「担当官」
「担当官」
「鑑定官」
「鑑定官」

担当官:これまで、ビールの「色」「味」「香り」「泡」について教えていただきましたが、どれも原料でビールの違いが出ているのですね!

鑑定官:そのとおりです。どのビールも醸造家・製造者の方のこだわりが詰まっているのです。
次はビールの原料として代表的な「麦」「ホップ」「水」「酵母」について説明しますので、こだわりの1杯を見つけるときの参考にしてくださいね。

担当官:よろしくお願いいたします!

麦について学ぼう!

【東京国税局 小野玄記鑑定官】

太古から、ビールには、多様な原料が使われてきました。16世紀ドイツのビール純粋令において、ビールの原料は大麦・水・ホップと初めて定められました。ただ、この純粋令は、ドイツ国内における下面発酵酵母のビール造りに適応されたもので、上面発酵酵母によるビール造りでは、小麦が原料として使われています。現在、ビールには、麦芽・麦、副原料、水、ホップ、香辛料、酵母等の原料が使われていますが、麦が基幹であることは、いうまでもありません。

麦について学ぼう!

1 麦類

太古から、麦類は、ヨーロッパ・西南アジア・北アフリカ等の旧世界において最も利用されてきた穀物です。麦類の原産地は、中央アジア及び西アジア(メソポタミア)等の中近東と考えられており、エジプト、ギリシア、ローマを経てヨーロッパへ伝播していきました。麦類は、パンやオートミール等の食料や酒類や飲料の原料として利用されてきました。麦類が原料のお酒には、ビール・ウイスキー・焼酎等がありますが、ビールは5000年以上の歴史がある古いお酒です。
 麦類には、小麦・大麦・ライ麦・燕麦・カラス麦等の種類があります。小麦は、食用として最も好まれている麦類ですが、温度・降水量・日照時間等の栽培条件が厳しく、特に寒さに弱いため、栽培地が限定されます。
 ところで、1516年ドイツのバイエルンで制定されたビール純粋令では、「ビールは大麦・ホップ・水で造るべし」と定められました(実は当時、酵母の存在が知られていないため、未記載であった)。この純粋令以降、ドイツでは、大麦以外の原料の使用を認めていないことから、ビールの品質を守るための画期的な法令であると評価されています。では、なぜ大麦が原料として選ばれたのでしょうか。

2 食料(パン)としての麦

麦類は、使用する用途により、品種の優劣があります。例えばパンの原料として麦を見ると、小麦は他の麦に比べて優れています。市販されているパンは、大部分は小麦が原料です。
 なぜ、小麦で造ったパンが、高く評価されるのでしょうか。
 それは、小麦だけが、グルテンという蛋白質を持っているからです。グルテンは、酵母の発酵によって生じた炭酸ガスを生地の内部に包み込みます。そのため、パン生地に、沢山の気泡が残りますので、ふっくらと膨らみ、やわらかい食感のパンになります。他の麦類は、グルテンがありませんので、原料に小麦を混ぜない限りふっくらしません。小麦は、食味に優れていたため、パンの原料に選ばれました。一方小麦以外のパンはなくなりましたが、例外的にライ麦パンは残っています。ライ麦パンは、独特の風味と歯ごたえに加え健康面等から評価されています。また、ライ麦は、耐寒性が強いことから東欧等寒い地域でよく栽培可能なことも理由の一つです。
 パンに関する麦の格付けは、小麦が断然トップで、ライ麦・大麦の順となります。

3 ビールの原料としての麦

ビールの原料としての麦はどうでしょうか。
 中世のヨーロッパでは、様々な麦を原料としてビールを造っていました。中世において、酒造りは修道院で行われていました。スイスのサンクトガレン修道院は、最古の修道院ビール醸造所です。820年当時の古い文献が残っており、当時のビール製造場の図やビールのレシピが記載されています。そのレシピによると、修道院長や皇帝・領主などの貴賓用には、大麦、小麦または大麦・小麦の混醸した強くコクのあるストロングビール、一般の修道士及び巡礼者には、燕麦を原料としたビール、農作業者や貧しい巡礼者には、燕麦や大麦から造られるストロングビール用麦汁の二番搾りの一部と三番搾りの麦汁から醸した弱いビール等が造られていました。つまり、社会階級によって、原料・製造法を変えて3種類のビールを造って飲用していたことが記録されています。西洋社会においては、身分によって飲むお酒が異なることはよくあることです。
 当時のレシピから、大麦と小麦はビールの原料として他の麦より上位であり、両者では差がないことが分かります。つまりビール原料として麦類の格付けは、小麦、大麦は同等でライ麦・燕麦の順となります。

4 ビールの原料としての大麦

ビール純粋令は、大麦をビールの原料としています。大麦は、ビール原料として小麦と共に最上位に格付けされており、品質を守る目的は達成できます。しかし大麦ではなく小麦でも良かったのではないでしょうか。大麦が選ばれたのは、品質以外の意図があったとも考えられます。つまり、小麦をビール原料として使わせないようにしたとも考えられます。
 ビール純粋令の発令後においても、王等の一部の特権階級は、小麦ビール(上面発酵でありビール純粋令から除外)を独占的に造り、自ら嗜むとともに、民衆に販売し多額の利益を得ていました。
 つまり、小麦ビールは大麦ビールと比べて決して品質が劣ることなく、美味しいビールを醸すことができたのです。ただ、政治的に考え食料不足を避けるため、パンとして優れた特性を持つ小麦を食料として確保するため、他に用途があまりない大麦をビールの原料として指定したと考えられます。

5 酒造に適した原料とは

一般的に、食用原料と酒造用原料で求められる特性は異なります。食味が優れたものから、美味しいお酒ができるとは限りません。そのため、酒類原料は、酒造適性を勘案し開発されています。
 ビールの原料である大麦は、二条大麦と六条大麦の2つの形態型があります。この違いは、穀粒の実り方の違いから来ており、穀粒が二列であれば二条大麦、六列であれば六条大麦となります、二条大麦は六条大麦の4列が退化したもので1粒当たりの大きさは有意に大きくなります。二条大麦は、六条大麦と比べて、澱粉価が高い、穀粒が大きい、蛋白質が少ない、粒ごとの大きさが均一等の特徴があります。これらの特性は、ビール用品種として優れており、二条大麦から新品種が数多く開発されました。19世紀の欧州でビール醸造用品種の育種が始まり、世界各地へ広がり、さらに各地で新品種が造られました。

ホップについて学ぼう!

【東京国税局 小野玄記鑑定官】

爽やかな苦味・落ち着きのある穏やかな香り・途切れることなくゆっくりと上昇する微細な気泡・清らかに盛り上がる美しい泡の蓋等は、いずれもビールに固有の現象です。ホップは、このいずれの現象にも深く関与しています。ホップは、今でこそビールの不可欠な原料ですが、5000年以上続くビールの歴史の中で、その地位を確立したのはわずか500年程度に過ぎません。
 では、ホップはどのようにしてビールと出会い、不可欠な原料となったのでしょう。

ホップについて学ぼう!

1 ホップの成分と役割

ホップには、ホップ精油・ホップ樹脂・ポリフェノール等があり、それぞれビールにおいて重要な役割を果たしています。

(1) ホップ精油

ホップ精油は、ホップを水に入れて煮沸すると、水蒸気と共に揮散してくる油状で芳香のある成分です。ホップ精油は、ビールの香りの質・強さに影響します。

ホップの種類によって香気成分の種類や含有量が異なります。そのため、ホップの配合・使用量の比率等を変えることで、多様な香りを造りだします。

(2) ホップ樹脂

ホップ樹脂は、ビールの苦味や泡の安定性を向上させる成分が含まれており、ビール固有の特徴である苦味・泡立ち・泡持ちに関与しています。

ホップ樹脂の苦味成分は複数ありますので、ホップの種類によって苦味が異なります。ホップの種類・ブレンド割合等を変えることで苦味の質を変えることができます。

(3) ホップタンニン(ポリフェノール)

ホップタンニンは、水溶性なので麦汁に溶け込み、麦芽由来の蛋白質と結合します。その結果、ビールの混濁成分を取り除き、ビールを清澄化(せいちょうか)します。

また、ポリフェノールには品質を劣化させる乳酸菌等に対して抗菌作用があります。

このようにホップには、香り・苦味・ビールの清澄化(せいちょうか)・泡立ち、泡持ちに加え、殺菌力があり、ビール造りに大きな役割を果たしています。

2 紀元前のビールの製造

元々、ビールは麦芽だけではなく、様々な香辛料を添加して飲用したり、醸造していました。ビールは「液体のパン」と言われていますが、初期のビール造りでは、一旦パンを焼き、千切って水に入れ発酵させていました。つまり「液体のパン」とは、パンを造る工程が共通であるため、そう呼ばれていたという説があります。一方、ビールの栄養価がパンと同等であることから、「液体のパン」と呼ばれたという説もあります。

(1) シュメール人によるビール

紀元前3000年前にシュメール人が造っていたビールは、麦汁以外にも蜂蜜やシナモン等の香辛料を添加して醸造していました。

(2) エジプト人によるビール

古代エジプトにおいて最も飲用されていたビール(チズム)は、ルーピン・ウイキョウ・サフラン等の香辛料を加えて醸造していました。

(3) ゲルマン時代によるビール(グルートの登場)

古代ゲルマン時代では、様々な香草や薬草を混ぜて醸造していましたが、やがて、香辛料を組合わせてオリジナルのグルート(香味剤)を造り、グルートを添加したハーブビールを造るようになりました。

(4) 中世ヨーロッパの食文化

中世ヨーロッパの食文化において、料理はスパイスを効かせた辛口のものが嗜好されており、ビールについても辛口が好まれたと記録が残っています。グルートの材料として、テンニソウ・ヤチヤナギ・西洋ノコギリソウ・ニガヨモギ・チョウジ・ニッケイ等が、よく使われていました。やがて、より早くより強く酔えるように、ヒコスやベラドンナもグルートの材料になりましたが、これらの材料には毒性があるため、後に使用禁止となりました。

(5) グルート権(利権)

グルートは、オリジナルの原料・配合割合等独自のレシピ等で造られましたが、やがてグルート権(利権)は特権となりました。グルート権は、国王・大司教・ギルド等一部の特権階級等が独占していたので、市民がグルートを使用する際は、使用料を支払う必要がありました。

3 ホップの登場

(1) ヨーロッパへの伝播

ホップについては、コーカサス地方に自生しており原産地と考えられています。ヨーロッパには、南ロシアのスラブ人経由で伝わった説が有力です。ドイツへの伝播は、736年戦争捕虜の西スラブ系ヴェント人がドイツに定住し、ホップを畑に植えたことが記録として残っています。さらに、女医で尼僧のヒルディガディス(1098〜1176)が医学や薬学に関する著書を残しました。その中で、燕麦・ホップ・トネリコの葉を原料としたビール造りについて書かれていますが、この記述が初めてビールにホップを添加した記録となります。このことから、おそらく12世紀には、ホップはビールの原料になり始めたと考えられます。

(2) グルートからホップ

13〜14世紀になると、北ドイツにおいてビール醸造は、重要産業となり、海外へ輸出されるようになりました。当時、ビールの腐造や輸送中の微生物汚染等が問題となりましたが、原因は不明でした。輸出を行うには、ビールの品質の安定性が求められます。そのため、原料を含めビール醸造について検討が進められました。その結果、ホップは、グルートと比べて優れた抗菌性を持つこと、風味が長持ちすること、苦味の質が優れていること等が確認されました。ホップ派とグルート派の間で長い対立がありましたが、徐々にホップの長所が認められ、15世紀には北ドイツ、16世紀には南ドイツにおいても、グルートは消えていきました。

一方、英国では、グルートを添加した伝統的なエールがあったこともあり、新参者のホップの使用については遅れました。ようやく1576年に同じ量の麦芽からホップ入りビールとホップ不使用ビールを造り比べたところ、ホップ入りは2倍の量ができ、2倍長持ちすることが分かり、経済的に優れていることが判明しました。さらにビールの香味についてもさわやかであったことから、ホップの有意性がようやく認められ、ホップは添加物としての地位を確立するようになりました。こうしてイギリスでも17世紀半ばにホップの使用が認められると、17世紀末にはホップを添加しないビールはほぼ消滅しました。

(3) ホップがビールに与えた影響

ホップを未使用のビールでは、微生物汚染を防ぐため、麦汁濃度を上げエキス分やアルコール分が高いビールを醸しました。そのため、できたビールは甘重く、濃醇タイプのビールとなりました。

一方、ホップを使用したビールでは、ホップの抗菌力を利用したため、麦汁濃度を下げ、結果的にエキス分・アルコール分の低いビールを醸すことができました。そのため、できたビールは、甘味が少なく・すっきりとしたタイプのビールとなりました。さらに麦汁濃度を下げることで、同じ原料からより多くの麦汁を造れるようになりました。

つまり、ホップの添加により経済的なメリットも増しました。以上のように、ホップはビール造りを大きく変えて、不可欠な原料となりました。

(4) アロマホップとビターホップ

ホップには、アロマホップとビターホップの2種類があります。

アロマホップは、ビターホップと比べて繊細なホップ香を持つホップで、チェコのザーツ種・ドイツのハラタウ種等があります。

一方、ビターホップですが、苦味質(フムロン含有量)が高いホップで、ドイツのノーザンブルワー種、アメリカのクラスター種等があります。

両者の化学成分の違いとしては、不快な苦みをもつコフムロンやスパイシーな香りをもつ「フムレン」の量などにかなりの違いがあることが分かっています。

アロマホップは、高価であり、使用量、使用時期、使用方法については、工夫して使います。

水について学ぼう!

【東京国税局 小野玄記鑑定官】

水は、ビールの90%以上を占める最大の原料です。米・麦等の澱粉を原料とした酒造りでは、澱粉の液化や糖化を行うために、水は不可欠な原料となります。水は地域ごとに成分が異なり酒質に影響を与えますが、こうした現象が判明したのはごく最近のことです。清酒では、昔から「灘の男酒・伏見の女酒」という言葉がありましたが、この現象も水が原因になっています。

水について学ぼう!

1 硬水と軟水

水は、含まれるミネラル量によって、硬水と軟水に分けられます。日本の水は、ミネラルの少ない軟水です。一方、ヨーロッパの水は、地層にある石灰層を水が通過する際ミネラルを溶かすため、ミネラルが多い硬水になります。特に、ビールの主産地であるドイツ・イギリスでは、硬度が高い硬水が大部分です。
 硬水は、発酵も旺盛になりやすいこと・麦芽から多くの成分を溶け出させること等から、味・色の濃いビール造りに向いています。

2 ピルスナーの登場

現在、日本において良く飲まれているビールのタイプは、ピルスナータイプで透明感がある黄金色のビールです。ところで、19世紀半ばまで、ビールの色は、ほとんどが赤みを帯びたくすんだ色のビ−ルでした。ピルスナービールの登場は、いくつもの偶然が重なりました。

(1) 水の恩恵

チェコのピルゼンはピルスナーの発祥地です。19世紀の半ばまで、ピルゼンはビールの製造技術が遅れていました。1842年ピルゼンの醸造家たちは、当時優れた品質のビールを醸していたミュンヘンの下面発酵酵母によるビール造りに着目しました。彼らは、下面発酵酵母による造りを行うために醸造所を建て、バイエルンの醸造職人を招聘して試醸しました。出来上がったビールは、ミュンヘンのビールとは異なり、色はダークカラーではなく明るい淡色、味わいも重厚なものではなくすっきりとした切れ味とのど越しの良いビールとなりました。なぜ、同じレシピを忠実に守り造ったにも関わらず、異なる酒質のビールになったのかについては、当時の科学知識では不明でした。後になって、これらの原因は水の成分によることが判明しました。ミュンヘンの水は、重炭酸塩を含む硬度が高い水なのに対し、ピルゼンの水は、ヨーロッパでは珍しい軟水だったことが要因の一つです。軟水での造りは、麦芽からのタンニン等の溶出も少なく、色の薄いビールになる傾向があります。

(2) 産業革命の恩恵

19世紀は、産業革命が起こり様々な機械が開発され、大きく社会変化した時代です。ピルスナーは、こうした時代の恩恵を多く受けました。

麦芽造りには、発芽後生育を止めるための焙燥工程があります。焙燥工程は、太古では自然乾燥でしたが、19世紀半ばまで、直火による焙燥を行っていました。直火での焙燥作業は火加減が難しく、頻繁に麦芽を焦がしたために着色しました。その麦芽で麦汁を造るため、麦汁の色は赤褐色や赤銅色でした。

19世紀の半ば、熱風による麦芽の焙燥装置が開発され、焦がすことなく焙燥が可能となりました。そのため、淡色麦芽とピルゼンの軟水を合わせることで、黄金色に輝く美しいピルスナーとなったのです。

(3) ガラス容器の恩恵

さらに幸運だったのが、1840年代にイギリスでガラスへの税金が撤廃された時期と重なったことです。品質評価等をガラス容器で行うことは、酒造りに影響を与えました。従来、お酒の品質評価は香味を中心に行いましたが、ガラス製の容器できき酒を行うことで、新たに色・外観が品質評価の対象に加わりました。透明感に溢れ、鮮やかに澄んだ黄金色、軟らかく清らかな白い泡の蓋、優雅で宝石のように輝いて見えたことでしょう。ガラスの器の普及の流れはヨーロッパ全土から世界へと広がるとともに、ピルスナーの評価も上がっていきました。

3 ビール製造にとって良い成分、悪い成分

ビールの製造工程では、仕込み用水、スパージ水等を使います。仕込み用水では、含まれる塩類の種類と濃度は製造工程や製品の品質に影響を与えます。清酒と同様に、銘水の条件は特にありませんが、成分の違いは、タイプの違いとなって現れます。
 例えば、バイエルンの水は硫酸塩が少なく重炭酸塩水なので、濃色・甘口のビールになります。一方、ピルゼンの水は極端にミネラルが少ない水なので、淡色・苦味の効いたビールとなります。

酵母について学ぼう!

【東京国税局 小野玄記鑑定官】

酵母は、酒造りにとって不可欠ですが、その存在が明らかになったのは、19世紀に入ってからです。
 現在、酵母は、酒以外にもパンや麺類などの食品に加え、味噌・醤油・酢等の調味料まで、幅広く食品業界で利用されています。使用される酵母は、製造条件、用途に合わせて使います。酒類では、清酒には清酒用酵母、ビールにはビール酵母というように、酒類それぞれに専用酵母を使います。

酵母について学ぼう!

1 ビール酵母の性質

ビール酵母には、上面発酵酵母と下面発酵酵母の2系統の酵母があります。紀元前3000年以上前から、人類はビールを造ってきましたが、上面発酵酵母は、その当時から現在まで使われ続けています。一方、下面発酵酵母は、15世紀ドイツで発見され、19世紀にピルスナー酵母として世界的な注目を浴びて、現在では、主流の酵母になりました。では、両者における違いは何でしょうか。

(1) 発酵末期の挙動

上面発酵酵母は発酵が進むと炭酸ガスの泡と共に液面に浮き上がるのに対し、下面発酵酵母は凝集して沈降していきます。(現在、上面発酵酵母でも、タンクの形状によっては沈降します)

(2) 発酵温度

上面発酵酵母は、15〜25℃付近では旺盛に発酵しますが、低温ではほとんど発酵できません。下面発酵酵母は、広い温度帯で発酵が可能で、特に低温でも良く発酵します。

(3) 発酵期間・貯蔵期間・熟成期間

上面発酵酵母は、発酵温度が高めなので発酵期間は短くなります。また、貯蔵熟成期間も短めです。下面発酵酵母は、発酵温度が低いため発酵期間は長くなります。また、貯蔵期間も長めとなります。

(4) 成分・ビールの酒質の特徴

上面発酵酵母は、アルコール以外にも果実香(エステル)等多様な副産物を生産します。そのため、醸されたビールは、フルーティーで華やかな風味のビールとなります。下面発酵酵母は、上面発酵酵母と比べて副産物も少なめです。そのため、醸されたビールは、まろやかでクリアですっきりとした風味のビールとなります。

2 下面発酵酵母

下面発酵酵母は、南ドイツで15世紀に登場し、400年後の19世紀に、ビール造りの主役となりました。では、なぜ下面発酵酵母は、上面発酵酵母に取り換わったのでしょうか。

(1) ドイツの事情

15世紀後半に、南ドイツではビールの冷たい(低温発酵)醸造法が開発されました。このビール醸造では、低温条件の仕込みに適合した下面発酵酵母が使われました。

南ドイツは、イギリスと異なり大陸性の気候のため、寒暖の差が激しく夏は暑く冬は寒くなります。この当時、冷却設備はないため、特に夏場は腐造が頻繁に起こりました。一方、冬場は微生物の汚染のリスクは軽減できましたが、寒さに弱い上面発酵酵母ではあまり上手く発酵できません。偶然、寒さに強い下面発酵酵母と出会ったことにより、寒い時期でのビール醸造が可能となりました。

(2) 下面発酵酵母への移行

下面発酵酵母は、低温発酵できますので、微生物の汚染リスクが減少しビールの品質は大いに向上しました。ただ、この当時冷却設備はなく、夏場の低温発酵は出来なかったので、冬は下面発酵酵母、夏は上面発酵酵母によるビール造りを行っていました。ただこうした煩雑な作業は混乱や品質の低下を招く恐れがあることから、1553年、バイエルンでは新たな条例「ビールの醸造は全て下面発酵とし、聖ミカエル祭(9月29日)から翌年の聖ジョージ祭(4月23日)の期間だけ醸造を許す」が発令されました。

この条例により、温かい時期に消費されるビールも寒い時期に醸造するように変わりました。冬場はできたてのビール、夏場は冬に醸造したビール貯蔵・熟成して飲むようになりました。これがラガービールの始まりです。当時、まだ火入れ殺菌は行われていなかったため、長期間に渡り、品質を安定化して貯蔵するために、夏用ビールは、麦汁・ホップの使用量も通常と比べて多めに使われました。

下面発酵酵母が天下を取るのに時間が掛かりました。19世紀半ばになって産業革命が起こり、冷却設備の開発に成功し、ようやく夏でも下面発酵酵母によるビール造りができるようになりました。このことが下面発酵酵母への造りの移行を、推し進めたのです。

3 ヴァイツェン酵母

ヴァイツェン酵母は、ヴァイツェンビールを醸す時に使われる酵母で、上面発酵酵母の一種です。ヴァイツェンビールは、原料に小麦を使用しており、やわらかな口当たり、さわやかな酸味・濁り・きめ細かい泡立ち等に特徴があります。また香味にも特徴があり、酢酸イソアミルによるバナナ様のフルーティーな香り、スパイシーな風味味わい等個性的な味わいとなります。

4 その他の酵母

ベルギーに、古い時代のビール造りであるランビックというビールがあります。このビールでは酵母を添加せず、自然な状態で酵母の増殖を誘導します。酢酸やフェノール系化合物等の個性的な味わいのビールが出来ます。ランビックでは、普通のビール醸造で見られない、ブレタノマイセス酵母が関与することがあります。
 ブレタノマイセスは、特にワインでは獣、皮革臭など不快な香りの生産菌として知られており、嫌われています。ブレタノマイセスはゆっくりと増殖し、何でも栄養として取り込む旺盛な生命力があり、酢酸やフェノール化合物等の個性的な香味を造りだします。

(令和5年5月1日現在施行の法令・通達等に基づいて作成しています。)