NETWORK租税史料
税金の輪
『税金の論』表紙
税金の輪
『税金の論』表紙裏
 今回紹介する史料は、岡軌光(おかのりみつ)が、山田(戸田)十畝(やまだじっぽ)の演説をまとめて、明治12(1879)年7月に刊行した『税金の論』です。
 編集人の岡軌光(嘉永6〜明治19年)と著者の山田十畝(嘉永4〜明治30年)は、「東洋大日本国国憲按」を起草した立志社の植木枝盛(安政4〜明治25年)と活動を共にした大阪の民権運動家です。明治11(1878)年から12年にかけて、二人は大阪で民権結社交誼社のメンバーとして精力的に演説を中心として民権運動に取り組んでいました。また、二人は同地での演説のほか、世界各国の政治体制を紹介した『各国政治適略』などの著書も刊行していました。
 『税金の論』は、明治11年の「地方三新法」(「郡区町村編成法」「府県会規則」「地方税規則」)の制定を受けて書かれたものでした。地域住民の代表である府県会は地方税の使途と徴収方法を決定することとされましたが、議案発案権や原案執行権(議案が否決された場合に原案どおり執行すること)は府令・県令にありました。府県会の権限が制限されている以上、民衆が負担した税の使途である政策については民衆自身が目を光らせ、不当な使途には行政への建白で対抗することを山田は促していました。
 更に、山田は地方税の使途を監視する役割を民衆に期待し、府県会で議決される地方税を財源とする福祉政策も「為政者による恩典」ではなく、民衆の当然の権利と訴えました。
 山田の考えは、民衆に税の使途に関心を持たせ、府県の政策についても参政意識を促すものでした。それと同時に、江戸時代から続く村を単位とした利害領域の意識を府県単位へと押し広げようとするものでした。
 政治に無関心だった民衆の多くに政治への参加意識を促し、民衆の役割と権利を明確化していくことに、山田をはじめとした民権運動家たちの活動の歴史的意義があったのです。
 この本が出版された前後は、西南戦争が終わり、士族たちの政府批判の方法が武力による士族反乱から言論を用いた民権運動へと転換を迎える時期でした。全国には岡や山田と同じように言論によって民衆に参政意識を植え付け、自分たちの手で国会開設の主導権を握ろうとする士族たちの民権運動が盛り上がっていました。
 こうした民権運動が華やかなりし明治11年に、岡が発起人の一人となり、交誼社は誕生したとみられます。国会開設を目標としながら、多くの民権結社は政治演説会以外にも、法律相談、貧民救助、府県会支援、憲法草案起草など多岐にわたる活動を通して民衆の福祉増進を訴えていました。交誼社もほかの民権結社と同様で、政治演説会のほか、代言業(現在でいうところの弁護士活動)も手掛けていました。しかし、交誼社のメンバーの中には武力による政府転覆を求めるような過激な政治演説をする人物が多くいたこともあり、植木枝盛ら主要なメンバーが脱退、次第に活動は停滞し、明治12年12月に解散しました。
 『税金の論』は、全12頁からなる小冊子ですが、最初の数頁には刊行当時の地方税の概略が述べられており、地租の一部が地方税となること、他にも地方税には営業雑種税や一戸を構えるものに賦課される戸数割があることなどが記されています。そのため、民間人による最初期の税の解説書という側面もありました。
 この史料は、府県会設置を機に政治への関心を民衆に広く促すという典型的な民権運動家像を示唆したものですが、江戸から明治へ時代が移り変わる中で、税が参政意識と密接不可分であったことが、垣間見える貴重な史料といえます。

(2023年5月 研究調査員 大庭裕介)