奥村座長
ありがとうございました。大変具体的なお話をいただきましたので、興味深くお伺いできたと思います。では、委員の先生方御自由に御発言ください。はい、どうぞ。

御船氏
どのようなメッセージが必要だというのは非常に具体的でよく分かったのですが、レジュメの5の規範意識がないのではなく規範が異なっていて、「セケン」というレベルでのその情報というのは割合影響するということから考えると、この5の延長線上にどのようなメッセージが有効なのかというようなことを教えていただけますでしょうか。

林先生
 「セケン」のメッセージということは、「セケン」側、つまり、高校生なら高校生の仲間うちで信じられていることが変わればいいはずなんです。ただ、それを我々が操作できるかということになれば別な問題です。

御船氏
 リーダーシップをとる人たちが学習をすることで、その知識だとか知恵だとかいったものを波及させるという方法も考えられると思うのですが。

林先生
 可能ですけれども、高校の中で自分の居場所がないと思っている高校生たちは、大人やリーダーに対する意識が低いわけですね。

御船氏
 その高校生のリーダーを考えているのですが。

林先生
 高校生のリーダー、その中でも、高校生活に適応的な高校生をリーダーだとは思えないわけです。

御船氏
 非常におっしゃることは分かるのですが、どうしたら有効な手立てを考えられるのかというふうに思うと、例えば今、高校生のリーダーとは偏差値が高い人、あるいは学校の規範に適合的な人であると一般的には言われていますが、もう少し緩和して、いろんな意見の中で闘わせるというときに、逸脱的であると考えられている人も巻き込みながらやれるような方法はないでしょうか。

林先生
 手っ取り早く単純に言ってしまえば、学校の中で居場所がないような高校生をつくらないという政策です。これは大人社会の目線もそうですし、それから恐らく子供の目線もそうでしょう。ですから、「あなたはこの社会の中に居場所がないわけじゃないですよ」という、非常に大きなメッセージを送ってやることが有効であろうと思います。ただ、それはもはや、酒類だけの話ではない水準にあります。ですから、大きく言えば、異論に許容的な社会をつくるということになると考えています。この点に関し、現在の学校教育は異論に全く許容的ではありません。ですから、小学校以来ずっと、反対すると怒られるという構造がついて回っているということが問題だろうと思います。

御船氏
 ありがとうございました。

奥村座長
 どうぞ。田中先生。

田中氏
 先ほどの話に関連して、少々テクニック的かもしれませんけれども、高校生にとっての「セケン」に当たる代表であるタレント、例えば、昔落ちこぼれだったけれども高校教師になったヤンキー先生とか何かというふうな形で人気が出ている人がいます。そういうタレントさんと言いますか、かなり他人よりも「セケン」に近い大人と言いますか、そういうタレントさんからメッセージを出してもらうことは、ある程度有効でしょうか。

林先生
 その場限りの効果はあるかもしれません。若干厄介なのは、逸脱の水準です。受けとめる高校生の側が見ている、「この人は昔はヤンキーだったんだよ」ということで人気があるのかもしれませんけれども、「今はヤンキーではなくなってしまっているから、ヤンキーもしょせん変わってしまったのではないか」とか、あるいは「今と昔は違うから」というような受けとめ方で高校生がその番組を見ているのであれば、意味がありません。ですから、受け取る側がどれだけ疎外感を持っているかということに、かなり依存すると思います。

岡本氏
 すみません。今の質問の延長ですけれども、先ほど、いつも嫌だと思っている人、例えば学校の先生とかが注意することは逆効果であるとおっしゃいましたよね。ですから、いつも好意的に思っている人、例えばタレントとかが、そういう効果網として今のようなメッセージを出した場合も、一時的な効果でしかないのでしょうか。

林先生
 効果は期待できるでしょうね。

岡本氏
 先ほどのヤンキーよりも効果があるということですか。

林先生
 いいえ。例えばヤンキー教師に魅力を感じる人もいれば、普通の教師に個別的に魅力を感じる人もいるかもしれない。そうしたら、そういう教師からそういう高校生に対する効果はあるということになると思います。高校生は仲間うち集団をつくりますから、仲間うち全体を変えなければならないという問題は確かにあります。
 つまり、グループをつくっていく上では、グループの中でお酒を飲むのが当然だと思っている。職場規範についてなされた研究の中に、「この集団の中で、あなたの友達はこれについてどう判断をしていると思いますか」という聞き方をするものがあります。職場ではなく高校生の高校生活に関して言えば、クラスの中で授業と関係ない話、いわゆる私語をしていいと思っているかどうかについて、「あなたはどう思いますか」それから、「あなたの友達はどう思っているでしょうか」、「教師はどう思っているでしょうか」と態度、私的見解を何通りか聞いてみるんです。そうすると、その平均値は大体、自分がいけないと思っている程度よりも友達の思っている程度の方が若干緩いと判断されます。友達が私語はいけないと思っている程度は緩いから、自分も友達に合わせなければいけないということで、結果的に全員が何となく緩くなってしまうというのが実情です。あくまでも予測ですけれども、酒についても同じことが言えて、あなたはいけないと思いますかと聞いたら、現実にやられているよりややちょっとまずいと思うぐらいになるでしょう。そしてあなたの友達はどう思っているでしょうかと聞いたら、多分、自分が考えているよりやや緩い判断がされているんですね。ですから、集団になると友達に合わせなければいけないという理由から、お酒を飲んでしまう。ですからこれ、最終的に解決するためには、友達に合わせなければいけないという考えを何とかしなければいけないということですね。私的見解が優先性を持つということです。

田嶼氏
 先生、大変考えさせられるいいお話を承りましてありがとうございました。私は内科医で糖尿病を専門にしております。最近日本で生活習慣病が非常に増えておりまして、その発症予防等のためには、国民の皆さんに情報を与えて、その行動を変容することによって健康な社会を作るための努力がなされています。そこで私どもは、メッセージを伝えるという最初の段階が非常に大切であると考えております。ですけども、先生がおっしゃるように、一般に向けて漠然としたメッセージを与えても仕方がないということはよく分かります。
 先生は、自分自身の問題として考えられるよう、個別のメッセージを持たせなさいとおっしゃいましたけれども、個別になると非常に多様なものになるわけですね。それで、例えば私が専門としている糖尿病では、まず、ハイリスク群、つまり一番ターゲットにしなくてはいけないハイリスク群を特定して、と言いましても特定するためにはエビデンスも必要ですけども、それに対してどういう介入の手段を用いたら最も効果的か、そしてその結果はどういうものが予測されるかというステップで、生活習慣病を何とか少なくしようというアプローチをとっているわけです。その個別のメッセ-ジを発信するというプロセスの前に、飲酒が特に具合が悪い「妊婦さん」というハイリスク群を最初のターゲットにし、これに対する有効な介入の方法を検討し、そこで得られた成果を国からのメッセージとして、非常にシンプルで分かりやすいメッセージとして伝えていくという方法はどうかと考えたんですけれども、先生のお考えを伺わせていただきたいと思います。

林先生
 ハイリスク群に特有の態度傾向、意識の傾向が存在するとすれば、可能です。つまり、先生が言われたようにハイリスク群をねらうといったとき、例えば糖尿病になりやすい人々に特有の環境が存在するのか、あるいはそういった人々に特有の意識のあり方が存在するのかといったようなことが重要であり、もしそういったものがあれば、そこをねらうという方法があります。ですから、妊婦の場合は有効だというのは、妊婦がハイリスク群であり、妊婦は一般的に胎児を大事だと思っているという特有の態度傾向があるので、そこを突けば良い訳です。
 ところが若者に関して言えば、ハイリスク群に特有の態度傾向があるかどうかということは大変疑問です。つまり若者全体をハイリスクグループ、もしくは中学生をハイリスクグループと考える場合、中学生全体に共通の意識の傾向があるだろうかということになり、これはかなり心もとない。そして、先ほどお話しした、飲酒しやすい中学生、これをハイリスク群ととらえると、飲酒しやすい中学生というのは、学校の中で疎外感を感じる中学生であろう。そうすると、その学校の疎外感を治療するという方法以外では難しいということになります。

田嶼氏
 先生がおっしゃるのは意識におけるハイリスク群ですけれども、例えば糖尿病の場合には意識におけるということではなくて、事実に基づくハイリスク群です。肥満であるとか、家族に糖尿病にかかった人がいるとかというふうな客観的な因子によって、ハイリスク群を特定していくわけですね。ですからエビデンスも出しやすいということになります。でも飲酒の場合に、意識の傾向に応じてハイリスク群を特定するということになると少し難しいのかなと思いました。

林先生
 例えば、遺伝的に酒を飲んだら危ないかどうかを判断するために、大学ではしばしばパッチテストをやりますように、こういう方法があるのかもしれません。しかし、恐らく、中学生に公然とパッチテストをやっていいかどうかということになります。そして、そこで仮に「あなたはパッチテストの結果危ないからやめなさい」と言っても、大酒さえ飲まなければいいだろうというふうな理解がされ易いので、今度は意識の方の治療をしてあげないと難しいかもしれません。つまり、飲酒の原動力になっているのは、恐らく仲間がだれかということですから。

奥村座長
 今酒税課の方々はいろいろな広報をやっていらっしゃいますよね。それはだれがアイデアを出してだれが作って、どのようにしてポスターが張られているのですか。

前田課長補佐
 アイデアは職員が出しています。例えば、4月は未成年者飲酒防止強調月間ですので、これに合わせてポスターを作っています。ポスターには、お店の方に対して「年齢確認をしてください」、「お店では年齢確認をしていますよ」というふうな形のメッセージを入れています。「未成年者の飲酒は法律で禁じられています」というメッセージも当然あります。「年齢確認を実施している」、そして買う側に対して、「酒屋さんに行けば年齢を確認される」というメッセージのものがあります。年齢を確認されるから買いにくいというふうな雰囲気を、未成年者と酒屋さんと両方に与えます。もちろん、法律で未成年者に売ってしまった場合は罰則、罰金を受けて免許取り消しというふうなことになっています。

奥村座長
 ポスターの作製は外部の方と一緒におやりになるんですか。あるいは内部だけでお作りになられるんですか。

前田課長補佐
 ポスターにつきましては、アルコール健康医学協会でポスター版下を作っており、専門の業者数社のなかから選ばれています。印刷は当方が担当しています。ポスターの中に盛り込んでもらいたい文言等はこちらから言っております。

奥村座長
 先生の御研究だと、警告文というのはどんなにすばらしいものであろうとも効果がだんだん低減していくようなので、頻繁に警告文を変えなければいけないようですけれども、内容は、20歳未満はだめですみたいなものであり、多分ずっと変わらないですよね。

前田課長補佐
 今、「飲酒は二十歳になってから」とか、「未成年者の飲酒は法律で禁じられています」というふうなバージョンが何通りかありますけれど、それをラベルで、例えば3カ月ごとに変えるとかいうふうなことは多分ないです。

小宮氏
 少しお酒とずれてしまうかもしれませんが、先生の分析を少しお聞きしたいんです。列車の中での携帯電話の件で、携帯が普及し始めたころにはかなりあちこちで携帯電話が鳴って、それに対していろいろなアナウンス、つまり、いろんな人の迷惑になりますというようなゼネラルなメッセージがずっと発信し続けられました。恐らく乗客には、だれの迷惑になるのといった具体的なものはほとんど分からなかったと思うんですけれども、繰り返し繰り返しうるさいぐらいになされて、日本独特のああいう放送ですけれども、結果的にはかなりの数が減りました。これはどういうメカニズムで減ったのか。そして、アナウンスを止めたらもとの状態に戻るのか、それとも、アナウンスを止めても、このまま車内のマナーが守られていくのか、先生の分析ではどういうふうに評価できますでしょうか。

奥村座長
 林先生にお答えいただく前に、田嶼先生からも御質問をしておいていただけますか。

田嶼氏
 今の前田課長補佐からの話で、お伺いしたかったといいますか、つけ加えたかったことは、先生のお話にもありましたけれども、「これが規則である」というような書き方をしても、「ああそうですか」というように見過ごされてしまうように思います。しかし、前々回のヒアリングのときに伺ったんですけれども、なぜ青少年がお酒を飲んではいけないのかということには、幾つかのエビデンスがあるわけですね。そういったことを少しポスター等に加えていただけると、見る人が見れば「ああそうか、規則でしばっているだけではないのだ、根拠があるのだ」というような少し強いメッセージになるかもしれないと思いました。

小森課長補佐
 関連して1点だけよろしいでしょうか。

奥村座長
 ちょっと待ってください。とりあえず最初に、先生の方から少しお答えいただけますか。
 その規則で決められているからということだけではだれも聞きはしないだろう、しかし、かくかくしかじかの根拠があるんだということを、特に健康の面からのエビデンスをメッセージの中につけ加えていただければ、もう少し説得力があるのではないかと思います。そして、その前にハイリスクグループ、つまり健康面でのハイリスクグループが特定されていれば、特にそういう人たちに対するメッセージは重くなるのではないかというふうに思ったわけです。

林先生
 一般的に言えば、根拠が明らかであれば効果はかなりましになります。ただ、「こういう人は健康のためにやりましょう」と言った場合、あくまでも、健康をありがたいと思わない人には効果がないんです。
 ですから、やはり、中高年向きの話になってくるんです。若者の話であれば、あなたの場合、特にまずいですよというのがあって、例えば小学校、中学校あたりでだんだん酒類の影響は低減していき、大体20歳ぐらいになれば、仮にそれで死んだとしても、80歳で死ぬはずの人が77歳で死ぬぐらいの影響になるので、死にたきゃ死んでもいいですぐらいに言えば、幾らかは効果があるかもしれません。言いかえれば、高校生ぐらいになったらどっちに転んでもかなり厳しいだろうと思います。ただ、いずれにしても根拠が直感的に分かるような状態になっていくことは必要です。
 それから、小宮先生からの携帯電話の話ですけれども、これはいろいろな偶然の要因がかなり重なったためにああなったと考える方が妥当だと思っています。現在、電車の中で携帯電話で話している人がいないかと言われれば、サイレントモードにしているだけで、幾らかはいるんですよね。サイレントモードで、メールを打っている人がいますよね。メールという通信手段が一般的になってきて、現在、携帯電話で話すという手段が、むしろ一般的ではなくなってしまったという要因の方が大きいかもしれません。
 そして、アナウンス放送でうるさく言うのを止めればどうなるかということですが、やはり長期的には幾らか変わってくると思います。これはアナウンスがうるさく言っていると、「ほら言っているじゃない、やめなさい」と周りの人が文句を言い易いんですよね。面構えの偉そうなと言いますか、腕力がありそうな人にどやされそうだという気持ちから、電車内で携帯電話を使わない人はいるでしょう。

奥村座長
 すみません。ちょっと時間がございませんので。では、小森さん。

小森課長補佐
 ありがとうございます。田嶼先生がおっしゃいましたように、ある程度のエビデンスをつけて表示をしていくということが、今後必要であるという意識を私どもも持っています。その際、どの程度のエビデンスをつけていくのが妥当かということですが、林先生の最初の御説明の中で、断定的な情報だけではなかなか認知・理解されない、他方、余りにその情報量が多いとそれもまた理解の許容範囲を超えてしまって、要するにどうだという世界に行ってしまうということがありました。もちろんエビデンスの適正量・レベルは、関心の高い者、低い者によっても変わってくると思うんですが、仮に、ある程度のハイリスク層、そろそろ自分も気をつけなきゃいかんかなという層を前提とした場合、疾病問題については、どの程度の情報量が、断定調でなく、かつ許容量を超えない範囲なのか。例えば、その疾病リスクが何%増加するといった類のものはどうなのかと。ある程度のハイリスク層・関心層について、与える情報の量・具体性をY軸に置き、与えられた情報を受容する者の範囲をX軸に置いた場合、そのXとYの積が極大化されるポイント、すなわち、必要十分な情報が広範な層に享受され得ると認められるのはどのあたりかということなんですが。ちょっと抽象的で申しわけないんですけれども。

林先生
 それは個々の状態によって違いますが、例えば、お酒を飲むと胃がんや食道がんのリスクが高くなりますよという水準のものでも意味はあります。食道がんの確率が何%上がりますという表現にするのであれば、かなり劇的に数値が上がれば意味があります。3割ぐらいだと効果は不確実ですね。5倍になりますとか言うことができるのであれば、かなりの効果がありますが。

奥村座長
 ちょっと申しわけございません。時間が遅れてきており、次の先生にお待ちいただいていております。御迷惑をかけるといけないので、ここで林先生の第1のセッションを終わらせていただきます。ありがとうございました。

林先生
 ありがとうございます。

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