地租改正は、全国的な土地制度・租税制度の改革であり、新政府の財政基盤を確立するために実施されました。地租は、地券を交付して一律に課税する方式で、江戸時代に地子(年貢)を免除されていた武家地や町人地なども課税の対象となりました。
 地租改正事業は、明治6(1873)年の地租改正法の公布から始まりました。同8(1875)年には、地租改正事務局の設置により本格的に進められ、同14(1881)年にほぼ完了しました。これにより土地の所有権が公認され、地租は原則として金納となりました。この時期の地租は地価の3%で、後に2.5%に減額されました。
 地券は、明治5(1872)年の壬申地券から始まりました。翌年には、改正地券が全国に発行されました。同22(1889)年、土地台帳規則の制定により、地券制度は廃止されました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

【 目次 】

5-1 明治6(1873)年 議事日録

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 地租改正法などの重要案件を審議するため、全国の県令(現在の知事に相当)が集められました。その際の模様を、鳥取県参事関義臣が書き記したものです。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-2 明治6(1873)年 地租改正方法草案

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 地租改正方法草案は、地方官会同で県令たちによって審議された後、太政官で裁可され、明治6(1873)年7月に地租改正法が公布されました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-3 大分県の壬申地券と改正地券

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 地租改正は明治6(1873)年より開始されますが、その前から壬申地券が発行されていました。地租改正開始後、改正地券に書き換えられるようになりますが、経費などの問題で壬申地券の裏側が使用されることもありました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-4 明治11(1878)年 三重県の改正地券

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 地租の税率は、当初は3%(市街地は明治8年まで1%)とされていましたが、明治10(1877)年に2.5%に引き下げられました。その訂正分を朱書きで加筆しています。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-5 畝杭

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 土地一筆ごとの実地調査(地押)の際に使用されました。字、番号、地目、反別、所有者名が明記されています。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-6 矢立て

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 地租改正事業で使用されていた携帯式筆記用具です。左側が墨壺、右側の細長い筒に筆を入れて持ち歩きました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-7 明治13(1880)年 地租改正地引絵図

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 地押をもとに一字限図、一村限図が作成されました。地目ごとに塗り分けられています。地引絵図は地主総代が中心になって作成し、地引帳とともに役所に提出しました。府県の担当者が村に出張して、畝杭、地引帳、地引図と照合し検査しました。
 なお、この史料は大和国平群郡西宮村(現奈良県平群町)の絵図です。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-8 明治9(1876)年 地租改正地主惣代任命書

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 地租改正事業の際、地主惣代人(総代人)が土地所有者同士の選挙で選ばれ、調査下調べなどに従事していました。

(研究調査員 吉川紗里矢)

5-9 明治11(1878)年 地券大牒

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 地券を管理するために作成された台帳で、明治22(1889)年の土地台帳規則の公布まで土地台帳の役割も果たしていました。

(研究調査員 吉川紗里矢)