高度経済成長の時代を迎え、人々の生活は加速度的に変化していきました。東海道新幹線や東名高速道路の開通によって高速化する輸送、テレビ放送の開始や旅行ブームの到来など、高度経済成長がもたらした変化は分野を問いませんでした。昭和39(1964)年の東京オリンピックと昭和45(1970)年の日本万国博覧会は、高度経済成長期の日本を象徴する出来事となりました。
国民生活もそれまで日用品や消耗品など少額の消費が中心でしたが、徐々に大型家電や自動車などを購入できるようになりました。白黒テレビ、電気式冷蔵庫、電気式洗濯機は「三種の神器」と呼ばれ、1960年代を代表する存在となりました。このころから大量生産、大量消費を基本とする「消費社会」という言葉が社会に浸透しました。
その影響を最も受けたのが、物品税をはじめとする各種間接税でした。爆発的に増える新商品や、刻々と変化する制度に対して適切かつ迅速な判断を下すことが求められました。
物品税は、国内の消費傾向を色濃く反映し、物品税収入の変化からライフスタイルの変化を見ることもできます。戦後しばらくは写真フィルムや飴、清涼飲料などの消耗品が物品税収入の大部分を占めましたが、消費の高級化、大型化を反映し、昭和50年度以降は物品税収入の半分以上を乗用車、クーラー、カラーテレビのいわゆる「3C(新三種の神器)」が占めるようになりました。
通行税は乗車券への課税が見直されるなど、免税点が徐々に拡大しました。また税そのものの変化だけでなく、国鉄の座席等級制度廃止など運輸制度の変化にも対応しなければなりませんでした。
これらの物品税、通行税やトランプ類税、入場税などは平成元(1989)年に廃止されました。
(国税庁長官官房広報広聴官 移管)
物品税の申告を呼びかけるポスターです。カメラや自動車、家電製品などの写真が並んでいます。
物品税は創設以来賦課課税制度でしたが、昭和37(1962)年3月の物品税法改正で申告納税制度が採用されました。
高度経済成長期における消費の高級化、大型化を反映して、昭和50年度以降は物品税収の半分以上を乗用車、クーラー、カラーテレビのいわゆる「3C(新三種の神器)」が占めるようになりました。
(久米 幹男氏 寄贈)
(税務大学校広島研修所 移管)
物品税証紙の見本です。物品税課税物品の一部にはこのように証紙を貼るものがありました。脱税防止を目的として昭和26(1951)年3月から通常の小売店舗の店頭で販売される物品のうち、特に必要と認められるものについて、製造者が物品税証紙を貼り付けることや、物品税表示証を表示することが義務付けられていました。この制度は昭和57(1982)年に廃止されました。
(江東西税務署 移管)
これらの写真は昭和25(1950)年に日本橋白木屋で行われた物品税の展示会「一目でわかる 税と商品の解説展」の様子です。
洗濯機やラジオなど当時の最新家電や化粧品、カメラなど物品税が課税された物品約2000点が展示され、5日間の期間中5万5千人が見学しました。またこの展示会で掲載されていた「多額納税双六」は昭和24年度の物品税収入の上位課税物品が掲載されております。
(税務大学校広島研修所 移管)
物品税は商品ごとに税率や納税方法が異なっていたため、爆発的に増える新商品や、刻々と変化する制度に対応しなければなりませんでした。このため時には課税、非課税を巡る問題が世間の注目を集めることもありました。
その中で代表的なものが「黒猫のタンゴ」と「およげ!たいやきくん」のレコードです。レコードには一般的に物品税が課税されていましたが、教育的見地から童謡は非課税となっていました。
そのためしばしば当時の流行した曲が童謡なのか歌謡曲なのかという議論が発生しました。
「およげ!たいやきくん」は昭和50(1975)年に子供向けテレビ番組の挿入歌として登場し、シングル盤レコードの売り上げ記録400万枚以上を残す大ヒットとなりました。「およげ!たいやきくん」がヒットしたことによって子供だけでなく大人もこの曲を聴くようになると、「大人も聞く曲は童謡なのか?」という議論が発生しました。
結局「たいやきくん」は子供向けの曲であるということになり、童謡のレコードとして非課税になりました。同様の議論は「黒猫のタンゴ」でも発生したようです。
(長田 好子氏 寄贈)
昭和45(1970)年に大阪で開催された、日本万国博覧会における税金の取扱いについて書かれた冊子です。主に物品税や入場税などの間接税の取扱いについて説明されています。例えば、参加各国のパビリオン内にある物品に対する物品税は非課税で、万博終了後に母国に撤収、または廃棄しなかった場合にのみ課税されることになっていました。
(木下 愛司氏 寄贈)
骨牌税とトランプ類税の課税参考資料です。骨牌税は昭和32(1957)年にトランプ類税となりました。
この中には骨牌税に関する通達や、非課税骨牌の資料などが綴られています。特に子供用のトランプやカードゲームの非課税申請に関する資料がまとめられています。
トランプ類税の税収はテレビゲームの普及等により昭和51(1976)年度をピークに減少し、平成元(1989)年の消費税導入により廃止されました。
(和氣 光氏 寄贈)
こちらはトランプ類税が課せられていた当時のトランプです。骨牌税・トランプ類税ではカードの包装に証紙を貼っていましたが、トランプを使用するときに包装は外してしまうため、証紙が残っているトランプは大変貴重です。
(和氣 光氏 寄贈)
これらはトランプ類税が非課税となったものです。トランプ類税は麻雀牌、トランプ、花札、株札、虫札及びこれらと使用法を同じとするものに対して課税されていました。
しかし子供向けのものや、手品用などは「遊戯具」と見做され、トランプ類税は課税されませんでした。そのため国税局などで一つ一つ課税の可否を判断していました。画像左上にあるトランプは手品用で、上下で数字が違っていたり、両面とも表だったりと通常の遊び方で使用できず、トランプ類税は非課税となりました。
(個人 蔵)
戦後に発行された日本国有鉄道の切符です。通行税は戦後徐々に免税の範囲が広がり、それまで通行税の大半を占めていた鉄道や汽船の乗車券に対する課税は段階的に見直されていきました。
また通行税の課税上の基準であった座席の等級性が国鉄の制度変更で廃止されるなど、通行税は税制だけでなく、運輸行政の影響を強く受けました。最終的に鉄道と汽船にはグリーン券やA寝台券など一部特別料金に課税されるようになりました。通行税収の9割は、戦後台頭してきた飛行機の航空料金が占めるようになりました。
(高良 則緒氏 寄贈)
落語家の五代目桂文枝が、小文枝時代に使用した独演会の入場券です。下足札を模した木の板で作られていますが、裏面に紙の入場券が貼り付けてあります。
このような切符が作られた経緯について後年文枝は「税務署から、板には直接検印できないと断られ、急遽、紙の入場券を裏面に貼り付けた」と回顧しています。
指定席券や特殊な印刷など、主催者が発行した入場券には、税務署長の検印が必要でした。写真で入場券の隣に写っているものが、その検印です。
(高良 則緒氏 寄贈)
こちらはかつて大阪にあった大阪スタヂアムの入場券です。裏面には税務署の検印が押されています。
大阪スタヂアムは昭和25(1950)年に作られた野球場で、プロ野球チームの南海ホークス、近鉄パールス、大洋松竹ロビンスがそれぞれ本拠地として使用していました。
(国税庁長官官房広報広聴官 移管)
入場税のポスターです。入場税法では、劇場側は入場券の半券を観客に渡す義務がありました。入場税は昭和23(1948)年8月から昭和29(1954)年5月まで地方税に移譲されていましたが、昭和29(1954)年5月に再び国税になりました。