明治20年(1887)に創設された所得税は、個人にのみ課税し、1年の所得が300円以上の者を対象としていました。
 日清戦争・日露戦争後、「戦後経営」のため日本の財政は膨張の一途をたどりました。民間企業の増加に伴い個人所得にのみ課税されていた所得税は、明治32年(1899)に所得税の全面改正が行われ、第1種(法人の所得)、第2種(公債社債の利子)、第3種(個人の所得)に分類され、法人所得にも課税されることになりました。また、創設当初に郡区長が行っていた所得税の事務は明治29年に誕生した税務署・税務管理局(明治35年11月以降は税務監督局)が担当することになりました。

国税の税収(明治20年度〜大正9年度)
所得税法明弁の写真

所得税法明弁 全
明治20年(1887)6月

 所得税が創設された年に出版された所得税法の解説書です。所得税法の1条ごとに、条文に用いられている用語に詳しい解説を付けています。

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他郡市居住者の所得金額取調方照会
明治24年(1891)2月12日

 島根県迩摩安濃郡(現大田市)書記(所得税取調委員)は、郡役所の所得税事務の一環として、他の郡・市の居住者で土地・建物・船舶などを所有している者、商工業を営む者の所得金額などの取調べを村役場に照会しています。

所得税財料内報綴(北野村分)の写真

所得税財料内報綴(北野村分)
明治25年(1892)2月分

 明治25年の所得税の等級・金額が決定される過程がわかる史料です。村長から郡長に所得金高届が届けられた後、郡長から所得税額と等級が納税者に通知されています。また、村では、郡の訓示をうけて所得税の調査を行っています。北野村は、現在の富山県南砺市です。

所得金決定通知書ニ対シ異議申立書の写真

所得金決定通知書ニ対シ異議申立書
明治32年(1899)8月29日

 税務署に提出した所得金高申告書に基づいて決定された所得金について、納税者が所得金額の決定者である宇都宮税務管理局長に異議を申し立てています。申立では、税務署が監督する調査委員が所得金を高く変更したとしています。

 

税務署と所得金額の決定
所得調査委員当選通知書の写真

所得調査委員当選通知書
明治36年(1903)6月10日

 長野県の中野税務署長から出された所得調査委員の当選通知書。所得調査委員は、個人課税である第3種所得税を納める納税者から選出され、選挙事務は税務署長が行いました。調査委員会では、税務署の調査をもとに各人の所得金額を決議し、政府が決定しました。

 

国税収入額累年対照表(明治35年度〜明治39年度)の写真

国税収入額累年対照表(明治35年度〜明治39年度)
(「主税局第34回統計年報書」)

 各年度の国税収入を税目ごとにまとめた統計書(所得税は左から2番目)。所得税が増収となっている様子がわかります。納税者数も明治32年度の約35万人と比べて明治44年度には129万人と4倍ほどになっています。