【答え】

3 船

【解説】

寛保2(1742)年8月、大水害が江戸を襲いました。これは江戸三大水害の一つで、寛保の水害と呼ばれています。この時に、両国橋をはじめとする隅田川の橋が破損し、数千人もの死者を出したと言われています。翌年、幕府は水害対策のため、両国橋付近に鯨船とその倉庫を設置しました。鯨船は、激流を乗り切ることができた和船で、災害時における人命の救助や橋の倒壊防止に適していました。
 この鯨船に注目したのが、竹木炭薪古問屋でした。これは、薪や炭なども扱った木材問屋の一種です。この古問屋が、「鯨船御用」の冥加を願い出ました。これは、船員の賃金を始め、旗の製作と修理、倉庫や土手の修理等の経費を負担するものです。その代わりに、古問屋は幕府に同業者の新規開業を抑制するように願いました。その当時、新たな材木商が乱立した影響で、古問屋の経営が脅かされていたからです。
 延享元(1744)年、町奉行はこの願いを承認しました。古問屋は翌年から「船」を維持管理するための冥加を負担しました。この冥加は、天保改革によって10年ほど中断されましたが、明治3(1870)年まで100年以上続けられました。この間、鯨船は江戸の町と町人を守るために活躍しました。

(2023年12月 研究調査員 吉川 紗里矢)