NETWORK租税史料

 今回ご紹介する史料は、租税完納、インフレ終息を訴えたチラシです。
 史料を見ていきましょう。
チラシ「租税完納」の旗を持った人々が、「インフレ」を蹴散らしています。下部には、「所得税更正決定の税金は早く納めましょう」とも書かれています。旗に書かれている「租税」とは、所得税の更正決定を指していると考えられます。
 史料の右下部分には「大蔵省、財務局、税務署」と書かれており、このチラシの作成者と考えられます。財務局は、昭和16(1941)年に税務監督局が改称されたもので、国税事務のほか、会社経理統制などを行っていましたが、昭和24(1949)年には国税庁が大蔵省外局として発足すると、財務局の国税事務に関する部分も国税庁の下部組織である国税局へと移管されました。このチラシは、昭和23(1948)年に作成されたものと考えられます。
 このチラシが作成されたのはどのような時期だったのでしょうか。
 戦後の日本は、最悪の財政状況に陥っていました。国家再建のために徴税強化が目指されますが、日本の財政は崩壊に直面し、一挙にインフレーションが進んでいました(例えば、消費者物価指数を見ると、昭和21(1946)年8月から翌22年3月までの平均物価を100とした場合、昭和22年6月は190、7月は223と激増しました(『昭和財政史―終戦から講話まで―第5巻』261頁))。
 この時期、税制も大きな改正が行われました。
 昭和22年には、所得税に申告納税制度が導入されました。それまでの税務署長の決定に基づく賦課課税方式から、納税者が自主的な申告納税制度に基づき納税する方式へと大きく変わったのです。
 しかし、昭和22年前後では、急激なインフレにより所得税などの納税者数が増えた上(昭和22年の所得税納税者数は約830万人と前年度より倍増)、納税者、税務当局ともに導入されたばかりの申告納税制度に不慣れという状況でした。ただでさえ戦後の混乱期という状況の中、納税意識の低下により納付実績は極めて低調であり、昭和22年12月末の最終予算額に対して収納された申告所得額は11.4%にとどまりました。GHQはこの状況に対して、徴税を強行するよう指示し、税務署の更正・決定は大幅に増加しました。その税務行政への反発から更に過少申告が多く行われ、昭和23年分の所得税納税者の約70%が更正・決定を受け、追徴税額は申告所得税収入の55%を占めるという悪循環に陥りました。
 このため、昭和22、23年は財政的にも危機的な状況に陥り、国は危機感を抱き、昭和22年12月には衆議院、参議院の両院で「租税完納運動に関する決議」がなされ、翌年1月には来栖赳夫大蔵大臣が納税宣伝に関する談話を発表し、インフレ終息、財政健全化のために租税完納運動、宣伝活動が活発化しました。
 それでは、なぜ、インフレ抑制のために租税の完納が必要なのでしょうか。
 当時の平田敬一郎主税局長は「租税の危機」(『財政』昭和23年2月号掲載)と題した文の中で、国民の租税負担軽減のために通貨をどんどん発行してインフレ状態が進めば、結局は経済の混乱、国民生活の苦難を招くだけであるのだから「インフレほど悪い税はない」と表現しています。また、会社員などの源泉所得税納税者と商工業や農業所得者などの申告所得税納税者との間にある税負担の不均衡については早期に是正するとともに、早急なインフレの終息のためには逆説的に租税の完納が必要であると訴えました。
 租税完納の旗の下、インフレを蹴散らす人々の姿が描かれたこの史料は、国家財政再建のため、インフレ抑制のために租税の完納をしなければならないという当時の目下の急務を国民に訴えた「チラシ」なのです。

(研究調査員 今村 千文)