明治政府の近代化政策により、西洋の諸制度が移入され、模範としようとしていた西洋諸国の法制度が多く紹介されました。明治14年(1881)、明治政府は10年後の国会開設を約束し、立憲制による国造りを宣言します。
 一方、大蔵省も近代税制確立のために早くから西洋各国の税制の調査を行い、啓蒙のために税法書や解説書などを出版しました。明治6年の印紙税法が、西洋税法の導入第1号と言われています。
 その一方で松方正義は、日本古来の税制の沿革を調査する必要性を訴え、明治15年に『大日本租税志』を出版しました。明治の指導者たちは、一方的な西洋制度だけでなく、日本の制度の沿革も合わせた研究が、新たな制度創設には重要であると考えていたのです。
 明治22年に大日本帝国憲法が発布されました。そこには、納税の義務とともに、租税法律主義が記載されました。これにより、近代租税制度が確立したのです。
 さらに明治29年、統一的国税の執行機関として税務管理局と税務署が創設されました。

英国賦税要覧

英国賦税要覧
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(久米 幹男氏寄贈)

 イギリスで1869年に出版され、何礼之(がのりゆき)が翻訳したイギリスの租税制度の解説書です。第1巻では、租税の意義、性格、種類など租税の総論について、第2巻では当時のイギリスの租税収入から見た各税目の概説が説明されています。
 何は旧幕臣の官僚です。明治維新後は、英語学校を開設して英語を教授したのち、翻訳官として明治政府に出仕し、税制だけでなく西洋の政治思想や法律について翻訳出版しました。

合衆国収税法
明治5年(1872)

合衆国収税法
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(久米 幹男氏寄贈)

 旧幕臣で大蔵省官僚となった立嘉度(たちよしのり)が翻訳し、大蔵省が出版したアメリカの税法書です。税法だけでなく、アメリカの内国歳入庁の構成や機能など租税徴収機構全体の紹介もされています。
 訳者の立は緒言で、「農商均一ナラサル税法」を「精詳公平」に変革する廟議(びょうぎ、朝廷での評議)があったことを聞き、その参考とするためにこの翻訳書を献納すると述べています。この本が出版された明治5年は壬申地券が発行された年で、翌年は地租改正法が布告されました。税負担の公平をめぐって議論される中で、西洋の制度を参考にしようとしていたことが分かります。

証券印紙規則早見表
明治6年(1873)

証券印紙規則早見表1
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証券印紙規則早見表2
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(小山 英太郎氏寄贈)

 印紙税は、日本での西洋税制の移入第一号の税目であるといわれています。旧幕時代より、農業者への税負担が重いという問題から、社会各種の階級に対して均一の負担を課す、という観点により創設されました。
 本邦初の税目であるため、混乱が生じないように府県が早見表などを作成・頒布(はんぷ)しました。

直税篇
明治20年(1887)

直税篇
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(金沢国税局収集)

 大蔵省主税局統計課が出版した西洋各国の税法集です。直税篇のほか間税篇、章程篇が出版されました。冒頭に「閲読ノ急ニ備フルモノ」であるため、校正する時間がなかったことを注記しています。
 西洋の税法の情報を欲していた当時の状況が窺えます。

大日本租税志
明治15年(1882)

大日本租税志
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(仙台研修所収集)

 松方正義の発議により編纂された、日本の税制の沿革史です。松方や大蔵省は、日本の税制を整備する際に、外国の税制を学ぶだけでなく、日本の古来からの税制も学ぶ必要性を主張し、沿革史の編纂を建議しました。
 明治13年までの日本の租税、土地制度、度量衡、物価などの項目ごとに年代順にまとめられています。
 松方はこの大著の出版を記念して、明治天皇へ献上し「叡覧」の印を賜りました。

実際手続日本所得税法注釈 完
明治20年(1887)

実際手続日本所得税法注釈 完
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(長田 好子氏寄贈)

 所得税法の条文解説だけでなく、所得の概念についても説明をしています。
 税金の免税点を300円としていることや税率は累進税率を採用していることから、所得税法の精神は欧米より採用したが、条文において日本の国情民力を斟酌しており、当時の日本の民度にあった適当な税法であると評価しています。また、所得調査委員制度も、一方的な賦課決定に陥ることを防ぐ良い制度であると説明しています。

所得税法明弁 全
明治11年(1878)

所得税法明弁 全
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(二見 明氏寄贈)

 所得税は、これまでの日本には全くなかった税目であるため、その性質から用語まで細かく説明した概説書がいくつも出版されました。
 この史料の序文を寄せている島田三郎は、ジャーナリスト、政治家で、特に雄弁で知られる人物でした。
 各条文中の用語を通俗的な言葉に置き換え、分かりやすく解説しています。
 この中で、島田は、法律を知らないからといって逃れる事はできないから、皆法律に精通するべきである、と説き、新しく定められた所得税法についても、この註解書が有益となるであろうと述べています。

登録税法営業税法俗解
明治29年(1896)

登録税法営業税法俗解
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(久米幹男氏 寄贈)

 明治29年、営業税(現在の事業税に相当)が国税へ移管されました。それまでは、府県ごとに異なった課税が行われており、国税化することによって全国統一の課税へと改めたのです。
 また、国税化することにより、商工業者の参政権が広げられました。

大日本帝国憲法の制定

大日本帝国憲法の制定1
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大日本帝国憲法の制定2
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(国立公文書館所蔵)

 明治22年、大日本帝国憲法、いわゆる明治憲法が発布されました。明治憲法では、租税について「臣民」に対して納税の義務(第21条)や、新規に租税を課したり税率を変更する場合には法律によることという租税法律主義(第62条)といった規定が定められました。これにより、立憲制の下での租税制度が整備されました。
 ここに、日本の近代租税制度が一つの完成を見たといえるでしょう。

大蔵省庁舎と帝国議会議事堂

大蔵省庁舎と帝国議会議事堂1
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大蔵省庁舎と帝国議会議事堂2
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(久米 幹男氏寄贈)

 上部は、錦絵に描かれた大蔵省と帝国議会貴族院議事堂です。下部は衆議院議事堂を写した絵ハガキです。このような官公庁舎は、名所図として扱われていました。
 大蔵省庁舎は、明治10年に建設されました。大正12年の関東大震災で焼失し、昭和16年に現在の建物が建設されました。
 帝国議会議事堂は、明治24年に火災により焼失したため仮庁舎です。この建物も大正14年に焼失し、昭和10年に現在の建物が創建されました。

明治期の主な税目の推移

明治期の主な税目の推移
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出典:国税庁『国税庁統計年報書 第100回記念号』昭和51年 明治8年は会計年度改正のため、上半期と下半期とに分かれる。

 明治8年、太政官布告により国税と府県税(地方税)とが明確に区分されるようになりました。史料の左下部分に県税の種類が記載されており、業種によって課税されていたことが分かります。

明治時代の主な租税年表

明治時代の主な租税年表
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目次

明治維新と租税の近代化

  1. 近代税制の幕開け ―地租改正―
  2. 税制の近代化と整備 ―雑税整理―
  3. 東西知識の移入と近代税制の確立