岡本氏
 多分、おっしゃるとおりだと思います。極端に言えば本当に高いお酒は買わなくなるだろうし、それはたばこでもそうなんですよね。多分、今議論によく出ますけれども、例えば1本につき1円とか、そうすると必ず販売の量が減りますね。
 これはアメリカでもそれをやろうとして、クリントン政権のときに結局実現しなかったのですけれども、かなりクリントン政権のときに上がってきまして、彼は1箱1ドル上げたいとか、そういうふうなことが言ったのですが、すごく反対が強かったと。だから、当然、お酒もたばこもそうですけれども、やはり値段が高ければ当然量が減るだろうと。そういう意味からいけば今、価格を下げる教唆みたいなことをやっているのは、おっしゃるとおり、本来ならば量はもっとふえていいのですけれども、実際はもう、伺っていると1人当たりのお酒の量は減っているということで、僕もそこのところはちょっと違うと思うのですけれども。
 基本的には、値段が上がれば量は減ってくると思いますし、とりわけお金を持っていない方なんかも含めて、量は当然減るだろうと考えられます。

奥村座長
 では今、価格が安いのは、何か自由化規制緩和と関係があるかどうかと。たくさん売る店がいっぱいできているからとか、メーカーの方は何か自由化規制緩和で、たくさん設備投資してしまって供給し過ぎているからだ、というふうに次は結びつけられるかどうかということなのですけれども。
 お酒の値段がすごく乱売競争、シェア競争みたいになってきたというのは、割合最近の展開ですか、10年ぐらい前は余り見られなかったけれどもということですね。そこは寺沢先生のご専門でいらっしゃいますか。

寺沢氏
 酒のディスカウンターの数が多くなってきたころから、そういう傾向は顕著になりましたね。ただ、一般酒販店の状況を見ますと、すべてがそうじゃないのですけれども、自らディスカウントして、販売しているという一般酒販店がたくさんあります。それはなぜかと聞いていきますと、「いや、うちはお酒の売り上げ300万しかないんだよ」と。「どうやって生活しているのですか」と言うと、「息子がサラリーマンだから、それで生活しています」と言う小売店がいっぱいあるわけですね。「だから、そこで儲けが出なくてもいいんです」と。「免許を維持するということが非常に大事なんです」というふうな説明をしてくると。そうすると、競争があって価格が下の方へ引っ張られるということだけで、一般酒販店の経営実態をもうちょっと克明に見ていかないと、やはり手を打つことというのは非常に難しいだろうというふうに思います。

跡田氏
 また経済学者的にお話ししますが、もともとのマーケットが歪んでいたというのが、先に議論としてはあるのではないかなと思います。
 要するに再販価格なんかという制度を持っていて、価格を安定化させるというような形の政策をずっととってきたわけです。その中で一定の販売量を保つというか、事業者は、お酒の方をある程度の人たちが飲みたいというものがあるので、どんなに価格が高くても一定量が売れていたというのが先にありまして、それを自由化をするという形で起こったことが、これが乱売とか、何か歪んで出てきたとかというふうにとらえるのは、経済学的に考えると逆ですね。正常な姿に今戻りつつあると。確かに価格が非常に安いものも出始めていますけれども、これは流通のおかしさというものと、それから税のすごく歪みが、今逆にうまいことで有名かならしくて、安いビールらしきものが出ているわけなのですけれども、それでも一種の歪んだマーケットが今正常になりつつあるところなので、やはりとらえ方としては、余り価格が下がったからといって需要が伸び過ぎているとかですね、スーパーさんとかチェーンストアさんが出てきて、何か販売量を歪めているというふうには余りとらない方がいいのではないかと。むしろ、本来こういう姿があってもよかったものが、今までずっと何か規制されていて歪んでいたと。
 だから、こっちへ来たからもう1回元へ戻そうという、これはもう日本経済が逆を向いてしまいますので、むしろ自由になっていく中で何をしたらいいか、というふうに議論をしていただけたら経済学者としてはいいなと。だから何をしたらいいかというのは余りないのですけれども。
 私自身は、先ほど井岸先生とか岡本先生かどうかわからないんですけど、基本的には販売者がやはり年齢だけはチェックするというのを最低限、全国津々浦々まで行き渡るとすると。そして、やはり余りにもおかしなことが起こるであろう地域というのは、大体わかるんじゃないかと思うんですね。東京都の中でもこの辺の地域だというあたりは、霞が関はやってはないと思いませんけれども、やはり盛り場の近くや何かのところというのは、やはりかなりの規制をかけてもいいというような問題になると思うので、こういうのはやはり東京都がやればいいことだと思うんですね。国税庁さんが「いちいちあなたのところでやれ」とか、全国細かくやるのではなくて、地域できちんと自分たちの中でどこできちんとやるか、こっちの方はもう適当にやろうと。こっちを緩めたら、「だあっとみんなオートバイで買いにきちゃったとか」と言ったら、またこっちをやったらいいわけですから、細かいところはやはりローカルに任せた方がいいと。最低限のところだけをやはりこういう場でお決めになったらどうかと。

奥村座長
 ほかのご意見はいかがでしょうか。
 お酒の値段にかかわる事柄を一貫した論理の中へ入れてくるのはかなり困難な仕事になってきて、今、跡田先生もご指摘いただいたのですが、これまでのパフォーマンスと現状、それから産業組織論な分析を供給者、需要者を入れて一度実証研究してみないと、ちょっとジャッジができないというようなのが科学的な見地からのコメントになってこようかと思いますけれども。
 先ほどの、外部不経済があって、特に飲んではいけないと、何らかの基準で一定の酒を飲んで、いろいろな社会的事項、他人にも害を及ぼすと。これははっきりパフォーマンスでも悪いことは見えているわけですから。ではそれを防ぐために、極端な場合は家庭とか自己責任、もう一つの極端な場合にはシンガポール的何かやろうという中間でいろいろなこと。経済的規制か社会的規制というようなところで、十分議論をしていくことが可能なのですけれども、この公正取引の観点からの詰めはなかなか難しいところですね。

田中氏
 供給過剰に陥った原因というのはいろいろあると思うのですけれども、規制緩和というのもありますけれども、やはり基本的には地方が過疎になってきて飲酒人口そのものが減ってきているとか、あるいは車社会になって、飲むと車に乗って帰れないとか、それから食生活が変わってきたとか、コミュニティーが崩れたとか、いろいろな原因があるので、規制緩和だけという問題にはないと思います。やはり基本的には1人当たりの消費量というのはそんなに高いわけではないし、それからそんなに急激に伸びているわけではないのですけれども、私の今までの業界を見ていた印象としては、安くなれば全体的な量が伸びるというよりは、むしろ酒の種類間での移動というのが非常に大きくて、やはり酒税が相対的に安い方に動いてしまうと。
 どうしても量を飲む人たちとか、それから所得の少ない若い人たちはどうしても安い方に移りますから、そうすると、ウイスキーが酒税が高いと焼酎の方に行くし、焼酎が上がると、今度はビールの方へ行くとか、あるいは割っていくそういう缶チューハイみたいなもの、どうしても安いもの。そして、今現在、ワインが相対的に安いから、ワインがどっと大量に入ってくるとですね、そして1,000円ぐらいで結構、500円ぐらいでもかなり昔2,000ぐらいの感じのワインが飲めるようになってきていますから、そうすると、そこがまた、供給過剰な上に海外からまたどっと入ってきますので、その価格競争の中でいくと、先ほどのように発泡酒みたいな法律の網の目をくぐるような酒を出してきて、安いのを出していくと。その価格競争の結果、本当にいい酒が、伝統的な文化として守りたいようなお酒がどんどん追いやられている部分がありますし、やはり各国、フランスだったらアペラシオンでちゃんとワインはこの基準でいこうとか、そういうようなものに、やはり日本文化として、あるいは国民の健康からとして、守るべきお酒の文化とか、あるいは課税のあり方というのはあると思うので、そういうものが余り価格競争の方に走っていくと、そういうものがちょっと崩れるのか、これが私心配だと思うんですね。そういう意味では、やはり憲法に載っているような健康で快適なですね、そして安全な、国民的な食生活なり、飲酒生活ができるような課税体系というのがきちんとあって、その次に酒税が増えるかどうかの議論が二次的な議論だと思うので、やはり憲法で保障するような基本的なものを補足する意味での課税というのがあるべきだと思うし、免許体制もあるべきだと思うんですね。そこで、ちょっと価格競争がどうもそこから外れているところに行き過ぎているんじゃないかなというふうに私自身は考えております。

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