【答え】

2.6割

【解説】

江戸幕府の財源は、幕府直轄領からの年貢収入、長崎貿易の収入、鉱山開発や貨幣改鋳による収益などがありました。このうち、年貢収入が幕府財政の基盤でした。
 吉宗の改革は、倹約で支出を抑えながら、定免法の採用や新田開発の奨励を行いました。そのため、幕府財政の再建は一時的に成功し、幕府直轄領の石高も増えました。吉宗が将軍に就任した1716年は408万石でしたが、将軍引退の前年(1744年)は1割以上増加して463万石になりました。これは江戸時代を通じて最高値でした。
 享保15(1730)年の幕府財政にみると、歳入全体が約80万両で、そのうち年貢収入は約50万両でした。これは歳入全体の63.7%で「6割」に相当します。その他の歳入としては、米価調節のために行われた米売払代で約10万両(13.5%)、長崎貿易の収入5万5000両(6.9%)等がありましたが、年貢収入が圧倒的な比重を占めていたことが分かります。
 ところが、江戸時代後期の1843年には、幕府財政における年貢収入の割合は、39.1%と約4割に低下しました。これは、幕府の財政規模が約150万両と増加したことと、年貢収入が限界に達したためでした。

(2023年4月 研究調査員 吉川紗里矢)