奥村座長
1つ残っておりますのは、どうせ規制をしても抜け穴いっぱいなのだから、規制の効果がまず期待できないので、それを例えばシンガポール的にもう徹底的に人口1億3,000万人の国でやれといったら、もう警察官が何人いても足りないよ、みたいになってくる。しかし、じゃあ全く放任できないとすると、効果は疑わしいのだけれど、一応、建前上は規制というか、警告を発しておこうと、そういう法的な対応をしておくことも考えてほしいのだというような考え方等おありになったと思うのですが、もしできましたら山下先生にお教えいただきたいのは、もともと効果が期待できないのに法的な何かの規制をかけておくというのは、法律的な観点から見るとどういう位置づけで、どういう評価になるのでしょうか。そういうことはやっちゃいかんとおっしゃるのか、いや、そういう法律はあってもいいんだというように考えてもよろしいのでしょうか。
山下氏
世の中にざる法というのが幾つもあるのは確かだろうと思いますが、これから立法しようというときに、最初からざるでやるといってつくるのは、これはだれも納得しないわけです。しかし、これは規制と今皆さんがおっしゃっているのが、どういう意味を持つか。規制というと、やはり一番きつく考えれば警察が来てつかまえていくというスタイルの規制ですが、そういうものではなくて、やはり社会のルールはこれなんですよ、ということを明らかにするようなものも制度としても十分あるのだろうと思うのですが、それをまたぎっちり法律でこうしなくちゃいけないと書くと、また動きがとれない。そこはまた業者なり地域の人々が、みんなコンセンサスが得られるようなこういう売り方をしましょう、というようなルールを立てていけるようなものとすることによって、ある程度の効果はあがるのではないかということだろうと思うんですね。
何らかの規制が必要だというのが多数意見であるとすると、それが本当に一般の市民が納得したものとしてつくられるためには、どうやって我々の考えていることをPRしていくか、了解を広くとっていくかと、そこが肝心だろうと思います。
奥村座長
ありがとうございました。
取引が公正であるかどうかという問題がもう一点ありますが、ちょっとここは意識的に一旦スキップさせていただきますので、また後から戻ってきたいのですが。なぜかといいますと、今、山下先生おっしゃっていただいたことは、実は社会的規制という言葉はあるのだけれど、具体論をやっていくと、何かそんな規制があり得るのかと。経済的規制に結局ならざるを得ないんじゃないかということもあって、前回、宇賀先生からもご発言をいただいているのですが、一応コンセプトとしては経済的規制と社会的規制、できたら社会的規制が望ましいと。しかし、現実論を考えるとどういうことが具体的にあるのですか、ということになって参りますので、3の柱の方へ移らせていただきまして、資料の7ページの真ん中あたりから、大きな3という、今後の手当ての必要性があります。その(1)というところで、社会的規制についてというので取りまとめていただいておりますので、こちらをご参照いただきながら、社会的規制で、これは効果がありそうだとか、なさそうだとか、そういったことも含めてご議論いただけるとありがたいのですけれども。
田中先生からも、この懇談会でしばしばご発言をこのテーマでいただいていますが、いかがでしょうか。
田中氏
一番論理的に考えれば、18歳から現実には大人ですから、18歳から飲酒を認めて、そのかわり破った場合は罰則を強化するというのが一番何かすっきりするのですけれども、ただ、今から18に戻すなんてとても社会的に容認されないだろうと思いますので、20歳ということで、高卒の人はやはり、さっきの話ではありませんけれど、やむを得ないことがあると思いますし。
ただ、1つはやはり先ほど言った自販機の問題とか、それから対面的な販売にすることによって、特に都会もそうですし、地域、地方においてもこの子は未成年かどうかというのはわかりますので、そういうことについてはもっとやってもいいんじゃないかな、という感じがいたします。そうしないと、結局、ディスカウトストアの価格の乱れみたいなものも、1つはやはりセルフサービスでコストが非常に下げられている部分があって、そこから無理な乱売につながっていくところもあると思いますし、対面販売となると、やはりきちっと人件費を取って販売せざるを得ないわけですから、その辺の価格の安定性とか、そういうことについて言えば、やはり対面販売というのはある程度きちっとしたやり方で、外国から見ても常識的な売り方であるし、その辺のところの規制はあってもいいのではないかと思いますが。
だから、法的にはやはりある程度規制しておいて、ざるということよりはですね、それから罰則ということを考えるよりも、むしろそういうことがあることによって、地域の学校と、少し未成年者の飲酒についての意識を高めていくきっかけに法的な効果があるだろうと思いますし、むしろ消費者教育というのか、未成年者の教育を支援するような法律、飲酒の禁止を支援するような措置がとれるような法律であれば、そういうことについて地域のいろいろな、各地域によって先ほど跡田先生がおっしゃったように事情が違うでしょうから、例えば小売商業組合等がそういうことについてのいろいろな支援をするとか教育を手伝うとか、そういう役割を持ってもいいんじゃないかなというふうに考えます。
奥村座長
どうもありがとうございました。
年齢を20歳を18歳に変えることは、そんなに難しいことなのでしょうか。もし、ご見解がおありでしたら。
大西審議官
そういうご意見はよくわかるのですけれど、現実に国際的に比較してみても必ずしも18歳ではないんですね。20歳を超えている国もあるんです。今あるのをさらに下げるときにはそれなりのムーブメントが必要ですが、それを積極的に打って出て説得できるだけのものがあるかというと、多分、バランスをとってみますとなかなかないというふうになるんじゃないかという意味でおっしゃったのだと思いますけれど。
奥村座長
仮に何か医学的その他の見地から、いや19歳や20歳は、もう大学生は飲んでもいいよ、ということになってくれば、根拠が出てきて、18歳にして、そのかわり識別ははっきり売り方でやっていただくみたいなことは期待できるのですか。
大西審議官
それは医学的知見が出ればでしょうね。なかなかそうスムーズに20代ではないとはならないと思いますね。
田中氏
ちょっとつけ加えておきますけれども、先ほどの厚生省のデータのときに、説明いただいたときに気がついたのですけれど、居酒屋で飲む比率も三十何パーセントで高いのですね。むしろ自販機よりも居酒屋で飲酒の比率か高いので、やはりコンビニと居酒屋とにおけるもう少し注意喚起も必要じゃないかなという感じがいたします。
神崎氏
論点項目に文化性というのをわざわざ入れてありまして、それでちょっとお話ししますと、もちろんこの文化性というのは継続性はないみたいですね。時代とともに変化しますし、今や国際基準は日本の理解では完全自由に行動するということですから、論じても仕方がないのですが、念のために申しますと、かつての日本の社会は、酒、飲酒に関しては礼講と無礼講がございました。
礼講というのは、つまり大人も子供も飲んだわけです。ただし、これは三々九度に代表されるように、最大で3つ杯までと。それで、その後が無礼講で、それは元服儀礼にしても、すべて子供はそこから除かれたわけなんです。今は礼講という意識が我々はなくて、無礼講というものが、最初から無礼講という言葉があるぐらいにしか解釈していない。ですから、これはもう日本の文化性というのは完全にその意味での飲酒文化というのは崩れております。それで、それを崩したのは我々の責務というか、我々よりもうちょっと世代が上も含めて、大人の責務であります。
ですから、ここで規制を幾らしても、私は、1つこの飲酒の問題だけではないと思うんです。未成年の飲酒の問題だけではなくて、すべて日本の社会的な規制と言わないで規範ですよね、規範が崩れたということが問題があるのでありまして、私は、だから結果的に言うと、それはいかなる規制をかぶせても意味がないと思うんです。現実にもう、先ほど申しましたように、たばこはほとんど意味がない状態で喫煙率は広まっております。ですから、先生方おっしゃったように、共通する意見としては、私は対面販売ということの基準を設けることは大事だと思いますし、それで酒というのは対面販売、対面飲酒であるということで、やはり独酌もよろしいのですけれども、そういう文化性も一応背景にもっておいたらいかがかと思います。
それで、それについて1つ確認させていただきたいのですが、私は自販機はもうできることなら全面撤廃した方がいいという意見でありますけれども、業界の方のご報告で自粛の傾向にあるということがありました。それで、確かに台東区なんかは酒類販売店の店頭から自販機は全て今撤去されておりますが、もう一つ聞いたのですけれど、自販機の製造自体が3年ぐらい前から止まっているというのは本当でしょうか。
前企画専門官
それは酒の自動販売機がということでございましょうか。
神崎氏
はい。