岡 直樹
税務大学校
研究部教授


要約

本研究は、節税や租税回避を実証的、法学的、及び経済・社会学的な3つの側面から立体的に捉えようとした試みである。
第一部では、申告納税制度の下、税収面及び社会的な面で大きな存在である高額所得者や大法人についてデータに基づく実証的な分析を試みている。
第二部では、節税行動や租税回避を巡り、納税者・税務調査官が留意すべき事項について法理論的な整理を試みている。
更に、附録として、法と社会規範の関係を巡る分析を税務行政に応用した理論的研究を紹介するとともに、そこから得られる示唆について実験的な考察を行っている。

研究の概要

法律には、一つの答えを生み出す'切れ味'の良さがあり、税法も同じである。国税職員は税法について質の高い訓練を継続的に受けている。しかし、租税回避への対応においては、制定法である租税法の解釈以外にも民・商法や国際法の影響を受けるほか、最終的には弁論主義(自己に有利な法律要件の充足について主張・立証が必要)の下での訴訟対応(司法主導による決着)が必要となり得るなど、税法の規定に事実をあてはめれば答えが得られるという意味での'切れ味'は得られない。
また、納税協力(tax compliance)が課税庁の法の執行のみで実現していないのだとすると、税務行政の設計・運営には経済学や社会学を参考にしたソフト・ローの知見も採り入れた総合的な考察が有効であろう。納税者を知るように努め、税法の切れ味にだけ頼るのではなく、ダイナミックかつ総合的なマネジメントの観点が必要とされることに気づかされる。
これらの点(少なくとも一部分)は経験的に既知の事柄であったのかもしれないが、本研究では実証的な研究に基づき素材を提供しつつ、理論的な観点からも確認しようとしている。
第一部においては、高額所得申告者及び大規模法人について、申告事績等に基づいてその実態を大まかに捉えるとともに、実効税負担率を引き下げる要因が何であるか、企業会計上の利益と税法上の課税所得の差は主に何に由来するのか、といった点について窺い知ることができないか試みた。
そこから浮かび上がってきたわが国の高額所得申告者の特徴として、以下をあげることができる(2007年)。
年齢構成をみると、高額所得申告者全体に占める年金世代(65歳以上)の者の割合は33%である。これは、全人口に占める65歳以上の比率20%より高い。居住地は、東京に一極集中している。
所得構成をみると、給与所得の比率が高い。所得が高くなるほど、株式譲渡所得の割合が増える。事業所得・不動産所得は1/7程度にすぎない。
各種控除の利用をみると、所得が高くなるのに比例して寄付金控除、外国税額控除、配当税額控除の利用が多くなる特徴がある。
所得税の実効負担割合(税額の合計所得金額に対する割合)は、納税者全体をみると5千万〜1億円をピークに、"累退的"な構造となっているように見える。しかし、内訳をみると、累進構造は存在しており、分離課税される所得を有する納税者の低い税負担が1億円以上の納税者全体の税負担を引き下げていることが分かった。
出現頻度をみると、日本の高額所得申告者には、安定的に高額所得申告者グループに登場する人が比較的多いと思われる(2001-2007年)。
実効税負担率を引き下げる要因について、日米のスーパーリッチ(TOP400の申告)の国際比較を通じて検討すると、米国では、タックスシェルターの赤字所得控除を通じた課税ベースの圧縮が積極的に行われているように思われるが、日本では納税者全体の観察からは米国ほど明らかな兆候はみあたらなかった。
ただし、日本においても所得水準に比して高額な控除の利用例が存在することが分かった。
なお、日本では資産性所得(利子等)の申告状況が、制度の違いを考慮しても米国に比べ低調に感じられたが、その理由については不明である。
次に、大規模法人について、企業会計と税務会計に乖離が存在するのか、また、それは何に由来するのかといった点について、有価証券報告書及び申告実績に基づいて観察した。対象としたのは資本金額、売上金額、及び業種の違いを加味した基準に基づいて選んだ日本のTOP100社である(税額ベースで全法人申告の1/8のシェア)。
TOP100社全体でみると、わが国でも米国同様、当期純利益(企業会計の金額)より法人税の課税所得(税務会計の金額)の方が低くでる傾向がみられる。
しかし、内訳をみると、6割の企業では税務会計の金額の方が企業会計の金額より大きく算定されており、少数の企業で企業会計より税務会計の金額が大幅に低くなっていることがTOP100社全体の傾向に影響していることが分かった。

第二部においては、第一部のデータから得られた示唆も参考にしながら、節税・租税回避への対応について、主に税務調査官と納税者ないし租税回避スキームを設計・擁護する第三者等の間でどのような点を軸に検討することが有益か、紛争の未然防止や争点の絞込みに資する観点から検討を試みた。
税務調査における調査官の視点から論じているが、裏返せば税務上否認されないためのポイントとなるので、納税者にとっても参考になろう。
国際的には、OECDは、契約自由の尊重が出発点となるべきとの認識を強調した上で、例外的に、取引の経済的実質が形式と異なる場合や、関連した複数の取引を一体として捉えることが合理的な場合には、課税庁が私法上の法律構成の性格を認定しなおして税法を適用することが許されるというコンセンサスを示している。
先行研究等を見ると、米国及び欧州裁判所においては、税以外の事業目的の存在(主観的及び受益により客観的に確認)と租税回避意図の存在を軸に、制定法の規定の趣旨・目的との関係も考慮して租税回避に対応しようとする流れがあることが報告されている。
税務調査において、調査官は取引における租税回避意図の有無に着目して検討を開始することは自然な流れかもしれない。しかし、それだけで租税回避を否認し得るものでもない(わが国では租税法律主義の縛りが強いとの指摘がある)。
他方、税以外の事業目的の存在の有無を問題とする"税以外の目的必要原則"とその背景にあると考えられる"自己無効の原則"(self-defeating theory)は、わが国の裁判例においてもこうした考え方をみることができると言い得ることから、実務において租税回避の有益なメルクマールの一つとなり得るのではないかと考えた。
具体的には、「税以外の目的必要原則」と制定法の規定や事実認定のあり方を機動的・効率的に組み合わせることにより、租税回避行為に積極的に対応することを提案している。

なお、附録として、米国における法と社会規範を巡っての議論を紹介し、併せて若干の考察を行っている。
人々が自主的に正しい申告を行うのはなぜか、法の厳格な執行だけで説明することはできない。
そこで、多くの人々は社会規範に従おうとしており、自主的に申告を行うのは、社会規範に従っていることについての"シグナル"を社会の他の構成員に発するためであるという説明が登場する(「シグナル理論」)。
シグナル理論で十分説明できない点も多く、直ちに実用的とまでは言えないかもしれないが、法の厳格な執行やそのことにより"制裁の期待値"(適正申告をしない場合に調査で更正されペナルティを受ける見込み)を高めても大多数の善良な納税者に対しては有効な対応たりえず、むしろ市民の政府に対する信頼が納税協力を推進する上で重要であることについて理論的な説明を与えている点からは触発されることが多い。
特に、大多数の善良な納税者に対するアプローチと、それ以外の一部の逸脱者で異なる観点から独立の指針が与えられるべきことが合理化される点は重要なポイントであり、これからの税務行政を構想する上で具体的に応用できる可能性を秘めていると思われる。

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