錦織 俊介
税務大学校
研究部教育官

要約

VAT/GSTは、経済活動に対する中立性があり、一般に最も優れた一般消費税であるとされている。VAT/GST制度の下で、事業者は、売上げの際に顧客から受け取ったVAT/GSTを国庫に納める一方、仕入れの際に支払ったVAT/GSTを、納める税額から控除(仕入税額控除)することができる。この仕入税額控除制度の存在が、VAT/GSTが中立性の点において優れているとされる理由である。理論上、仕入税額控除が認められる根拠は、対応するVAT/GSTが、取引の前段階において国に納付されることが予定されているからであるといえる。仮に、その予定された納税が行われなかった場合には、国庫にとっては損害となる。これが、VAT/GST制度に存在する大きな問題、納税なき仕入税額控除である。わが国で2023年10月に導入される適格請求書等保存方式(インボイス方式)は、前段階での消費税の納付と仕入税額控除のマッチングを厳密化する制度であるといえ、納税なき仕入税額控除は、今後より強く問題視されるものと考えられる。
 納税なき仕入税額控除を発生させ、国庫から不当に利益を得るものとしてカルーセルスキームがある。カルーセルスキームは、VATの歴史が古いEUで特に大きな問題となっており、EUでは年間500億ユーロの被害が生じているとされる。カルーセルスキームは、事業者間取引(B2B)の循環を作り、その循環取引チェーンの中で、納税義務者と還付を受ける者を生み出し、還付は受ける一方、納税義務者が義務を果たさない(ミッシングトレーダーと呼ばれる。)ことで利益を得ようとするスキームである。このスキームが特に問題である点としては、当初から意図的に納税なき仕入税額控除を生じさせようとしていること、利用する商品等の本来の需要や価格と関係なく取引が行われること、取引の循環が繰り返されることにより理論的には際限なく被害額が大きくなること、犯罪組織等の資金源になる可能性があることなどが挙げられる。
 カルーセルスキームでは、行為者により取引の循環が作られる(狭義のカルーセルスキーム)が、その取引チェーンの中には、善意の第三者が含まれる場合もある。また安定した価格と需要があり国際的に取引されている商品等(例:金地金など)を利用すれば、国外市場で商品等を購入し、国内市場で売却するだけでカルーセルスキームを成立させることもできる(広義のカルーセルスキーム)。日本で数年前から問題になっている金密輸スキームも、この広義のカルーセルスキームに該当するといえる。
 EUでカルーセルスキームが蔓延している大きな原因は、域内のクロスボーダー取引に税関監視が無く、カルーセルスキームが非常にやりやすい状況となっていることと、高いVAT税率にある。ただし、これらはカルーセルスキームが行われるために必須な要素ではない。事実、カルーセルスキームは税関監視がなくなったEU単一市場発足以前から存在していたし、シンガポール、オーストラリア、カナダなどクロスボーダー取引に税関監視があり、VAT/GST税率の比較的低い国でも発生している。また、日本でも金密輸スキームという広義のカルーセルスキームが発生しているという事実がある。さらには、EU各国に大きな被害をもたらしたCO2排出枠を利用したカルーセルスキームのように、無形資産を利用したカルーセルスキームの場合、税関監視が働かないため、EU外でも大きな被害を起こす可能性を秘めている。
 各国は、カルーセルスキームに対し、様々な対抗策を講じている。しかし、国内リバースチャージなどに代表されるそれらの対抗策には、VAT/GSTの長所である中立性を犠牲にしてしまうものも多い。したがって、それらの対抗策は、直面するカルーセルスキームの被害額を見積もり、導入によるデメリットとのバランスを考えて、対象を絞って導入するべきものであるといえる。カルーセルスキームは、EUにおいて、何十年もの間大きな問題であり続けているが、これは、現状では決定的な対抗策が無いという証明でもある。
 10%に引き上げられたとはいえ、日本の消費税率はEU各国に比べればまだ低い水準であり、クロスボーダー取引の税関監視もある日本において、EUに近い状態にまでカルーセルスキームが蔓延してしまうとは考えにくい。しかし、税関監視の有無やVAT/GST税率以外にもカルーセルスキームのリスクが高くなる要素はあるため、日本にそういった特殊な要素が存在すれば、カルーセルスキームが行いやすい国として、犯罪組織からターゲットとされる可能性は十分にあると考えるべきである。特殊な要素とは、例えば、他国に比し罰則が軽い場合、偽造インボイスや無申告などに対する執行体制が十分でない場合なども含まれる。したがって、少なくとも他国と遜色ない執行体制を維持していくことが非常に重要である。その中で、カルーセルスキームが発生した場合にそれを検知する体制も重要であると考える。カルーセルスキームは理論的にはどのような商品等の取引でも可能であるが、ターゲットとなる商品等はある程度特定されている。他国の事例についての情報収集を行い、日本でも同様の事例が発生していないか常に検証する必要はあると思われる。


目次

項目 ページ
はじめに 229
第1章 納税なき仕入税額控除 231
第1節 消費税(VAT/GST)の仕組み 231
1 消費税(VAT/GST)の仕組み 231
2 VAT/GST誕生までの経緯 231
3 小売売上税とVAT/GSTの比較 232
第2節 納税なき仕入税額控除 234
第2章 カルーセルスキーム 236
第1節 カルーセルスキームの概要 236
第2節 カルーセルスキームに関与する者の役割 241
第3節 カルーセルスキームに利用される商品等 245
第4節 カルーセルスキームの行為者 246
第5節 カルーセルスキームのバリエーション 247
1 コントラトレーディング 248
2 偽造インボイス、密輸、商品の偽装など 249
第3章 各国のカルーセルスキーム事例 251
第1節 EU内外のカルーセルスキーム 251
1 EUのカルーセルスキーム 251
2 EU外のカルーセルスキーム 252
第2節 EU(CO2排出枠取引を利用した事例) 252
1 R v Sandeep Singh Dosanjh(Dosanjh事件) 255
2 ドイツ銀行事件 257
第3節 EU(VoIPを利用した事例) 259
1 Broker取引 259
第4節 オーストラリア(金を利用した事例) 262
1 オーストラリアのGST上の金の取扱い 262
2 金を利用したカルーセルスキームの内容 263
第5節 シンガポール 267
1 IRASが公開しているカルーセルスキームの例(1) 267
2 IRASが公開しているカルーセルスキームの例(2) 270
第6節 カナダ 273
1 CRAによるカルーセルスキームの説明 274
2 HMRCとの合同調査事例 275
3 その他の事例 276
第7節 小括 277
第4章 カルーセルスキームへの対抗策 279
第1節 ミッシングトレーダーにVAT/GSTを渡さない 279
1 非課税、免税(ゼロ税率) 279
2 国内リバースチャージ(Domestic Reverse Charge) 281
3 分割納付(Split Payment) 283
4 VAT/GST登録の取消し 284
第2節 ミッシングトレーダー以外に負担させる 287
1 Kittel原則(Kittel Principle/Knowledge Principle) 287
2 連帯納付(Joint and Several Liability) 290
第3節 ミッシングトレーダーを逃がさない 290
1 電子インボイス 291
第4節 小括 292
第5章 日本の金地金密輸スキーム 293
第1節 金地金密輸スキームの内容と事例 293
1 金地金密輸スキームの概要 293
2 金地金密輸スキームが行われる背景 295
3 具体的な事例 295
第2節 これまでの金地金密輸スキーム対策 297
1 ストップ金密輸緊急対策 297
2 仕入税額控除の要件強化(本人確認書類の保存) 298
3 仕入税額控除の制限 299
第3節 金地金密輸スキーム対策の効果と今後 300
おわりに 303