今中 善明

税務大学校
租税理論研究室助教授


はじめに

 近時、社会資本の充実の問題、土地の値上りないし投機行為の防止の問題、その他各種の問題に関連して税制をめぐっての活発な議論がかわされ、同時に税に対する一般の関心も高まりをみせてきているところであるが、一方においては、租税回避がなかなかにあとをたたず、しばしば新聞紙上をにぎわしていることも事実である。
国民である以上、法律の定めるところによって納税の義務を負うものであり、租税による国の財源が確保されてこそ国の維持、発展が期待されるものであることはなにびとも否定しえないところであるが、それにもかかわらず納税を回避するような行為があるとすれば、それは究極において自らの手によって自らを否定することにつながるものといわなければならない。
こんご財政の果す役割がいよいよ増大していくことが予測されることに思いをいたすとき、改めて、租税とは果してなんであるか、そして租税を免れるということはなにを意味するのか、また、租税犯に対して懲役刑という厳罰まで科すこととしているゆえんのものはなんであるかなどについて考えなおしてみることも決して無意味ではないであろう。この意味において、本稿は、各種の意見をとりいれながら、あるいは制度の歴史的沿革をたどりながら、租税および租税罰則の現代的意義、租税犯の自然犯化の傾向等について論じるとともに、現行の租税犯に対する処分制度、特に間接国税における通告処分制度について若干の考察を試みたものである。

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