NETWORK租税史料
 今回は、岐阜県関市の富本町納税貯蓄組合で使用されていた納税貯金箱などを紹介します。納税貯蓄組合は、昭和26(1951)年の納税貯蓄組合法で組織された、納税のための団体で、全国各地に設立されました。かつては納税貯金箱を各組合が作成して、組合員間を巡回・集金していました。この納税貯金箱は組合ごとに独自で作成していたらしく、現在租税史料室が所蔵している貯金箱にも材料や形状などに一つ一つ個性があります。
 租税史料室では、納税貯金箱を複数所蔵していますが、富本町納税貯蓄組合で使用されていた納税貯金箱が他の納税貯金箱と異なる点は、納税貯蓄組合自体に関する史料も一緒に寄贈されている点です。納税貯金箱と一緒に、組合長のインタビューが掲載された記事や納税貯蓄組合の印鑑など様々な関連史料が所蔵されているため、史料の使い方や組合の成立過程など多くのことが分かります。

(写真1)

(写真2)

(写真3)

(写真4)
 最初に【写真1】の納税貯金箱本体を見てみましょう。この納税貯金箱は真鍮製の本体とガラス板でできており、組合員が貯金箱の中身を確認することができるよう工夫がされています。内部は組合員それぞれに区分けされており、他の組合員と間違えないようにできています。組合長のインタビュー記事によると、富本町納税貯蓄組合ではこの納税貯金箱を用いて月6回の頻度で集金していたそうです。
 【写真2】は当組合が使用していた組合長印です。「関町富本町納税組合長之印」の文字を読み取ることができます。組合長のインタビュー記事によると、この印は所属組合員用の通帳で用いる印鑑として使用されていたようです。富本町納税貯蓄組合では、集金したお金を貯金する銀行口座を組合員ごとに作成して管理していました。その通帳は組合長が一括して管理しており、その印鑑も共用で組合長印を使用していました。
 この他にも富本町納税貯蓄組合では会員の家に付けるプレート型の組合員章【写真3】や、結成10周年記念式典の案内状【写真4】など、納税貯蓄組合とその前身となった納税組合に関する貴重な史料が複数確認できます。
 冒頭で、納税貯蓄組合は納税貯蓄組合法ができた昭和26(1951)年に組織されたことを述べましたが、その前身組織となる納税組合は戦前から存在していました。納税組合は任意団体として明治時代中期から各地で組織され、それぞれ活動を行っていました。昭和18(1943)年に成立した納税施設法によって、納税組合を含む納税団体に初めて法的な根拠が与えられました。
 富本町納税貯蓄組合の前身となる納税組合の設立は、納税施設法成立よりも前、昭和12(1937)年まで遡ります。組合長のインタビュー記事によると、富本町の納税組合は「納税報国」を合言葉に設立されたとのことです。全国納税貯蓄組合連合会が発行した『納税貯蓄組合25年の歩み』によると、昭和12年(1937)年には全国に約23万もの納税団体が存在したとされています。
 納税施設法は、戦後の昭和22(1947)年11月に、GHQの指示によって廃止され、昭和26(1951)年に改めて納税貯蓄組合法が作られました。富本町の納税組合も昭和22(1947)年11月から昭和28(1953)年9月まで、貯蓄を中断していた時期がありましたが、その背景にはこのような納税団体全体に関わる社会的背景が影響していた可能性も考えられます。そして戦後に納税貯蓄組合として再編成されたのではないかと思われます。
 この納税貯金箱と関連史料群は、戦中・戦後の納税を巡る活動について詳細な情報を私たちに伝えてくれています。

(2024年11月 研究調査員 菅沼 明弘)