昭和4年、世界恐慌が起こり、日本にも波及しました。生糸の輸出先のアメリカで需要が激減した上、翌年には米の大豊作により農産物価格の大幅下落が起こり、さらに、その翌年には大凶作が起こり農村部は大打撃を受けました。そのため、昭和7年には地租の滞納が80万件に達しました。そこで、少しでも納税をしてもらおうと「納税デー」や「納税週間」を設け、その期間内に納税した人には景品を渡したり、講演会や映画上映などで税の大切さを周知するなどの工夫がされました。
 大正時代から重化学工業が発達し、大都市部に工業地帯が集中するようになりました。会社や工場で働く人が増え、所得税の納税者や納税額が増加しました。所得税は昭和10年からは日本の税収に占める割合のトップになり、3割〜4割を占めるようになりました。大都市圏で所得税納税者が増加するに従い、滞納者も増えてきました。昭和15年の税制改正では、滞納の未然防止や納税の簡易化、納税者の捕捉などのために一部の所得税には源泉徴収制度が導入されるなど納税方法の抜本的見直しも行われました。
 昭和16年以降、軍事費捻出のため、税率の引き上げや基礎控除額(所得税の算定にあたり控除できる額)の引き下げが相次いで行われ、納税額や納税者数が増加し、比例するように滞納者も増加しました。昭和18年には町内会などを、納税を容易確実とするため、納税資金の管理と税金の納付について必要な事業を行う団体と決めた納税施設法が施行されました。
 それまでも任意の納税団体はありましたが、この法律で身近な町内会なども法的に納税団体と規定したのです。

税目別督促状発送件数(昭和期)

税目別督促状発送件数(昭和期)
(画像をクリックすると拡大します。)

納税デー宣伝ポスター、チラシ(郡山市役所)
昭和7年(1932)

納税デー宣伝ポスター、チラシ(郡山市役所) 昭和7年(1932)-1 納税デー宣伝ポスター、チラシ(郡山市役所) 昭和7年(1932)-2
(画像をクリックすると拡大します。)
(久米幹男氏 寄贈)

 福島県郡山市が開催した納税デーの宣伝用ポスター類です。税の滞納が最も深刻だった昭和7年に開催されました。11月25日までに納税した人には記念品が贈呈されていたようです。
 当時、全国的にこのような催しが開催されていました。

納税表彰皿
作製年 不明

表彰状 明治43年(1910)
(画像をクリックすると拡大します。)
(久米幹男氏 寄贈)

 作製された時期は不明ですが、南平田村(現在の山形県酒田市)で優良納税者や組合などに配られたものです。お皿のほか、風呂敷や手ぬぐい、扇子、マッチなどが全国の市町村で配布されたことが確認できています。

納税袋
昭和12年(1937)頃

納税袋 昭和12年(1937)頃
(画像をクリックすると拡大します。)
(久米幹男氏 寄贈)

 納税袋は、市町村から送付された切符(納税告知書兼領収証書)などを保管するため各納税者に配られました。この納税袋には、納税期日前の切符を、前部の切り込みに入れて管理し、納税後の領収書は中袋へ入れて1年以上保存するように書かれています。全ての納税が終わると、切り込み部分に、日の丸と「完納」の文字が出てくる仕掛けになっていました。このような仕掛けの納税袋は、この時期から戦後にかけて多く作られました。
 「国民精神総動員」と記載されていますが、日中戦争が勃発した昭和12年に「挙国一致」などのスローガンを掲げた国民精神総動員運動が起こっていたことから、この納税袋もその頃のものと考えられます。

督励手帳
昭和16年(1941)8月

督励手帳 昭和16年(1941)8月
(画像をクリックすると拡大します。)
(龍前明氏 寄贈)

 東京財務局(現在の東京国税局)が発行した手帳です。税務署職員が、督励員として納税者宅を戸別訪問して納税を呼び掛けたりする際に携帯していたものです。手帳には、督励員の心構えが書かれており、納税者に不快感を与えず、かつ、税務の威信を失わないようにすること、丁寧な対応をし、納税者からの質問に対しては充分理解が得られるよう説明することなどが書かれています。
 そのため、手帳の中には各税の納期や税率などが記載されています。

第一回納税週間ポスター(埼玉県)
昭和8年(1933)

第一回納税週間ポスター(埼玉県) 昭和8年(1933)
(画像をクリックすると拡大します。)
(吉牟田勲氏 寄贈)

 昭和8年10月25日から31日にかけて、埼玉県が主催した「納税週間」のポスターです。この納税週間では、県民の納税意識を高揚するためのビラ配布、税に関する映画上映も行われました。
 ポスター内の「朝と納税(おさめ)はひとより早く」という標語は、この週間に先だって募集され、1等に入選したものです。

納税奉公歌・納税奉公歌謡曲(レコード)
昭和12年(1937)

納税奉公歌・納税奉公歌謡曲(レコード)昭和12年-1 納税奉公歌・納税奉公歌謡曲(レコード)昭和12年-2 納税奉公歌・納税奉公歌謡曲(レコード)昭和12年-3
(画像をクリックすると拡大します。)
(上松徹氏 寄贈)

 昭和11年11月15日から21日にかけて、大阪税務監督局と大阪府及び大阪府下の市町村が主催し、内務省および大蔵省が後援して「納税思想の普及涵養(かんよう)を図り奉公の精神を振興する」ことを目的に納税週間が実施されました。
 納税週間に行われたイベントに、納税に関する標語、納税奉公歌、納税奉公歌謡曲、童話、ラジオの脚本などの募集がありました。このうち、納税奉公歌は愛国心を駆り立てるような国民歌として、納税奉公歌謡曲は大衆歌として募集され、選考の結果選ばれた歌がレコード化されました。

納税週間実施記録
昭和13年(1938)

納税週間実施記録<br />昭和13年(1938)-1 納税週間実施記録<br />昭和13年(1938)-2
(画像をクリックすると拡大します。)
(久米幹男氏 寄贈)

 昭和12年に、愛知県、名古屋市、名古屋税務監督局が合同で行った納税週間(昭和12年11月23日〜27日)の報告書です。当時の名古屋市は滞納者が全体の約4割にのぼったため、納税意識の向上を目的に、講演会の開催、飛行機による納税に関するビラ10万枚の撒布、公共交通機関でのポスター5,000枚の掲示、小中学校の児童生徒に「納税は一番手近な御奉公」「祭日に国旗期日に納税」といった納税標語を記した鉛筆や栞(しおり)の配付などの運動が大々的に行われました。
 この結果、納期限までに納めた人の数は前年の約6万5,000人から8万6,000人に増加するなど、好結果を残しています。

納税組合と組合員数の変化

納税組合と組合員数の変化
(画像をクリックすると拡大します。)

勤労所得の源泉課税に就て
昭和15年(1940)

>>勤労所得の源泉課税に就て<br />昭和15年(1940)
(画像をクリックすると拡大します。)

 大蔵省主税局が作成・配付したパンフレットです。
 昭和15年の税制改正で、納税の簡易化、納税者の捕捉などを目的に、所得税に源泉徴収制度が導入されました。所得税は不動産所得や事業所得など所得の性質ごとに分類して負担力に応じた税率をかける分類所得税と、全ての所得額を合算して一定額を超えた人に対し累進税率で課税する総合所得税とに分けられました。分類所得税のうち給料、賞与等の勤労所得が源泉徴収の対象となりました。
 源泉徴収制度の仕組み、滞納の未然防止、源泉徴収を行う対象者、扶養控除などの控除の申請の方法、税額計算の仕方などを分かりやすく解説しています。

目次

約束の期限を守って納税してもらうために〜明治から今へ・時代とともに〜

  1. 市町村徴収委託制度の導入―明治時代―
  2. 税務の民衆化―大正時代―
  3. 源泉徴収制度の導入―昭和時代―
  4. 戦後の納税奨励―戦後から現在―