税務署創設以前、徴税業務は府県の管轄とされていました。明治29(1896)年、全国に20の税務管理局と500の税務署が創設され(翌年、23の税務管理局と520の税務署に拡大)、府県収税部の事務は税務管理局、収税署の事務は税務署に移管されました。もともと、府県の収税部は、大蔵大臣だけでなく、府令・県令の指揮・監督下にも置かれていたため、執行の実態は必ずしも同一ではありませんでした。税務署の創設により、執行面での全国的な統一が図られました。
 さらに、明治35(1902)年の税務監督局の設置に伴い、税務署長が税務監督局長の指揮・監督のもとで内国税の法律・命令の執行を行うようになりました。

(研究調査員 大庭裕介)

【 目次 】

8-1 明治32(1899)年 滋賀県大津税務署の鬼瓦

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 大津税務署は明治29(1896)年11月1日に設置されました。税務署の中にはこうした意匠を凝らした鬼瓦を置くところもありました。
 なお、租税史料室の常設展では半田収税署の鬼瓦も展示しています。

(研究調査員 大庭裕介)

8-2 明治35(1902)年 札幌税務管理局庁舎模型

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 札幌税務管理局は、明治29(1896)年に設置されましたが、当初は北海道庁内に置かれました。写真の庁舎は、明治35(1902)年に建設され、当時は札幌税務署も入居していました。この庁舎は、昭和43(1968)年まで使用されていました。

(研究調査員 大庭裕介)

8-3 辞令(今市税務署長任命)

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 今市収税署長だった井上昌利に宛てた任命辞令です。税務署の設置にあたっては、税務官吏確保のために収税署員の多くが税務署員に再任用されました。
 辞令の今市税務署は、現在の出雲税務署に当たります。

(研究調査員 大庭裕介)

8-4 明治後期 東京税務監督局庁舎

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 東京税務監督局は、明治35(1902)年に三田に設置されました。明治43(1910)年に八重洲に移転した後、明治44(1911)年には大手町に新庁舎が完成し、そこに移りました。この建物は、大正12(1923)年の関東大震災で焼失しました。

(研究調査員 大庭裕介)

8-5 明治期の間税職員

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 幕末の不平等条約締結によって設けられていた開港場の外国人居留地が、明治32(1899)年に廃止されました。それによって開港場以外の各地でも外国商人の応接機会が増え、税務職員はより清廉さが求められるようになりました。特に、検査で出張が多い間税(間接税)職員に対しては、明治33(1900)年に制服が導入されました。制服は、明治45(1912)年に詰襟となりましたが、大正14(1925)年に廃止されました。

(研究調査員 大庭裕介)