地租改正や西洋税制の導入により、明治政府は毎年一定の税収を見込めることができました。その結果、明治時代の税制は、地租と酒税の割合が大きくなりました。しかし、農民と商工業者の負担を均衡にする必要がありました。そこで、明治20(1887)年に所得税が導入されました。所得税の導入により、経済の発展に伴う税収の増加が期待できるようになりました。
 所得税は、個人所得の年額300円以上の者に課税されました。当初は高額所得者のみの税であったため、「名誉税」と称されることもありました。
 所得税導入に当たって、税額の決定に関わる所得税調査委員会が設置されました。「所得金高届」は郡区長に提出され、所得税納税者のなかから選出された所得税調査委員が調査しました。調査委員会の決議に従って、郡区長は所得金額を決定しました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

【 目次 】

6-1 明治20(1887)年 所得税法の解説書

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 所得税は明治20(1887)年に導入されました。富裕層を課税対象とし、免税点が300円に設定されました。所得税は、全く初めての税目であるため、多くの解説書が刊行されました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

6-2 明治20(1887)年 所得金高御届

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 所得税が導入されて最初の所得申告書です。税法では、納税者は年間の所得の見積りを種類ごとに記入して、4月末日までに提出することとされていました。しかし、施行初年度は7月末日が期限でした。

(研究調査員 吉川紗里矢)

6-3 明治21(1888)年 申告期限の諭告

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 明治21(1888)年より所得申告の期限が4月30日までとなったことに注意するよう促したものです。当時の所得税事務は、府県の郡区長が管轄しており、この注意も大阪府北区長から出されています。

(研究調査員 吉川紗里矢)

6-4 明治20(1887)年 所得税納人の告示

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 所得税は、郡区長(後に税務署長)が提出する下調書を所得調査委員会で調査決議し、決定されました。この所得調査委員は納税者で互選されました。この史料は調査委員選挙のための管内公告です。

(研究調査員 吉川紗里矢)

6-5 明治28(1895)年 所得税調査委員選挙人当選証書

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 所得税調査委員の選挙人の当選通知書です。所得税調査委員は、まず納税者同士で選挙人を選び、さらに選挙人同士で互選されました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

6-6 明治23(1890)年度 大日本政府歳入種目図

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 税法雑誌の付録で、明治23(1890)年度における日本政府の歳入予算を示しています。この当時は、地租(51.5%)と酒税(20%)が大きな比重を占めており、導入されたばかりの所得税は1.7%に過ぎませんでした。

(研究調査員 吉川紗里矢)