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【答え】
3 警察署
【解説】
明治時代の後半になると、所得税や営業税などの納税者が増加し、租税や会計などの素養がある人が、税務の代理業を営むようになりました。彼らは、東日本では「税務代理業者」、西日本では「税務代弁者」と呼ばれていました。しかし、当時は許可制度がなく、誰でもなれたため、中には、理由なく審査請求を起こして税務官庁との紛争を煽動したり、不当な解決報酬を要求したりする者が都市部を中心に現れました。
そこで、明治45(1902)年に大阪府は、大阪税務代弁者取締規則という条例を制定しました。
この条例では、「他人ノ委任ヲ受ケ税務ニ関シ当該公務所ニ対シ願届申立其他ノ手続ノ代弁ヲ業トスルモノ」を税務代弁者とし、税務代弁者となるには、本籍、住所、氏名、生年月日、経歴の大要などを所轄警察署へ届け出、免許証を受けることとされました。また、報酬に関する規定も、管轄警察署を通して大阪府庁へ届け出、認可を受けることと定められていました。
出願する者のうち、公安等を害する恐れがある者には免許が出されませんでした。その他、税務に関する会を組織したり、事件の代弁を勧誘すること、認可外の報酬を受けたり要求すること、税務代弁者以外の者が代弁事務を行うことなどを禁止していました。
税務代理を業務とする人たちは、大阪だけでなく他の都市部でも営業していたため、地方行政や警察行政を管轄していた内務省と、税務行政を管轄していた大蔵省の両次官連名で、全国の知事に対し、必要がある場合は大阪府同様の取締りを行うよう通知し、各地の実情に応じて条例を制定して対応していく形になりました。
条例による規制は始まりましたが、全国統一の法律がなかったため、十分な監督が全国に及ばないという問題がありました。そのため、昭和17年の税務代理士法で、税務代理業者の資格を限定し、大蔵省を監督官庁として、許可制度とすることとなりました。税務代理士の資格は、弁護士、計理士(公認会計士の前身)、国税の事務につき一定の経験を持つ者、租税又は会計についての学識経験を有する者等に限り、さらに、税務代理士になるためには、所轄税務署長を通じて大蔵大臣へ申請し、大蔵大臣下の銓衡委員会での選考を経て、大蔵大臣の許可を得ることとされたのです。
そして、戦後、民主化が推進されていく中、昭和26(1951)年には、素質と地位の向上を図るため、試験制度と登録制度を導入した税理士法が新たに制定されました。
(2025年2月 研究調査員 今村 千文)