NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) 絵はがきに見る税務署

 明治29年に創設された税務署は、520であった。税務署創設は、国税事務を国の直轄とし、府県収税部を税務管理局に統合することに主眼が置かれていた。そのため税務署は税務管理局の出先機関に止まり、税務署が国税の賦課・決定などを執行できるようになるのは、明治35年の税務監督局設置以降のことである。
  税務署庁舎は、府県の敷地や建物から順次分離していくが、当初は民間の家屋を賃貸することも多く、次第に国有地に自前の庁舎を建設するようになる。しかし、その過程で税務署は削減されていくのである。日露戦後の税務署数は388で、大正末年には345に削減された。ちなみに、日露戦後の行政改革では、同一名称の税務署が統廃合や改称により整理されている。昭和10年代には360から376へと微増しているが、税務署の統廃合においては反対運動や税務署の誘致運動も展開されている。
  税務署庁舎の所在は、明治29年以降は大蔵省告示で公示されている。租税資料室時代に作成した『国税行政機関関係法令規類集』Uの巻末には、大蔵省告示から作成した局署の所在地一覧を収録している。ただ、庁舎の写真や絵などはあまり収集できていない。記録としての庁舎写真は少なく、ほとんどが記念写真の背景なのである。写真は高価だったので、戦前の庁舎を今に残しているのは、意外にも写真ではなく絵はがきなのである。福島税務署の絵はがき
  絵はがきは、私製はがきが認可された明治33年に登場する。それ以前にもあるが、もっぱら外国人向けのお土産であった。絵はがきは、当時の逓信省が発売した日露戦争記念絵はがきで大ブームとなり、多数の民間会社の参入により定着した。
  税務署庁舎の絵はがきは、新庁舎竣功記念と観光用の「名所絵はがき」に二分される。
  前者は式典で関係者に配布されたもので、明治末年から昭和10年代初頭までが確認されている。なかには竣功時の局長や署長の顔写真入りや、外観だけでなく事務室とセットになったものもある。局長や署長がわかる場合は、職員録と組み合わせて年代を確定していくことになり、年代推定作業はやり易くなる。
  後者は、地域の名所絵はがきセットの中に庁舎が入っているものである。近代的な外観や官庁としての認識が「名所」とされた理由であろうか。ただ、その数は少ないようで、古書店の絵はがきコーナーを探しても滅多に見つからない。ここに掲げた絵はがきを含め、租税史料室に数多くの庁舎の絵はがきを寄贈してこられた久米幹男氏は、「税務署は名所には向かないのだろう」というようなことを話されていた。長年の収集の苦労に基づいた実感であり、私も納得したことを記憶している。
  この絵はがきは、福島税務署(仙台局管内、福島市)の庁舎である。庁舎の外観がわかるので、史料価値は申し分ない。また、絵はがきの下に「View of Fukushima」とあるので、これは名所絵はがきの一枚である。同署の所在一覧を見ると、明治30年に信夫郡福島町字杉妻、大正3年に福島市大字福島字宮町に移転とある。福島市の誕生は明治40年であり、大正3年以降は移転していないので、この絵はがきは大正3年7月竣功時の庁舎と推定できる。しかし、この名所絵はがきが発行された年代はわからない。
  記念絵はがきの年代推定はある程度可能でも、名所絵はがきは難しい。ただ、時代により変化する地域の記憶の中で、税務署庁舎が地域の「名所」と認識されていた事実は重要であろう。

(研究調査員 牛米 努)