【答え】

1. 蒸気船

【解説】

通行税は日露戦争の財源確保を目的とした非常特別税法の一税目として明治38(1905)年に制定されました。この税は汽車、電車および汽船の運賃に対して、一定額を課税するものでした。
 通行税は税法で規定した乗り物にのみ課税する税金であったため、「汽車、電車および汽船」をどのように定義するかが非常に難しい問題となりました。なぜなら、通行税が存在していた明治末から大正にかけては交通機関の発展が著しく、法律制定当時には普及していなかった交通機関が次々に出現したからです。その定義に当たっては、しばしば動力の種類が基準とされました。
 明治時代初期には船の動力と言えば、蒸気力しかありませんでしたが、明治時代後期になると、焼玉式エンジンやディーゼルエンジンなどの石油発動機が登場しました。
 石油発動機は通行税が作られた1900年代にはようやく普及が始まったばかりの新技術でしたが、焼玉エンジンが渡船などの小型船に広まり、1920年代にはディーゼルエンジンが客船や軍艦などの大型船舶に採用されるなど、石油発動機の普及が進みました。
 こうした石油発動機の普及を受けて、明治41(1908)年に大蔵省主税局は「石油発動機に依り運転する船車の乗客に対しては通行税を課すべきものに無之候」と通達を出しました。この通達により、通行税法上の課税対象である汽船は蒸気船に限られることとなりました。
 また、汽船の場合と同様に客車に石油発動機を装備した鉄道車両(ディーゼルカーやガソリンカーなど)についても、通行税は課されないという扱いになりました。
 このように新しい交通機関に対して課税できないという問題は、従来の鉄道や汽船の利用者との間に不公平を生じさせる通行税の構造的問題とされ、特に乗合自動車(バス)とタクシーに課税できないことが大きな問題とされました。
 通行税が存在した明治38(1905)年から大正15(1926)年にかけては、日本の近代交通が大きく飛躍した時期でした。海上交通では本州と九州を結ぶ関門連絡船、本州と四国を結ぶ宇高連絡船、本州と北海道を結ぶ青函連絡船が整備され、それらと鉄道を結び付けた幹線交通網が確立した時期でもありました。とはいえ通勤などで日常的に利用される汽車、電車と比べると、汽船の利用は少なく、大正14(1925)年度の通行税収入の内訳を見ると、電車が55%、汽車が44%を占める一方、汽船からの通行税収入はわずか1%に過ぎませんでした。
 なお、昭和13(1938)年に支那事変特別税法によって通行税が復活し、石油発動機搭載の船舶や鉄道車両も課税対象に加えられました。

(2026年10月 研究調査員 菅沼明弘)