思いやりの税
大田区立大森第三中学校 3年 西谷 実来
「200円」と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。私は小学生の遠足のおこづかいを思い浮かべた。買えるものは少ない。しかし世界で、この「おこづかい」ほどの小額である200円を1日分の「収入」として暮らしている人数の割合はおよそ半分である。
以前、こんな動画を見た。エチオピアに住む12歳の女の子の一日は学校に登校すること、ではなく早朝の家畜の世話から始まる。そして崖や危険の多い道をすり抜けて、3キロほど離れた遠くの水くみ場へ行き水をくむ。重い水を背負って帰宅すると休む間もなく洗濯や食事作りをして、夕方にもまた水くみ。日が暮れる頃にはもうクタクタで、次の日も同じような生活をする。私達が普段日常としている学校へ行くこと、遊ぶこと、などといった光景は、そこにはない。
このような人々が今も遠くにいるのだということを知り、強い衝撃を受けた。エチオピアでは、4人に1人が彼女と同じような生活を送っているのだという。彼女たちの生活を豊かにしてあげたい、遠くで苦しんでいる世界中の人々を助けたい、そう思った。しかしまだ大人にもなっていない中学生の私に、何ができるのだろう。何もできない自分に対し、もどかしさと無力感を感じた。しかし、そんなときに、「政府開発援助」というものの存在を知った。
政府開発援助というのは、苦しむ人たちが多くいる国を助けるため、お金を貸したり水道や道路、病院を作ったり薬や注射器を送ったりする活動のことである。そしてこの活動には私達が日頃払っている税金が使われている。
私は、税金というものが日本のみならず世界中の人々を救う存在であるということを知り、驚愕した。まさか税金という私達の生活で身近な存在であるものによって、人助けに貢献できるとは思いもしなかったからである。また、それと同時に、税金というものの偉大さを感じた。普段、私たちが日常生活で物を購入する際に何気なく払っていた消費税も、その10%で誰かを幸せにすることができるかもしれない。税を払うことに対する誇らしさと、誰もが人助けに貢献することができる税へのありがたみを強く感じた。そして私の中の「義務」としての納税は、「人助け」としての納税へと変化したのである。「助け合う」ということを一人一人が納税という形で実現できる日本の社会は、なんて素晴らしいのだろう。
近年、日本では税に対する負のイメージが強いように感じる。「奪われる」という印象が根付いてしまっているからだ。しかし、税金を払うときには自分が納めた税は人を救う、ということを意識してほしい。私はみんなが「思いやり」の気持ちを持って税を納め、その税によって少しでも多くの人々が幸せになることを願っている。