を求めることに支持する国と既存の相互協議の枠組みや非拘束的な手段で解決を図ることに支持する国とで議論が分かれている。このように、国際課税を巡る環境はめまぐるしく変化するとともに、従来の国際課税原則を変更するといった議論も活発に展開され、各国の利害もぶつかり、共通のコンセンサスがなかなか得られないといった状況である。今後とも国際的な紛争解決手段についての議論を注視していかなければならないと考える。

ロ ADRの有用性

国際機関では、近年、ADRの活用についての議論が活発になってきている。これまでの紛争解決手段の議論を先導してきたEUは、BEPSプロジェクト等の議論を踏まえ、2019年7月に施行したEU租税紛争解決指令によって、これまでの移転価格及びPE(恒久的施設)の帰属に関する紛争の救済に限られていた仲裁手続の対象範囲を所得及び資本に対する課税全般に対する紛争の救済にまで広げた。更に、2年間の相互協議期間内に紛争が解決しなかった場合に従来の助言委員会に加え、新たにADR委員会を導入し、助言委員会と同様に6か月以内の拘束的な最終意見を採用するとともに、相互協議段階において、調停手続等の非拘束的なADRを活用することも奨励している。つまり、EUは、今後、ADRを最大限活用し、柔軟かつ拘束的な二重課税排除の期限を定めることで紛争解決の実効性強化と、納税者のコンプライアンス費用負担の軽減と利便性の向上を図ることを意図している。
 OECDは、「実効的相互協議マニュアル」やOECDモデル租税条約25条のコメンタリー追加の際の議論に見られるように、国内法上の理由等により拘束力のある仲裁手続を導入できない国は、調停手続や専門家への事実関係解明のための付託などの補完的紛争解決手段を相互協議の一環として、アドホック・ベースで実施でき、更に、権限ある両当局のポジションに関しての長所及び短所を評価する第三者の活用について、その有用性を指摘している。
 国連は、相互協議における非拘束的なADRの活用について、活発に議論している。例えば、国連ハンドブックでは、相互協議における非拘束的なADRとして、@専門家による評価、A調停手続、及びB他の類型の活用を提案している。ここでの専門家とは、権限ある両当局に提出された資料の根拠を調査する専門家であり、また、調停手続とは、一連の相互協議手続に関連した当該協議の促進支援であり、紛争解決の手助けに調停人(ファシリテーター)を活用するものである。
 相互協議におけるADRの有用性としては、例えば、国際的な紛争解決を確かなものへ導くために複雑な論点や事実関係を明確にし、権限ある当局間の議論のターゲットを定めることで柔軟かつ費用効率的な方法を提供することができる点、権限ある当局間の相互協議の経験が異なる場合の当該協議の場の水準を合わせる方策を提供する点、といったことが挙げられる。更に、仲裁手続の前段階での非拘束的なADRの活用は、権限ある両当局が合意すれば、仲裁手続において、独立した専門家による特定の事実認定や経済的な評価を活用することができるため、重要な論点により容易に焦点をあてることができ、仲裁手続の効率性を高める、といった側面も挙げられる。
 我が国は、租税分野において、国内の紛争解決手段としてADRを採用していない。しかしながら、ADRの手続面や条件面の詳細を規定することは、既に導入している仲裁手続を部分的に活用できるため、導入へのハードルは仲裁手続を導入した当時と比較するとあまり高くないのではないだろうか。一方で、相互協議の補完的紛争解決手段として、非拘束的なADRを活用したとしても紛争解決の担保が得られないこと、解決されないまま追加費用が発生する可能性があること、相互協議の期間が延びること、適格な第三者を見つけることが困難(時間と努力を要する)といった短所もあるが、国際機関での最近の議論の流れや、ADRの有用性を踏まえると、今後の我が国の相互協議における非拘束的なADRの活用について、検討する意義はあるのではないだろうか。

(3)諸外国の国内紛争解決手段としてのADR

第3章においては、国内の紛争解決手段として専門家の活用や調停手続等のADRを活用している英国及び米国を中心に、ベルギー、オランダ、ニュージーランド、豪州及びメキシコの制度を紹介した。各国の非拘束的なADRは多岐にわたり、一部分ではあるが、その特徴や機能についてまとめ、我が国の相互協議におけるADRの活用可能性の観点から、以下のとおり論点を整理した。
 第一に、ADRの形態についてである。各国の名称は異なるが、その目的から大きく3つに分けることができる。1つ目は、協議や交渉の促進や手助けをもっぱら行い、原則として、自らの意見や提案を行わないもの、2つ目は、協議や交渉の促進に加えて、実質的に紛争解決を目指した意見や提案を行うもの、3つ目は、特定の論点について助言や評価を行うものである。
 第二に、ADRに関与する専門家や調停人(ファシリテーター)についてである。専門家は、付託された問題に関する税務の専門家や弁護士、学者等が適格とされる。また、調停人(ファシリテーター)は、協議や交渉を促進させるための技能をもったADR実務家ないし、訓練を受けた税務当局の職員が関与している。
 第三に、中立性や公平性についてである。税務当局内部の職員がファシリテーターとして務める場合であっても、納税者から能力面、中立性及び公平性に関する懸念を払しょくするため、外部機関による訓練を受けた職員や当該事案とは利害関係を有しない職員が務めることとしている。
 第四に、ADRの手続における拘束性についてである。いくつかの国では、納税者はいつでも調停手続を申立てることができ、また、いつでも協議や交渉から離脱することができる。また、合意した場合の拘束性については、その合意した内容に関して納税者及び当局の双方を拘束するオランダやメキシコ、当局のみを拘束するベルギー以外は、紛争当事者に最終決定権が残されている。
 第五に、紛争の対象となる事案についてである。調停手続に関して、事案の内容に制約は少ないが、例えば、事案の内容が複雑であり、また、事実認定が重要な移転価格の事案等において、事実又は問題の明確化が必要な場合には、争訟手続ではなく、早期かつ費用効率よく紛争の解決を図ることができるといったメリットが指摘されている。
 このように、国内の紛争解決手段として活用されているADRは、専門家の活用や調停手続をはじめとする非拘束的な形態が中心であり、また、その手続の柔軟性を特徴としている。各国のADRの手続や内容は多岐にわたり、増加する紛争問題に関して、時間と費用がかかる争訟手続によらず、納税者、税務当局双方とも合意による柔軟な方法により解決を図っていくことを重視する国は少なくない。また、本章で紹介した各国について共通して言えることは、各国とも、納税者との紛争が多く発生する領域、例えば、事案全体や取引が複雑であり、事実認定が重要な移転価格分野等についても、専門家の活用や調停手続等が活用されている。
 我が国では、国内の紛争解決手段を含め、調停手続等の柔軟で非拘束的なADRを導入していないため、二国間での相互協議で活用するためには困難が多く、解決しなければならない課題は多いと考えられるが、この点においては、義務的拘束的な仲裁手続を導入した当時と状況は同じであり、第2章での議論と合わせて、活用の是非について検討する意義はあるのではないだろうか。

(4)我が国の相互協議におけるADRの活用

第4章においては、第2章及び第3章からの示唆を踏まえ、まず、我が国の相互協議におけるADRの活用について、活用する際の解決すべき課題を含め考察し、更に、ADRを戦略的に活用する観点からADR活用の枠組み及び具体的な活用場面について提言を行った。

イ 考察 ―ADRの活用について―

(イ) ADRの活用について

我が国における相互協議の執行体制について、国税庁は、従前より事案の増加や複雑・大型化へ対応すべく人員の増員やリソースの適切な配置に努めてきた。今後とも現行のツールやリソースを最大限に活用することはもちろんであるが、ますます複雑、多様化する事案にも対応していかなければならず、義務的拘束的な仲裁手続に加えて、EU租税紛争解決指令のように、権限ある当局に対し助言的な機能を有する専門家の活用や調停手続といった非拘束的なADRも柔軟に活用しつつ、相互協議による解決をめざすといった検討が必要な時機にきているのではないだろうか。また、ADRを活用することで今後、相互協議の効率化が期待できるのではないだろうか。その理由として、以下の点が考えられる。

@ 我が国の相互協議事案の中心は移転価格(APAを含む)事案であり、今後、ますます無形資産取引を含む複雑で精緻な取引について、詳細な分析に加え、モデル租税条約、二国間で締結した租税条約及びBEPS防止措置実施条約といった条約の解釈が必要となる機会が増えていくと考えられる。したがって、専門家等からのインプットは、国税庁にとって今後の相互協議に大いに参考になり得るのではないだろうか。

A 仲裁手続が想定されるような複雑かつ困難な事案については、その前段階である相互協議において非拘束的ではあるが、専門家の助言を得ることは有益ではないだろうか。

B 相互協議相手国や事案の多様性に対応していくためには、相互協議を円滑に進めていくオプションのひとつとして、第三者による非拘束的な手段を持つことのメリットは大きいのではないだろうか。専門家等の助言はあくまで参考に過ぎず、権限ある当局はいつでもその採用を拒否することが可能であり、相互協議の特徴の一つである柔軟性を最大限発揮することができるのではないだろうか。また、我が国が、義務的拘束的な仲裁手続に消極的な相手国との相互協議において、専門家等による非拘束的なADRを実際に活用し、経験を重ねていくことで、相手国の、仲裁手続に対する理解を高め、将来の当該相手国との紛争解決にもプラスに作用するのではないだろうか。

C 相互協議の一部を専門家等に委ねることでリソースを他の複雑な事案等に投下することができるのではないだろうか。

D 専門家等が関与することで相互協議が円滑に進行する、又は合意の可能性が高まるのであれば、納税者にとってもメリットが大きいのではないだろうか。

(ロ) 解決すべき課題

非拘束的なADRを活用する際の解決すべき課題として、以下の点が考えられる。

@ 対象事案と活用する手段の形態

APA事案を対象に含めるかどうか。また、対象とする事案を限定するかどうか。活用する手段として、専門家によるアドバイスにするか調停手続を採用するか、あるいは双方を組み合わせた形態も考えられるのではないだろうか。

A コスト面及び執行手続面の負担

ADRをいつ、どのように開始すべきか、タイムラインの設定をどうするか。場所や使用言語、翻訳、会合の設定、手続の終了等の実施手続を定める必要がある。ADRの導入は、追加的な費用を発生させ、紛争解決に更なる時間を要するかもしれない。また、仲裁手続と同様に、関係者の事務的な負担も増すことになり、上記@の対象事案とともに検討する必要がある。

B 専門家及び調停人の任命

専門家等の任命手続をどうするか。仲裁人と併せて、EU仲裁条約のように、リスト化(公表)することで、納税者に対してより透明性を確保する必要はないか。また、公平性の義務や規則を定める必要がある。

C 納税者の関与と専門家等の守秘義務等

例えば、専門家を活用する際には、相互協議の初期段階において事案を適切に把握し、事実認定することが想定されるため、納税者のより積極的な協力が重要となることから、当該納税者の関与の範囲を定める必要がある。また、専門家等が取得した情報等に関して守秘義務を課す必要がある。

ロ 提言 ―ADRの具体的な活用―

(イ) 活用可能な手段の枠組み

上記イの考察を踏まえ、第一に、ADRの活用可能な手段の枠組みについては、次のとおり整理することができるのでないかと考える。

@ ADRは、納税者あるいは権限ある当局によって要請され、また、双方の権限ある当局によって選定された(あるいは同意された)専門家等が、相互協議の円滑化・促進化を図るため、又は複雑困難な事案解決のために提供する一種のコンサルタントサービスであって、その基本的な仕組みは二国間租税条約25条、議定書あるいは交換公文によって合意されたものであること。これは、仲裁手続同様に相互協議の一環として行われるものであり、現行の相互協議手続における納税者の関与の在り方と同様であるとして整理する。

A 専門家等の権限に関しては、専門家は、付託された問題(論点)に自らの見解や評価を権限ある当局に対して述べること及び報告書を提出することが考えられる。また、調停手続における調停人は、もっぱら協議の円滑化や促進を図ることに努め、事案に対する意見や判断を示さないこととする。権限ある当局が専門家の見解や評価を活用することは任意であり、また、それに従う義務がないものとする。

B 仲裁手続と同様に、手続の透明性を確保するとともに、ADRを適切に管理する制度が必要である。

C 仲裁手続と同様に、ADRが租税条約の規定に基づき守秘義務の下で進められることが重要である。

(ロ) 対象事案及び専門家等の任命について

次に、対象事案及び専門家等の任命については、以下のとおり整理することができるのでないかと考える。

@ 対象事案については、当面の間、APA事案のみを対象とする。その理由としては、我が国における相互協議の中心がAPA事案であり、自らの意思で将来の移転価格課税リスクを未然に防止するためにAPAを申し出るケースにおいて、専門家等が関与することで権限ある当局間での協議が円滑に進行する、また、場合によっては、合意の可能性が高まるのであれば、納税者が追加費用を負担するとしても納税者のメリットが大きいと考えるからである。また、我が国にとって、非拘束的ではあるが、専門家等が関与することで相互協議の促進を図っていくとの政策的(戦略的)方針があってもよいのではないだろうか。

A 専門家等の任命については、仲裁手続における仲裁人の選定と同じ手続をとる場合、及び納税者自らが選定する場合(権限ある両当局が同意する必要がある)とが考えられる。更に、相手国側のリソース等の問題、例えば、相手国が開発途上国で適当な専門家等を選定することができない等により、任命に関して一定の配慮をする必要がある場合、国連(租税委員会)での経験が豊富な専門家等を採用するといったことも考えられるのではないだろうか。

(ハ) 活用形態及び活用場面

具体的な活用形態及び活用場面については、以下のとおり考えられるのではないだろうか。なお、対象事案を全体の7割以上を占めるAPA事案とするため、対象国が多く、活用範囲は広いと考えられ、例えば、国や特定の内容の事案に限定するといった政策的(戦略的)な活用も考えられる。

@ 相手国の相互協議の経験あるいはAPA事案による協議経験が浅いため協議の長期化が想定される場合

比較的協議の早い段階において、非拘束的な調停手続を導入し、交渉の円滑化を図る。なお、相手国がOECD非加盟国の場合で、調停人の任命に困難が予想される場合については、国連(租税委員会)での経験が豊富な専門家等を任命するなど、相手国側に一定の配慮をする場合も考えられる。

A 相手国がOECD非加盟国で相互協議の経験が豊富であるが、協議の長期化が想定される場合

協議の長期化が事案の複雑さや争点が多いことによるものと想定される場合には、比較的協議の早い段階において特定の事実認定や経済分析に関して専門家を活用し、意見を聴取ないし報告書を受領する。また、事案の複雑さや争点が多いこと以外による長期化が想定される場合には、調停人を関与させることで協議の促進を図ることが考えられる。

B 複雑かつ困難な事案のために協議の長期化が想定される場合

協議の進捗に応じて、専門家を活用することが考えられる。

C 比較対象取引の選定が重要な論点の一つである場合

比較対象取引の選定に使用する公開データベースに関して、例えば、一定の専門性を有し、事案の取引内容を把握した上で適切な比較対象取引を抽出するためのアドバイザー的な意見を述べることができる専門家を活用することが考えられる。

3 結論

第一に、我が国の相互協議におけるADRの活用については、第三者による助言的な機能や相互協議の促進を図る専門家の活用や調停手続の導入といったADRを柔軟に活用しつつ、相互協議による紛争解決をめざすといった検討が必要な時機にきていると考える。
 第二に、活用にあたっては、解決しなければならない課題があるが、当面の間は、APA事案を対象にすることで権限ある当局及び納税者の双方にメリットが大きいのではないだろうか。また、専門家等の任命にあたっては、仲裁手続における仲裁人と同様の方法以外に、納税者自らの費用負担による推薦(権限ある両当局による同意)や、相手国側のリソース等の問題により一定の配慮をする必要がある場合には、例えば国連(租税委員会)での経験が豊富な専門家等を採用することが考えられる。
 第三に、具体的な活用場面については、主に相手国の協議経験が浅いことによる相互協議の長期化が想定される場合には、調停手続による協議の円滑化、促進化を図っていくこと、事案自体が複雑である場合や争点が多い場合には、専門家の活用により事実認定等の助言を得るといったことが考えられる。更に、事案によっては調停手続との併用により協議の促進化を図っていくことも考えられるのではないだろうか。
 最後に、相互協議はあくまで権限ある両当局の不断の努力によって紛争が解決されるものである。ADRの活用と合わせて、開発途上国の相互協議に関するキャパシティ・ビルディングに貢献することも我が国にとって中長期的には有益であると考える。


目次

項目 ページ
はじめに 19
第1章 租税条約に基づく相互協議 24
第1節 モデル租税条約の相互協議規定 24
1 モデル租税条約における相互協議規定 24
2 仲裁手続の実施 25
第2節 相互協議の実施状況及び今後の課題 27
1 相互協議の実施状況 27
2 相互協議の改善に向けた取組と今後の課題 30
第3節 小括 33
第2章 国際機関における紛争解決手段に関する議論 36
第1節 EU 37
1 沿革 37
2 EU租税紛争解決指令とADRの活用 39
第2節 OECD 42
1 沿革 42
2 モデル租税条約コメンタリー等におけるADRの活用 45
3 最近の議論 51
第3節 国連 52
1 沿革 53
2 国連ハンドブックにおけるADR 56
3 相互協議における非拘束的なADRの活用における議論 58
第4節 小括 60
1 紛争解決手段をめぐる最近の議論 60
2 ADRの有用性 61
第3章 諸外国の国内紛争解決手段としてのADR 64
第1節 英国 64
1 導入の背景 65
2 概要 65
3 活用のメリット 67
第2節 米国 68
1 導入の背景 68
2 概要 69
3 活用のメリット 71
第3節 その他の国 72
1 ベルギー及びオランダ 72
2 ニュージーランド及び豪州 72
3 メキシコ 74
第4節 小括 74
第4章 我が国の相互協議におけるADRの活用 77
第1節 我が国のADR活用についての考察 77
1 相互協議における改善の必要性 77
2 ADRの有用性とその活用 78
3 活用する際の課題 80
第2節 ADRの具体的な活用に向けた提言 82
1 活用可能な手段の枠組み 82
2 具体的な活用 84
3 ADRの活用とともに 86
第3節 小括 87
結びに代えて 89
別添図表1 我が国の相互協議の状況(繰越事案) 91
別添図表2 非拘束的なADRの特徴 92
別添図表3 諸外国の国内紛争解決手段としてのADR(イメージ図) 95
別添図表4 諸外国の国内紛争解決手段としてのADR(まとめ) 96