【答え】

2.陸奥宗光

【解説】

陸奥宗光は、陸奥外交とも呼ばれる、当時の世界のパワーバランスを冷徹に分析した外交を展開しました。駐米公使時の明治21(1888)年に、メキシコとの間でわが国初めての対等条約である日墨修好通商条約調印に成功、外務大臣としては、明治27(1894)年に治外法権撤廃や一部の関税引き上げを盛り込んだ日英通商航海条約締結に成功し、日清戦争を迎え、翌年には下関条約を締結し、三国干渉にも対応しました。その明晰な頭脳から「カミソリ大臣」とも呼ばれました。
 そんな外交面で多大な功績を残した陸奥ですが、明治6年には租税頭として、地租改正や印紙税法の制定にも尽力しています。
 さて、この印紙税ですが、問いの中でも述べたように商工業者へも税負担を課すことを目的とするだけでなく、文書の確実性を保証することも目的としていました。
 租税頭として印紙税法の制定を取りまとめていた陸奥は、「本朝ノ未曾有ノ新税ニシテ、人民未曾有ノ条例ナリ。故ニ人、或ハ之ヲ疑惑シ、之ヲ嫌忌シ、遂ニ施行ノ妨害ヲナサン事ヲ恐ル」として、国民の誤解を解くために『印紙税略説』を頒布することを提案したのです。
 更に、「文書中事物ノ証ヲ確実ナラシムルノ意モ随(したがっ)テ含蓄セリ」として、新税の目的が収税だけでなく、文書の確実性を保証することを含んでいることの周知も意図していました。
 それまでの明治政府は、税制については旧慣を維持する方針でしたが、明治6年より財源の獲得だけでなく課税の公平という観点からも、地租改正や印紙税導入が行われました。陸奥が作成させたパンフレットは、新しい税法を紹介するというものでは最初期のものなのかもしれません。

(研究調査員 今村千文)