大正時代の前半は、第1次世界大戦(1914〜1918年)による好景気に沸き立ち、社会的・財政的余裕から貧しい人々への社会政策や救済が意識されるようになりました。そうした社会的風潮のなかで断行された大正初年の税制整理は、所得税と営業税を中心としたものでした。とりわけ、所得税は負担の余力があると見なされていたことから、税制の中心と位置付けられました。大正2(1913)年の改正によって、免税点の引き上げ、勤労所得控除の新設、大正9(1920)年の改正では扶養家族控除新設など、社会政策の反映がみられました。
 また、大正7(1918)年、第1次世界大戦で多額の所得を得た者には、戦時利得税が課せられました。当時、大戦景気に乗じて一介の商人から大商人になった者のことを成金と呼びましたが、戦時利得税も当時の流行語を用いて成金税とも言われました。
 第1次世界大戦による好況は企業数を増加させ、それに伴って法人所得税額も増加し、大正5(1916)年度には初めて個人所得税額を上回るようになりました。

(研究調査員 大庭裕介)

【 目次 】

12-1 大正9(1920)年 税制整理特別委員会議事録
大正11(1922)年 税制整理案

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 第1次世界大戦が終結し、平和回復の機運が世界中で高まるなか、財政経済制度の大改革のため、臨時財政経済調査会が内閣に設けられ、税制整理に関する諮問がされました。大正11(1922)年には所得税を税体系の中心に据えることなどをうたった答申が提出されました。
 鉄道・道路・電信などの交通・通信インフラの拡大政策で知られる原敬内閣ですが、財産税創設や税負担の公平化が検討されるなど、「社会政策ノ加味」が議論されました。
 委員には浜口雄幸のほか、後に大蔵大臣となる三土忠造・馬場^一が任命されていました。

(研究調査員 大庭裕介)

12-2 大正2(1913)年 所得税改正

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 大正2(1913)年に初めて所得税の減税が行われました。免税点が引き上げられたほか、勤労所得控除、少額所得控除の控除制度が導入されました。以後、大正時代には、景気変動やデモクラシー的思潮を背景に免税点の引き上げや控除制度の拡充がしばしば行われました。

(研究調査員 大庭裕介)

12-3 大正9(1920)年 改正所得税法説明書

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 第1次世界大戦の終結後、大戦景気から戦後恐慌へと景気は大きく動き、貧富の差も拡大しました。大正9(1920)年に所得税法が全文改正されました。低所得者の負担を軽減すると同時に、高額所得者には担税力に応じた課税負担を増加することが目指されました。

(研究調査員 大庭裕介)

12-4 大正12〜15(1923〜1925)年 所得税申告のポスター

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 大正12〜15(1923〜1925)年のものと考えられます。この時期の税務行政は、「税務行政の民衆化」方針がとられており、一般向け税法解説書の刊行・納税広報・税務相談部の開設といった施策が行われました。
 大正9(1920)年の所得税法改正で、低所得者を対象に同居の18歳未満の者もしくは60歳以上の者や障害者を対象に扶養控除が創設されましたが、さらに大正12(1923)年の改正では生命保険料控除が導入されました。

(研究調査員 大庭裕介)

12-5 大正9(1920)年 所得税改正のチラシ

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 大正9(1920)年の所得税法改正の要旨をまとめたものです。低所得者を対象に家族扶養控除が創設されたことや、課税最低限が引き上げられたことを周知しています。

(研究調査員 大庭裕介)

12-6 戦時利得税法令及取扱方

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 第1次世界大戦参戦以来、軍事行動の財源は国庫余剰金でまかなってきました。軍費の増額に備え、臨時的措置として戦時利得税は大正7(1918)年に設けられました。
 戦時利得税法は大正7年1月1日を含む事業年度からの適用とされ、翌大正8(1919)年の事業年度分限りで廃止されました。

(研究調査員 大庭裕介)