明治17年(1884)に地租条例が公布されました。併せて、「地租ニ関スル諸帳簿様式」が示され、府県が作成する書類の種類と様式が定められました。このように、新しい地租の基本法令や関連法令を定めるとともに書類の整備が進められていきました。
 明治6年(1873)の地租改正後、土地台帳の記載内容と実地との差異が問題視されました。当初の記載情報の間違い、無届での土地異動(開墾など)、異動地届の不処理などの要因がありました。
 地租条例には、土地所有者による異動地の届出(測量図付)があると、地租担当吏員が必ず実地で測量を行い、届出の内容について検査を行う規定がありました。通常の地租事務を処理する中で、記載内容を少しずつ更正していこうとしていました。
 さらに、明治18年から同21年(1885から88)に、全国的に地券台帳などの記載内容を実地と照合する大規模な地押調査が実施されました。この地押調査のあと、昭和まで全国規模の地籍調査は行われませんでした。
 経済が発展していくと、異動地が増加していきます。異動地の届出には測量図の添付が義務付けられていたこともあり、明治30年代(1897から1906)になると、税務当局は、測量講習会を主催し、広く参加者を募り、測量方法の普及や異動地申請事務の周知に努めるようになります。この講習会は税務署の職員のほか、市町村の職員や土地所有者などが受講しました。

地押壱村絵図(栗原郡有賀村)
明治19年(1886)12月

地押壱村絵図(栗原郡有賀村)
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関連法令等

関連法令等
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 大蔵省主税局長目賀田種太郎は、明治37年(1904)に「土地丈量方法ノ件」という指示を出しています。
 旧来の方法ではやや不完全であり、原則として講習した方法で測量を行うよう指示しています。
 また、それまでの測量が土地の表面積を測量していることが分かります。明治30年代は大きな転換点になっているのです。

 「土地丈量方法ノ件」
 従来ノ土地丈量法ハ稍不完全ナルヲ以テ之カ改正ノ必要ヲ認メ先般各局員ヲ召集シ講習ヲナサシタル次第ニ有之候処監督局中既ニ税務署ニ講習ヲ了シ之カ施行ニ関シ伺出ノ向モ有之候就テハ今後土地ノ丈量ハ可成先般講習ノ方法ニ依リ施行相成度尤モ不得已場合ニ於テハ旧法ニヨルヲ妨ケスト雖モ距離ノ実測ハ総テ水平ニ測定相成度依命此段及通牒候也

宮城県の地押調査

宮城県の地押調査
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丸亀税務管理局における税務講習会の内容
明治35年(1902)

丸亀税務管理局における税務講習会の内容
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 丸亀税務管理局では新任の職員などを対象に税務講習会を開催しています。土地測量法は直税の地租の中に含まれています。

雇と属

雇と属
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長野税務監督局の簡易土地事務講習会の参加状況
明治43年(1910)

長野税務監督局の簡易土地事務講習会の参加状況
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福島県若松地方の官民有地引直し絵図と関係書
明治18年(1885)

福島県若松地方の官民有地引直し絵図と関係書
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 福島県の会津六郡では、地押調査に先立ち、官有地と民有地の境界を引直す事業が行われました。地租改正で測量まで終えた一部の民有地が誤って官有地に編入されていたので、是正する措置でした。郡により再測量の方法には違いがありました。
 河沼郡は山野が多い立地で、該当する土地は一辺が数百メートルを超える規模の広い面積の山野が多く、大雑把に計測する十字法が採用されました。地図も見取法で描かれています。一方で、旧城下町を含む北会津郡は、平地が多く、該当する土地は数メートル規模のものが多く、三斜法で測量が行われ、分間法で地図が描かれています。

地押調査に対する山梨県収税長の演説
明治18年(1885)

地押調査に対する山梨県収税長の演説
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(久米幹男氏 寄贈)

 地押調査の着手を目前にした山梨県収税長の演説です。人民総代(土地所有者の代表者)に対して、地押調査の主意と意義を説明しています。史料の後尾には、「人民総代心得」という調査の規程が付けられています。
 地租改正が行われて地籍と地価が確定しました。地価は5年ごとに改訂する規定だったので、地目変更などの異動も、その地価改訂のときに一緒に訂正すればよいと勝手に判断する者がおり、訂正の手続きが行われませんでした。ほかにも無断で開墾することも行われました。いろいろな理由で帳簿と実地とに齟齬を生じていました。
 このように、地租改正後に生じていた問題点を指摘しながら、地押調査の意義を強調しているのです。

土地測量法講習会における主税局長の演説
明治36年(1903)12月

土地測量法講習会における主税局長の演説
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 土地測量講習会における目賀田主税局長の訓示です。目賀田は、地押調査を主税局地租課長として担い、明治27年(1894)に主税局長となりました。
 目賀田は、諸外国の技術水準や近年の陸軍省の測量実績を例に挙げながら、地租関連の測量方法の不完全さを指摘し、技術向上を訴えています。
 目賀田は、日清戦争後の税制整備、すなわち営業税の国税化、法人所得への課税開始、砂糖消費税の新設、税務管理局(のちの税務監督局)・税務署の創設などの諸改革においても、最前線に立っていました。
 なお、税務署創設以降には、税務官吏などの技術向上のための講習会が税務管理局(税務監督局)又は税務署ごとに行われるようになりました。

仙台税務監督局関係者が出版した土地測量技術書
明治37年(1904)

仙台税務監督局関係者が出版した土地測量技術書
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(広告を除き手塚俊勝氏 寄贈)

 編著者は、仙台税務監督局技手の堤慶蔵です。主税局長目賀田種太郎と仙台税務監督局局長佐々木藤太郎が序文を寄せています。堤は、陸軍の陸地測量部(国土地理院の前身)出身の技術者で、大蔵省に転じ、沖縄県土地整理事務局に属し、沖縄の地籍調査に関わりました。そして、仙台税務監督局の技手となり、測量技術の普及に努めました。その後、主税局長の目賀田は韓国政府の財政顧問になりますが、堤は招聘されて朝鮮で測量技術者の育成に当たりました。
 写真は、この技術書の持主だった二本松税務署の手塚勝次が、明治38年(1905)8月に土地検査の記念に撮影したものです。また、チラシは、この技術書の広告です。

目次

土地をめぐる税の歴史〜測量・地図とのかかわりあい〜

  1. 地租改正
  2. 地租条例と土地検査
  3. 都市の拡大と賃貸価格
  4. 地租の地方委譲と賃貸価格