【答え】

3 官営での酒造り

【解説】

昭和20年4月、沖縄に上陸したアメリカ軍はニミッツ布告と呼ばれる「米国海軍軍政布告第1号」を発しました。この布告では、南西諸島における日本の施政権を停止し、これらの島々をアメリカ軍の軍政下に置くことが宣言されていました。
終戦後も沖縄は、アメリカ軍によって、日本本土とは切り離して統治されることとなりました。そのため、税務行政も日本本土とは異なった復興の道筋をたどることになりました。
沖縄国税事務所が作成した『戦後沖縄税務行政史』によれば、昭和21年3月15日に沖縄諮詢会財政部が設置され、その当初の税務関係業務は、官営酒造廠の運営であったと記述されています。酒造廠は、同年5月に首里や伊芸などに設置され、生産した酒を配給するという方法で始まりました。
この酒造りは、アメリカ軍が日本本土上陸に用いるために沖縄に集積した物資を利用して、酒の醸造を行ったもので、官営事業として行われていました。
昭和24年1月1日に官営酒造廠は民間へ移管され、それに伴い酒造税が公布されました。
昭和21年当時、沖縄ではすべての経済取引が禁止され、食料品や日用品などすべてがアメリカ軍から無償で配給されていました。酒造廠設置から約1年後の昭和22年3月指令第7号により、戦後初めて沖縄において税制が施行され、昭和22年4月に南部地方税務署、中部地方税務署および北部地方税務署の三署が設置されました。沖縄諮詢会は、何回かの組織変更を経て、昭和27年に琉球政府となりました。アメリカ軍政下での税務行政は、昭和47年の沖縄の日本復帰まで続きました。

(研究調査員 菅沼明弘)