錦織 俊介
税務大学校
研究部教育官
平成27(2015)年度税制改正で、国外転出時課税制度が創設された。国外転出時課税制度は、含み益を有する株式等を保有したまま国外転出し、キャピタル・ゲイン非課税国で売却することによって課税を逃れることなどを防止するための措置とされている。
国外転出時課税制度の対象となっている資産等は、有価証券等の他、未決済信用取引等及び未決済デリバティブ取引であるが、対象資産がこれらに限定されている理由を含め、国外転出時課税制度の意義は必ずしも明確ではない。
そこで本稿では、国外転出時課税制度の意義について検討し、明確に整理することを試みる。また、主要各国の例も比較しながら、あるべき対象資産の範囲について検討を行う。
(1)国外転出時課税制度の意義(第一章)
制度創設時の政府答弁で、佐藤慎一財務省主税局長(当時)は、国外転出時課税制度が包括的所得概念に依拠していることを述べている。包括的所得概念は、人の担税力を増加させる経済的利得は全て所得を構成するという考え方で、反復的・継続的に生ずる利得のみを所得として観念する制限的所得概念と対をなす概念である。日本においては、アメリカ法の影響の下に、包括的所得概念が採用されている。
包括的所得概念の下では、価値の増加益(未実現のキャピタル・ゲイン)も所得であるから、これに課税することには原理上は問題が無いが、資産評価を定期的に行わなければいけないことや、納税者が納税資金をもっていない場合には、納税のために資産の一部を譲渡しなければならないということが起こり得るなどの問題があるため、現実の制度としては、キャピタル・ゲインが実現した機会に課税の対象とする実現主義が採られている。この場合に、キャピタル・ゲインへの課税は、実現の時点まで繰り延べられることになる。
実現主義を貫徹すると、この課税の繰延べを原因とした問題が生じることがある。例えば、シャウプ勧告では「所得税を何代にもわたってずるずるに後らせることを防止する」ために、相続や贈与により資産が移転した場合のみなし譲渡課税制度の導入を勧告している。1950年の税制改正では、このシャウプ勧告どおりのみなし譲渡課税制度が導入されたが、その後の改正で、みなし譲渡課税の対象範囲は少しずつ制限されていき、現行の所得税法59条では、法人への贈与などの場合のみが、みなし譲渡課税の対象となっており、相続や贈与により個人間で移転する限りは、無期限に課税を繰り延べることが可能となっている。
シャウプ勧告では、キャピタル・ゲインの無期限の課税繰延べを問題と指摘していたが、これ以外にも実現主義の貫徹による問題はある。それは、課税権を離脱する行為により生じる。この点を指摘しているものに、1966年のカナダ税制についてのカーター報告がある。カーター報告は、「我々は、カナダの居住者であった期間に蓄積したキャピタル・ゲインに対する課税を、単に外国の居住者になることで逃れられるようにすべきとは考えない。」と述べ、出国時のみなし譲渡課税制度(出国税)の導入を提言している。
カーター報告は、Haig やSimonsの包括的所得概念を引用し、国民の担税力に応じた公平な税制度を提案している。その中で、「納税者がその潜在的な納税義務を、無期限に先送りしたり、永遠に逃れたりすることが可能であれば、それは税の公平原則が侵害されることになる。」と述べている。「無期限に先送り」することには、贈与や相続により課税を繰り延べることが考えられ、「永遠に逃れ」ることには、出国により課税権から離脱することが考えられる。このカーター報告の考え方に沿えば、出国税の意義を、「包括的所得概念に基づきキャピタル・ゲインに課税し、そのキャピタル・ゲインを所得として認識する方法として実現主義を採用する場合、実現主義を貫徹することにより生じる税の不公平を無くすためのみなし譲渡課税制度のうち、課税権から離脱する行為により、潜在的な納税義務を永遠に逃れることを防ぐための制度」と表現することができる。
出国税の意義をこのように表現すると、出国税は、導入国のキャピタル・ゲイン課税制度と整合的である必要があると考えられる。そうでなければ税の不公平が明白に残される結果となるからである。そこで、日本が導入した国外転出時課税制度とキャピタル・ゲイン課税制度を比べてみると、キャピタル・ゲイン課税制度が広く資産一般を対象にしているのに対し、国外転出時課税制度の対象資産が株式等に制限されていることなど、いくつかの点で整合的でないことを指摘できる。
(2)各国のキャピタル・ゲイン課税と出国税(第二章)
出国税の類型には、資産一般を対象とする一般的出国税と、対象を特定の資産に限る制限的出国税がある。また、出国税以外にも、出国により潜在的な納税義務を逃れることを防ぐための制度として、出国後も自国の居住者と同等の納税義務を課すなど、通常の非居住者よりも拡張した納税義務を課す拡張的納税義務の制度や、出国後一定期間内に帰国した場合に、非居住者期間中に実現したキャピタル・ゲインに課税する再入国課税などがある。本稿では、カナダ、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、オランダ、フランス、イギリスについて、各国のキャピタル・ゲイン課税制度と出国税(イギリスは再入国課税)との関係を整理する。
一般的出国税は、カナダ、オーストラリア、アメリカで採用されている。これらの国々に共通するのは、資産一般のキャピタル・ゲイン課税制度を採用している点である。このうちカナダとオーストラリアでは、キャピタル・ゲイン課税制度が導入された際(カナダ:1972年、オーストラリア:1985年)、その一部として出国税が制度化されている。アメリカは、キャピタル・ゲイン課税制度の歴史は古いものの出国税の導入は比較的新しい(2008年)が、これは、アメリカが市民権課税を採用しているといった特殊性、永く拡張的納税義務の制度を採用していて、課税逃れに対応できる制度を有していたことなどを考えれば理解することができる。「出国税」と呼ぶと何か新しい独立した税制度のように聞こえるが、その歴史的経緯を考えると、出国税とは、実現主義を貫徹することにより生じるキャピタル・ゲイン課税制度の不備を補うためのみなし譲渡課税制度の一形態であり、あくまで資産一般を対象にしたキャピタル・ゲイン課税制度の一部として考えるべきものである。
一方、永く制限的所得概念を採用してきたヨーロッパ諸国の出国税は、これらの国とは状況が大きく異なっている。ドイツやオランダは、会社の一定割合以上の持ち分を保有する大株主が出国した場合に、その株式の含み益に課税する制限的出国税を採用している。ドイツやオランダは基本的にキャピタル・ゲイン課税を行わない国であるので、そもそも一般的出国税を採用する必要は無い。両国の出国税は、事業所得などの特定の所得を補完するべく制度化されたもので、対象の資産も(当然のことであるが)その特定の所得の対象資産に限定されている。
また、資産一般を対象とするキャピタル・ゲイン税があるイギリスが採用している再入国課税も、対象資産は資産一般となっており、キャピタル・ゲイン税の対象資産と整合している。
つまり、カナダ、オーストラリア、アメリカ、ドイツ、オランダ、イギリスの出国税(イギリスは再入国課税)について共通していることは、それが既存もしくはそれと同時に導入された制度を補完するものとして存在し、その対象資産は補完する制度と同じであるということである。それを念頭に日本の国外転出時課税制度を考えてみると、対象資産を株式等に限定していることが非常に特異に見えてくる。日本は包括的所得概念を採用し、資産一般のキャピタル・ゲイン課税を行っているのだから、カナダ、オーストラリア、アメリカのような一般的出国税を採用するのが自然な流れであり、そうでなければ補完が不十分で、制度の不備を残してしまう結果となる。制度の不備を残すということは、すなわち課税の不公平や課税逃れの余地を残すということである。
前述の六か国と異なり、キャピタル・ゲイン課税制度と出国税の対象資産が整合的でない国がフランスである。フランスは資産一般のキャピタル・ゲイン課税制度があるものの制限的出国税を採用している。フランスでは、出国税導入後、その対象資産の金額要件などが幾度となく改正され、2019年の改正により、実質的に対象者がかなり絞られてしまう制度となった。これは、2017年に就任したマクロン大統領の意向であり、マクロン大統領は「(出国税を)廃止したい。出国税はフランスの起業家にネガティブなメッセージを送っている。」と発言している。このように、既存制度の補完といった確固たる位置付けが無いと、今後、対象者の要件や対象資産の範囲の改正を検討する際に、簡単に経済政策の犠牲となってしまい、制度が安定しない結果となる恐れもある。
(3)国外転出時課税制度の再検討(第三章)
(1)で整理した出国税の意義と、(2)で紹介した各国の制度比較から考えれば、包括的所得概念に依拠し、資産一般のキャピタル・ゲインに課税を行う制度を採用している日本は、一般的出国税を採用すべきである。カーター報告の表現を引用すれば、それは、日本の居住者であった期間に蓄積したキャピタル・ゲインに対する課税を、単に外国の居住者になることで逃れられるような制度でよいのかという問いかけに対する回答である。
一般的出国税を採用する場合でも、いくつかの資産を制度の対象資産から除外する選択肢もある。出国税が、課税権から離脱する行為による課税逃れを防ぐための制度であるとするならば、出国後もそのキャピタル・ゲインについて日本の課税権が残る資産は、出国税の対象資産に含める必要は無い。未実現の利益に課税すると、資産の評価や納税者の納税資金といった面で問題が出てくる可能性があることを考慮すれば、出国税の対象資産に不必要な資産を含めることは避けるべきである。
しかしながら、不動産化体株式や事業譲渡類似株式のように、国内法上課税権が残っていたとしても、租税条約で規定が置き換わり、日本に課税権が残らない資産も存在する。そこで、例えば所得税法162条(租税条約に異なる定めがある場合の国内源泉所得)のように、租税条約を参照するような規定を置くことを検討してみよう。ここで大きな障壁となるのは、出国先とキャピタル・ゲイン実現時の居住地が同じであるとは限らないことである。つまり、出国時点では実現時にどの租税条約が適用されるのかが未確定であり、参照する租税条約を特定できないため、そのような規定を置くことは現実的に困難なのである。したがって、課税逃れを防ぐという目的を考えると、対象資産から除外しても問題の無い資産は、国内法上、国内源泉所得の基因となる資産であって、かつ、日本が結ぶ全ての国との租税条約においても日本に課税権が留保されている資産、例えば日本国内に所在する不動産などに限定されることとなる。更に、居住者と非居住者では課税方法に差異がある点や、出国後の執行の困難性まで考えれば、基本的にはキャピタル・ゲイン課税の対象となっている資産は、出国税の対象から外さない方がよいであろう。
また、出国税の対象資産を、単純に譲渡所得の対象資産と同じとしてしまうとその効果は十分ではない。例えば、暗号資産のように譲渡所得の基因とならない資産であっても、制度の対象とすべき資産は存在するのである。
租税制度は、市場経済への影響、執行可能性やその効率性なども考慮し決定する必要があることは言うまでもないが、それらに優先する基本原則として租税公平主義がある。所得税制度全体が公平な制度であるよう設計されることが優先されるのであって、出国税も公平性を害さないようにその中に整合的に存在しなければならないのである。公平性を阻害する例外的な取扱いには、それが許されるだけの合理的な理由を必要とする。出国税に関していえば、対象資産を限定するのであれば、所得税法がキャピタル・ゲイン課税の対象資産を限定的に規定していない以上、限定することについての合理的な理由が必要なのである。その理由が無い限り、日本の所得税制度と整合的な一般的出国税を採用することが、最も有力な選択肢なのではないだろうか。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 254 |
第1章 国外転出時課税制度の意義 | 258 |
第1節 包括的所得概念と実現主義 | 258 |
1 取得型所得概念 | 258 |
2 制限的所得概念と包括的所得概念 | 259 |
3 包括的所得概念とキャピタル・ゲイン課税 | 260 |
4 キャピタル・ゲイン課税と実現主義 | 260 |
第2節 日本のキャピタル・ゲイン課税とみなし譲渡課税 | 262 |
1 包括的なキャピタル・ゲイン課税制度の成立 | 262 |
2 みなし譲渡課税制度の創設(シャウプ税制) | 263 |
3 シャウプ税制以後のみなし譲渡課税制度 | 264 |
4 現行のみなし譲渡課税制度 | 265 |
第3節 実現主義の貫徹から生ずる問題点 | 266 |
1 相続・贈与による無期限の課税繰延べ | 266 |
2 課税権からの離脱による永遠の課税逃れ | 267 |
第4節 小括 | 269 |
第2章 各国のキャピタル・ゲイン課税と出国税 | 272 |
第1節 出国による課税逃れを防ぐための制度の類型 | 272 |
1 一般的出国税 | 272 |
2 制限的出国税 | 272 |
3 無制限の拡張的納税義務 | 273 |
4 制限的な拡張的納税義務 | 273 |
5 租税上の控除の取戻し | 273 |
6 その他 | 274 |
第2節 カナダ | 274 |
1 キャピタル・ゲイン課税と出国税の沿革 | 274 |
2 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 275 |
3 出国税制度の概要 | 276 |
4 小括 | 276 |
第3節 オーストラリア | 277 |
1 キャピタル・ゲイン課税と出国税の沿革 | 277 |
2 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 278 |
3 出国税制度の概要 | 279 |
4 小括 | 279 |
第4節 アメリカ | 280 |
1 キャピタル・ゲイン課税と出国税の沿革 | 280 |
2 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 281 |
3 出国税制度の概要 | 282 |
4 小括 | 283 |
第5節 ドイツ | 284 |
1 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 284 |
2 出国税制度の沿革と概要 | 284 |
3 小括 | 285 |
第6節 オランダ | 286 |
1 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 286 |
2 出国税制度の沿革と概要 | 286 |
3 小括 | 287 |
第7節 フランス | 287 |
1 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 287 |
2 出国税制度の沿革と概要 | 287 |
3 小括 | 289 |
第8節 イギリス | 289 |
1 キャピタル・ゲイン課税の沿革 | 289 |
2 キャピタル・ゲイン課税制度の概要 | 290 |
3 再入国課税の概要 | 291 |
4 小括 | 291 |
第9節 小括 | 292 |
第3章 国外転出時課税制度の再検討 | 294 |
第1節 一般的出国税の提言 | 294 |
第2節 対象から除外する資産 | 295 |
1 主要国の例 | 295 |
2 国内源泉所得の基因となる資産と租税条約 | 297 |
3 ストックオプションについて | 299 |
4 課税権以外の視点 | 301 |
5 小括 | 301 |
第3節 譲渡所得の基因とならない資産等 | 302 |
1 未決済信用取引等と未決済デリバティブ取引 | 302 |
2 外貨 | 304 |
3 暗号資産 | 305 |
4 小括 | 308 |
おわりに | 310 |