荻野 豊

国税庁直税部審理課
税大研究科第1期生


序説

 1 所得税・法人税が国家財政に占めている地位の重要性は、いまさら論ずるまでもないことである。所得を課税物件とするこの二税を考察する場合には、納税者または第三者の協力が常に問題となる。この事情は、法制度を定立する場面にあっても、法制度を執行運営する場面にあっても、同様である。所得課税の制度は納税協力をぬきにしては成り立ちえないといっても、けっして過言ではない。
さて、納税協力ということばの意味ないし範囲は、必ずしも一義的に定まっているというわけではない。納税者または第三者が課税手続のなかで課税権者である国に協力する行動の一切をいう、すなわち、ある場合には国の税務行政活動の客体となってあらわれ、またある場合には行政手続の能動的主体となってあらわれる国民の行動のすべてをいうものとすれば、問題領域は著しくひろいわけである(注1)。本稿は、その問題領域のほんの一端を考察するものにすぎない。関連する問題までとりあげるとすれば、たとえば、広報・教育・税理士・査察など、ほとんど税務行政の全域にわたるであろう。それは、とうてい筆者の能力の及ぶところではない。

 2 それにもかかわらず、あえて納税協力の問題をとりあげようとするのは、次のような事情からである。
近時、納税非協力者の存在は、税務行政において看過できない重大な問題となっている。そこでは、税務職員の質問検査権の行使の限界が鋭い議論の対象になっている。他方、所得の捕捉について、いわゆるクロヨン(9・6・4)の批判を生じ、ゆゆしい社会問題となっている。さらに、社会の構造はますます大衆化の度を加え、大量消費経済は一層進展しつつある。これを税務行政の側面からみると、納税人口は次第に増加し、所得税・法人税の普遍化・大衆化の途をたどる一方、所得の発生原因たる経済取引は大量かつ複雑化し、その情報は量的に拡大するかたわら、質的ないし密度的には稀薄になる傾向を示しつつある。
これらの問題は、いずれも納税協力に関連する問題である。
そこで、本稿では、税務行政の運営の面ではもとよりのこと、税務行政に関わる法的諸問題を考察するにあたっても、それはもはや当然のことではあるが、納税協力の重要性を再確認する必要があることを中心とし、納税協力には国民が行政活動の客体としてあらわれる側面と国民なかんづく納税者が能動的主体としてあらわれる側面とがあることを指摘し、その後者が従来にもまして重要な地位を占めつつあることを示唆しようとした。
納税協力の確保を租税手続法を考察する視座に据えるということは、課税手続−所得認定手続−における納税者の主体的役割を単に行政の効率的ないし円滑な運営という面のみではなく、法的に評価することでなければならないと考えられたのである。

 3 ここで、筆者がこのような問題意識をもつに至った契機について、言及しておきたい。
筆者は、かつて課税所得の立証の問題を考察し(昭和40年度税務大学校研究科論文集、第3分冊所収・拙稿「課税所得の立証について」)、さらに、所得の認定を争う訴訟の審理の方法ないし審理の対象の問題に論及したことがある(昭和40年度税務大学校論叢創刊号所収、拙稿「所得の認定を争う訴訟について」)。そこでの議論の中心は、白石判事(注2)、町田判事(注3)、雄川教授(注4)の見解に刺激されて課税所得の認定における推計(間接事実からする所得の認定)の不可避性を前提とし、行政と司法の分業と協同の理念に基づきつつ、課税処分取消訴訟における訴訟物は所得認定手続の合理性であるとする理論を分析し、その理論のもつ従来の理論との連続的側面と不連続的側面とを明らかにしようとすることにあった。
また、そこでの結論は、課税処分取消訴訟における証明の主題は、民事訴訟における事実上の推定の理論のアナロジーとして、所得認定の基礎となるべき間接事実の証明と所得認定法則(経験則)の証明とであり、所得認定方法の合理性は、課税手続における納税者の協力との相関関係において、尽さるべき調査の程度の問題として理解されるべきであり、訴訟の場面における主張の制限は、課税手続における攻撃防禦の機会の付与との相関関係において考察しようとするものであった。このような見解は、いわゆる審決の司法審査の理論(注5)にも似た「行政処分の司法審査の手続的アプローチ(注6)」の一環であり、これを公定力本質論として位置づければ、行政と司法の機能を有機的に関連づける点において、具体法実在性説(注7)に類似するものであった。
以上のような分析を通じて、筆者は、このような理論が照応しうる場面として、行政手続−所得認定手続−における当事者の役割−攻撃防禦−を法手続的に保障した制度とその運用を必要とし、そして、その問題の考察に当っては、単に制度の静態的側面の分析にとどまらず、その動態的側面、なかんづく法の主体的側面(注8)にも目を注がねばならないことに想到したのである。
筆者は、税務訴訟における重要な問題−たとえば、裁決取消訴訟の問題(注9)、訴訟物の問題(注10)、質問検査の問題(注11)、各種所得間の把握差の問題(注12)−に当面して、それらの多くは、従来、職権主義的な運営がなされてきた課税手続(不服審査手続を含む。)において、当事者主義的運営がどのように加味さるべきかが問題になる場面であったとみることができると考えたのである。
さらに、昭和45年5月、国税通則法の改正とこれに伴う国税不服審判所の設置によつて、前叙の理論の前提となる制度的基盤は一層の前進をみたのであり、今こそより一層課税手続の公正・充実を図る理論が求められているのである。

 4 ただ、本稿は、筆者の前叙の問題意識に基づきつつ、課税手続における当事者の役割と責任の問題を残らず説き明かすものではない。筆者がさきにあらわした二つの論稿の後をうけて、訴訟の場面に限定しないで、より一般的な主題として、納税協力をとりあげたにすぎない。また、限られた紙数の中で、二年間の研究と思索の結果を、いわば今後の研究の道標として、結論をはっきり提示する目的のために、本稿の構成も、筆者の研究の歩みが訴訟手続から不服審査手続、原処分手続へと遡っていったのとは全く逆に、納税申告から順次訴訟へ及ぶ構成をとっている。
この問題の研究の完成には、税法学、行政法学および訴訟法学のみならず、財政学、行政学、社会学、心理学等の隣接諸科学の知識を必要としよう(注13)。筆者には、その多くが欠けている。また、本稿の議論は、立法論または運用論との批判もあろう。しかし、そもそもの契機 となった訴訟物論そのものが、どのような訴訟構造を構築するかという、多分にイデオロギー的性格をもつもの(注14)であるだけに、また、本稿が課税手続の一端を荷う筆者自身に宛てた筆者の主体的責任の自覚を吐露するものであってみれば、そのような批判も甘受せねばなるまい。

〔注〕

(1) たとえば、シャウプ使節団日本税制報告書は、「第14章所得税における納税協力、税務行政の執行ならびに訴願」 の標題の下に、目標制度、推計税額の申告、源泉徴収、税の申告および支払、農業所得の課税および徴税、更正決定、更正決定に対する納税者の異議申立権、訴訟、罰則、簡素化、人事、会計の役割、同業組合、納税に対する学究的関心を論じている(財政別冊・昭和24年9月187頁以下によった)。 本文に戻る

(2) 白石健三・税務訴訟の特質・税理7巻12号(1964年11月)8頁以下。 本文に戻る

(3) 町田顕・税法事件の審理について・判例タイムズ201号174頁。 本文に戻る

(4) 雄川一郎・行政訴訟の動向・岩波講座現代法5巻123頁以下。 本文に戻る

(5) 兼子一・審決の司法審査・訴訟と裁判(岩松裁判官還暦記念論文集)457頁以下。なお、雄川一郎・司法審査に関する一問題・裁判法の諸問題(兼子博士還暦記念)下巻529頁以下参照。 本文に戻る

(6) 白石健三外・行政事件訴訟の審理をめぐる実務上の諸問題・研究会6・判例タイムズ175号17頁以下、白石健三・行政事件訴訟のあり方・判例時報428号3頁以下。 本文に戻る

(7) 兼子仁・行政行為の公定力の理論(改訂版)324頁以下。なお、公定力本質論としての具体法実在性説は、兼子一博士の既判力本質論としての具体法実在性説の系譜をひくものであるが、けっして法現象的考察にとどまるものではなく、実定制度における行政手続の整備のあり方(当事者の審問手続のあり方)と照応して公権力の作用の法的コントロールを図るという意味で、すぐれて機能的な考察方法であるといってよい。この点につき、兼子仁・同書320頁以下参照。 本文に戻る

(8) このような法制度の考察方法について、三ケ月章・法の客体的側面と主体的側面・民事訴訟法研究4巻1頁以下、同・訴訟・経営法学全集19巻1頁、木川統一郎・新訴訟物理論批判・判例タイムズ188号2頁以下、田辺公二・民事訴訟の動態と背景。 本文に戻る

(9) その一事例として、大阪地裁・昭和44年6月26日判決・行集20巻5・6合併号769頁をみよ。 本文に戻る

(10) 税務訴訟の訴訟物の問題は、その審理方法の改善方策として、多く実務家によって、議論されている。従来の通説に挑戦するものに、白石・前掲(注2に掲げたもの)、町田・前掲(注3に掲げたもの)、杉本良吉・行政事件訴訟の遅延・法律時報30巻11号16頁以下、同・裁判の今日的課題(行政事件訴訟)・判例時報465号6頁以下、同・行政事件訴訟における裁判所の役割・法学セミナー1969年3月号2頁以下、山田二郎=畦地靖郎・税務訴訟と裁判所・法律時報39巻10号34頁以下、白石外・前掲(注6に掲げたもの)研究会2・判例タイムズ168号2頁以下。また、そのような裁判例として、東京地裁・昭和38年10月30日判決・行集14巻10号1766頁。
これらの見解の背後には、租税事件については、事件の争点を整理する機会として不服申立前置の制度がとられているにもかかわらず、不服申立制度がそのような機能を必ずしも果していないという現状認識があり、このような現状に対する鋭い批判がこめられているとみられる。
これに対し、通説的立場からする反論として、川村俊雄・所得額の確定に関する課税所得の取消し・税務弘報1967年8月号105頁以下、緒方節郎・課税処分取消訴訟の訴訟物・実務民事訴訟講座9巻1頁以下、藤井勲・課税処分の適法性の立証方法について・司法研修所論集1970年2号76貢以下。
なお、裁判官研究会の記録・税務訴訟における諸問題・司法研修所論集1968年3号119頁以下、村井正・税法上の抗告訴訟の訴訟物・税法学200号100頁以下参照。
次に、行政事件訴訟一般について、注6に掲げたもののほか、浜秀和・行政訴訟の審理方式についての若干の感想・判例時報479号5頁以下、町田顕・通達と行政事件訴訟・司法研修所論集1968年2号29頁以下、高林克巳・暇疵ある行政行為の転換と処分理由の追加・法曹時報21巻4号1頁以下、田中二郎・抗告訴訟の本質・裁判と法(菊井先生献呈論集)下巻1135頁以下。 本文に戻る

(11) その一事例として東京地裁・昭和44年6月25日判決・判例時報565号46頁をみよ。 本文に戻る

(12) 給与所得者は、他の所得者に比し相対的に重い税負担を余儀されているとして所得税法の違憲無効を争う訴訟として、大島正同志社大学教授が提起した京都地裁昭和41年(行ウ)第10号事件がある。これにつき、ジュリスト419号に掲げられた諸論稿参照。 本文に戻る

(13) たとえば、R・クード・個人所得税(塩崎潤訳)30頁以下では納税協力の観点から、発生所得に対する課税には、個人消費と純資産の両方に関する資料が必要であり、これと実現所得に対する課税、支出税および資産税との執行の難易を比較している。また、G・シュメルダース・財政政策(山口忠夫訳)295頁以下は、財政の膨張(課税の増大)が租税抵抗の増大(租税忌避と脱税)によって一定の限界をもつことを論じており、同・租税の一般理論(中村英雄訳)110頁以下は、租税意識や租税道徳によって課税に心理的限界があるという。 本文に戻る

(14) 三ケ月章・訴訟物理論における連続と不連続・民事訴訟法研究3巻72頁。 本文に戻る

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