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平成20年度「税に関する高校生の作文」国税庁長官賞受賞者発表
国税庁長官賞
【都道府県】 北海道
【学校名・学年】 北海道旭川商業高等学校 3年
【氏名】 花田 真珠子
【内容】
私たちが納めている税金は、国の収入として、様々な場面で活用されています。税金は福祉や教育のために使われ、私たちの暮らしに還元されているのです。
そんな中、税金を滞納している国民がいるという報道が、ニュースで流れたことがありました。それは、日本国民としての義務を放棄していると思います。社会で生活していく上で、税金は欠くことができません。私はこの作文を通して、税金の仕組みと重要さを理解し、自国の運営についての知識を高めていきたいと思います。
私は、九年間の義務教育を終え、現在高校三年生です。税金は教育に関しても多く使われており、その総額は五兆三千百二十二億円にもなります。この税金のことを「文教及び科学振興費」と言います。これらは、私が勉強してきた十二年間、教育費を負担するために使われてきました。また、私は大学に進学したいと考えていますが、そのときに援助金として使われる、「教育振興助成費」も含まれています。この税金は、これからの社会を担う若者を育成するためのお金です。知らないということは、とても恐ろしいことです。知らなかったというだけで損をしてしまうことが、人生にはたくさんあります。だから私は、知識を高める学びの場に行くための支援ならば、もっとしても良いと思います。友だちの中にも、金銭的な面で大学進学を断念してしまった子がいます。その話を聞いて、私は疑問を持ちました。大学は自ら進んで学びたいと思う人が行くはずの場所なのに、なぜ行きたくても行けない人がいるのだろうかと思いました。教育振興助成費があるということだけで、私たち学生やその親はとても快適に生活しています。ですが、この税金は少し使い方を工夫するだけで、もっと多くの人たちの生活を快適にすることができるはずなのです。本当に必要としている人の手元に、確実にそのお金が届くような制度を作ってほしいと思います。
また、私が普段学校で生活している中で、スロープや手すりなどのバリアフリーの不十分さが目につきます。足などの身体的に不自由がある方のための快適さは、まだまだ足りていません。そして、学校にはお年寄りの方も多く来校されます。その方たちへの配慮もなされていません。本来ならば、エレベーターやエスカレーターなどを設置することが望まれます。しかし、とても高額になってしまい、多くの学校は手を出すことができないでしょう。ですが、玄関前のスロープや階段の手すり程度であれば、高額にもならず、私のような障害のない人でもとても助かります。バリアフリーの行き届く学校であれば、体にハンディーキャップのある人も、そうでない人もお互いが、過ごしやすい日々を送ることができるでしょう。このように校舎改築などのためのお金を文教施設費と言い、年間で千百五十五億円使われています。したがって、快適な毎日を送るためのお金として集められているのが、税金なのです。
ですが、いくら教育に関してたくさんのお金があるからといって、ただ貰うだけではいけません。私たちも少しでも無駄をなくす努力や工夫をしなくてはいけないのです。その一つに「エコ」があると思います。今、世間でも話題となっている「エコ」ですが、学校で取り入れるというのはどうでしょうか。学校では紙が大量に使われます。毎日何枚ものプリントが配られ、最終的には捨てられてしまいます。中には、わざわざ全員に配らなくていいものもあるので、クラスで掲示するなどの工夫ができます。こんな小さいことも、継続すれば必ず効果が出てくるはずです。国民から集められた大切なお金を、いかに国民の暮らしのために活用するのかを決めるのは国でも総理大臣でもなく、私たち国民なのです。
私はこの作文を書くにあたり、事前に配られた刷紙や国税庁のホームページを読みました。普段自分が暮らしている中で、税金として払っている自覚があったのは、消費税だけだったのが、知らない所で自分に対して税金が使われているということを知りました。私が今回「教育」に対して使われている税金について書いたのは、私が将来教育の現場で働きたいと思っているからです。学ぶということは素晴らしいことです。それを多くの子供たちに伝えたいのです。どんな子供たちにも平等に、税金が使われてほしいと思います。
税金とは、国に対する投資だと私は感じました。これからこの日本がより良くなるための、社会を担う若者を育成するための、そして、豊かで健康的な人生を送るための投資だと思います。これから税金を払うときには、こんな気持ちを持っていたいです。この気持ちが伝われば日本の未来は明るいでしょう。
【都道府県】 宮城県
【学校名・学年】 仙台女子商業高等学校 3年
【氏名】 矢作 瑞帆
【内容】
私は今、一つの大きな夢を抱いています。その夢というのは、特別支援学校教諭になることです。この夢に少しでも近付けるように高校一年生の夏期休業から今日まで、障害児施設でのボランティア活動に参加しています。私はこの夢を抱き、活動を始めたことがきっかけで、税金に対する不信感を抱くようになったのかも知れません。
なぜ消費税を上げるのか、なぜガソリンの値段を上げるのか、以前からこのような疑問ばかりを抱いていた私にとって、税金そのものの印象は決して良いものではありませんでした。確かに私達には、納税の義務があります。そして、義務だからこそその本質を知る権利もあります。しかし、新聞記事やテレビの報道番組、インターネットなど、様々なマスメディアにおいて取り上げられているのは常に税金の無駄遣いについてです。私達が納めている税金が、役に立ったということを耳にしたことは一度だってありません。そんな中で、税金が私達の生活に役立っていると言われても、それを信用することは私にとって不可能なことでした。
私が税金に対する不信感を抱いたのは、障害者自立支援法というものを知ったときでした。実際に施設で活動していた私は、障害があるだけでどれだけのお金が必要になってくるのか、多少の理解はしていました。それに加えてこの法律では、食費、そして医療費までも自己負担にするというのです。国はなぜ障害を理解しないのか、現に障害者、その家族がこんなにも反対しているのに、なぜ理由を聞こうとしないのか、言葉にならない憤りすら覚えました。
しかし、今考えれば当時の私は勉強不足だったのです。国に対して反発しているだけでは、前に進めません。きちんと現状を理解していないのは、私自身も同じことです。この時から私は、もう一度障害と税金の関係を学び直しました。
学習していくにつれて明確になった事実がありました。それこそが税金の必要性です。障害者あるいはその家族に対する手当や、年金制度というものは、非常に充実しています。更には税金の控除や減免などのシステムもあります。障害者の暮らしを医療、家庭環境、教育など、様々な面において支援しているのは国であり、そして税金でした。このことを知ったとき、やっと私の中から税金に対する不信感が消えていったように感じます。
私は今まで、自分はなんの役にも立たない人間だと思っていました。しかし、それが間違っているということに気付くことができました。納税の義務がある私達一人一人は、必ず誰かの役に立っているのです。消防車や救急車にも、税金が使われています。私達は皆、誰かの命を救って生きているのです。そして、救われて生きているのです。ゴミ収集車やゴミ処理費用などにも、税金が使われています。私達は皆、地球を美しく維持させながら生きているのです。だからこそ、納税には私達が考える以上に、責任があるのではないでしょうか。払わなければ、簡単に命は奪われてしまします。美しい地球も奪われてしまいます。
日本は、明日が約束された幸せな国です。明日がこないかも知れないという恐怖心がないからこそ、自分の今日の行いにも責任を持てなくなっているのです。今日私が、僕が、税金を払わなくても、なんの問題もないと考える人が、余りにも多すぎるのかも知れません。実際私も、そうでした。でも今は違います。明日が保障されている国で、誰かのため、自分のためにと相互扶助の精神で税金を納め続けることが、明日を保障されていない人々を救う、大きな力に変わってくれると私は信じています。
世界には、医療設備が整っていないため、幼くして命を落とす子ども達が数え切れないほど存在します。学校へも行けず、教科書も鉛筆も手にしたことのない子ども達が数え切れないほど存在します。食べるものもなく、真っ白な水を飲んだことのない子ども達が数え切れないほど存在します。住んでいる国は違っても、私達は同じ人間です。誰もが、幸せになる権利を持っています。しかし、たった一人で広い家に住み、豪華な料理を食べることが幸せではありません。誰かと協力して昨日よりも、何かが少しだけ幸せな今日を、手にすることが幸せなのです。
社会保障が充実しているのも、経済協力に努めることができるのも、全ては私達が納める税金があるからです。税金を支払うということは、自分の存在価値を見出すことであると私は考えます。どんな人だって、自分を、他人を幸せにすることができるのです。二年後成人式を迎え、私も納税者の仲間入りをします。そのことに誇りを持ち続け、しっかりと納税の義務を果たしていきたいと思います。
【都道府県】 栃木県
【学校名・学年】 栃木県立大田原女子高等学校 1年
【氏名】 澁谷 千沙都
【内容】
私の住む那須塩原市は、三年前に黒磯市と西那須野町と塩原町が合併して、人口11万人の新しい市となった。毎月2回「広報なすしおばら」が、各家庭に配布されるが、その時々の身近な話題を知らせてくれるタウントピックスや催し物の案内の記事などをいつも楽しみにして読んでいる。四月号には、那須塩原市の平成20年度の予算状況がグラフ化して掲載されている。一般家計予算を人口で割ると、市民一人当たりの金額は、約39万円になるそうだ。20年度の主な事業は、いよいよ黒磯インターが開設されるため、その整備やごみ処理施設整備事業である。最近は、大型商業施設が進出し、とても発展している市なのだと思っていたが、この記事の中で市長は、「地方財政の展望は厳しく、本市では、扶助費や医療費などの社会保障費の伸びが見込まれる一方で、市税や地方交付税は横ばいか前年度を下回る水準で、経常収支比率の上昇や地方債残高が増加する状況だ。」と述べている。国も県も同じように厳しい状況なのだそうだ。この広報紙の印刷はもちろんのこと、市が行っているあらゆる事業が税金で成り立っているということを考えると、税収入が減れば、当然市の行う予定の事業も行えなくなるということになる。そして、当然市民一人当たり39万円分のサービスも減ってしまうことになるのだ。改めて税金の大切さを思い知った気がする。
私は、これまで税金を払わない人はずるい人というイメージで考えていたが、このように国全体の経済状況が厳しい中では、税金を「払わない」のではなくて「払えない」状況の人がたくさん増えているのではないかと思う。例えば、健康を害して仕事ができず収入がなくなった人や、リストラに遭い仕事がなくなってしまった人など理由はいろいろあると思うが、「払えない」人が自立して払えるようになるためには、やはり公共サービスで助けることが必要なのだと思う。税金を使うことで、税金がまた税収入として戻ってくることになるのではないかと思う。
私の祖父母は、車で一時間程離れた町で二人で暮らしている。二人共高齢なため、母が休日には様子を見に行っているが、今のところは元気で車の運転もできるので、買物や病院へも自分で行くことができる。でも、運転ができなくなったり、病気になった時は大変なことになると心配している。その地域は過疎化が進んでいて、今年の四月には小学校が統合したと聞いた。母の卒業した小学校、中学校は全てなくなってしまったと言っていた。そして空いた小学校の校舎は、老人ホームの施設になるらしいと言っていた。これが今の日本が抱えている、少子高齢化という問題の現実の姿なのだとつくづく考えさせられた。「地域に小学校がなくなることももちろんだけれど、子供の姿が見られなくなるのがとても寂しい。」と祖母が言っていた。子供達は、スクールバスで少し離れた小学校へ行くことになったらしい。那須塩原市内でも、市街地と山間地では小中学校の規模の差がとても大きいため、通学区の見直しを検討しているという話題も、広報紙の「パブリックコメント」の中で知った。パブリックコメントとは、市の「今後の小中学校の適正数及び通学区域について」の中間答申に関して市民が意見を提出することができ、その意見は教育委員会やホームページで公表されるというものである。私達市民の声が直接行政に届けることができるというのは、素晴しい手段だと思う。祖母の「小学校がなくなって寂しい。」というような感情だけではどうすることもできないこともあるけれど、「どうしてもそこに小学校が必要なんだ。」という強い要望が市民から多数寄せられたとしたら、行政を動かすこともできるかもしれないのだ。私達市民は、公共サービスをただ待ち望んでいるだけではなく、もっとそのサービスの内容などに関心を持っていくことが大切なのだと思う。
税金は私達の生活を潤し、そして私達の未来を作ってくれるものである。今の生活がより豊かで、そして安心して暮らしていけるように税金を使っていかなければならない。税金がどんな使われ方をしているのか、ということが身近な広報紙からも知ることができるのだから、私達はもっと税金のことに興味、関心を持っていかなければならないと思う。そして日本中の子供達やお年寄もみんなが、安心して暮らしていける明るい未来のために、税金を正しく払える大人になりたいと思う。
【都道府県】 神奈川県
【学校名・学年】 公文国際学園高等部 1年
【氏名】 白石 望
【内容】
「お父さんの給料からこんなに税金とられているんだよ」
母に言われて明細を見ると、なるほど数十万単位でお金が引かれていて驚きました。どうして父が努力してもらった給料からこんなに税金が取られなくてはならないのだろうと考えて、税金の使われ方を考えてみました。
病院で払うお金のいくらかは税金から出してもらえますが、私の家族は皆健康的で病院はあまり利用しません。学校も私立で、図書館も行かず、生活援助を受けているわけでもありません。税金を使う機会がないのだから税金は私たちの生活には関係のないものなのではないか、私たちは損をしているのではないかと思いました。
ある日、近所の道路が陥没してしまいました。長さ40mにおよぶ大きな被害で、一時通行止めになりました。早速パイプの埋没工事が始まり、今でもその工事は続いています。もうしばらくすれば、その場所も利用しやすい普通の道路になるでしょう。私は「ああ、壊れたから直してるんだな」としか思いませんでしたが、これこそが税金の使い道だったのです。意識にも入らないほど自然に、税金は私たちの生活に溶け込んでいます。公共サービスという形で。出したゴミを回収してくれるゴミ収集車、毎日使う上下水道など、税金にとても深い関わりを持っています。
私は今まで自分の身の回りに起こること、関わりのあることばかりに目を向けていましたが、それは自己中心的な考え方でした。障害者のための福祉施設や介護施設など、人々が快適に過ごせるような工夫のためにも税金は使われています。それに、税金の役割は公共サービスを供給するだけではありません。経済格差が起こらないように調整してくれるのも税金です。所得の累進課税や相続税により豊かな人からはたくさん税金をとり、豊かでない人には社会保障を多くします。障害者にはかける税を少なくし、専業主婦や収入の少ない配偶者のいる共稼ぎの家庭は配偶者控除されます。日本が豊かなのは、国の働きによって経済格差があまりないからなのです。
経済格差だけでなく、国全体の景気を調節するのも税金の役割です。景気のいいときは税を増やして景気の過熱を防ぎ、不景気のときは資金を供給するなどで景気を刺激しています。これによって避けることのできない景気の循環をある程度抑えることができます。私たちがお金の価値に振り回されずにすむのも税金のおかげです。
私は国際協力機構(JICA)の活動の話を聞きに行ったことがあります。JICAは政府開発援助(ODA)の実施機関です。アフリカや南アジアの発展途上国に人を送り、現地の人に技術的な援助をしています。見学に行ったときには現地のこどもたちに音楽を教えていたときのことを話していただきました。写真には、こどもたちのたくさんの笑顔が写っていました。この笑顔も、日本で集められた税金が貢献しているんだな、と、うれしく思いました。税金は国内だけでなく、世界を支えているのです。
税金は国にとっても世界にとっても重要なものです。国が円滑に機能するようにしてくれる必要不可欠のものです。それなのに、「税金が上がる」最近で言えば「ガソリン税が上がる」といわれると、人々は嫌がり、反対します。それはなぜなのでしょう。自分からの出費が増えるわけですからあたりまえといえばあたりまえですが、私は国民が税の重要さを理解していないからだと思います。国民が国の情報を得るのは新聞やテレビなどのメディアです。そこでは、脱税、無駄な道路や建物やダムの建設、横領、国家公務員の過剰な優待…自分たちの払った税金はなんのためにあるの?と言いたくなるようなできごとが次々と報道されています。税金によって私たちの身の回りに作られたもの、例えば子供の多いところに公園を作ったこと、障害者のための点字ブロックを設置したことなど「税金はみんなのために使われていますよ」と税金の必要性を国民にアピールをすれば、税金が上がると言われてもあまり嫌悪感を抱かなくなるでしょう。国民は税についてもっと知識をつけ、自分たちの生活が何を土台にして成り立っているのかを知るべきです。
とはいえ、上に挙げたメディアの情報は悲しいことに真実です。税金の無駄遣いは起こっています。近所の駅の前で選挙運動をする候補者が「政府は税金の無駄遣いをやめなくてはいけない」と何度も訴えているところも目にしたことがあります。国は国民の信頼に足る存在であるために、国民の汗と涙の結晶を最大限有効に使えるように工夫しなくてはなりません。国民も国が動きやすくなるように、三大義務である納税の義務を全員が果たさなくてはいけません。国民と国は手を取りあって協力するべき関係なのです。
世界にはいろいろな国があります。デンマークのように消費税が25%もある国もあれば日本のように5%の国もあり、国の環境や経済によって税の制度もさまざまです。すべての国が他国の工夫しているところを学び、より良い国づくりを目指してゆくことが、豊かな世界を創造する近道だと信じています。
【都道府県】 福井県
【学校名・学年】 福井県立武生高等学校 1年
【氏名】 西野 舞
【内容】
先日、テレビのとあるリサーチ番組の中で「救急車の出動にかかる費用」についてふれていた。「一回の救急車の出動には、燃料費や人件費など全てのものを合わせると約六万円あまりの費用がかかる」ということであった。中学生の時に事故にあって救急車で搬送されたことのある私にとっては人ごとではない。思わず、「わたしの事故の時って、救急車にそんなにたくさんのお金を払ったの。」と、家族に尋ねて笑われた。「そんなことあるわけないでしょ。無料よ。税金でまかなわれているの。」と言われて、それもそうだと苦笑いしながら改めて税金というものを意識した。
日頃、生活の中で税金というものについて考える機会はほとんどない。強いて言えば、自分の暮らしの中で、最も身近に税金を意識するのは、買い物をした時にレシートの中の消費税の記載を目にするときだろう。しかし、これも最近は内税になっていて、税金を支払っているという意識は薄くなってきた。
わたしが小さい頃は、消費税は外税の形であったので、おやつを一つ買うにもこの消費税の計算ができなくて困ったことを覚えている。税金の意味もわからなくて、なぜ物の値段が上がるのかと恨めしく思ったことも覚えている。
学校の学習で、消費税の金額の計算と、税金の意味を理解できるようになった頃、海外に旅行をして、わたしの消費税に対する見方が変わったことも覚えている。
それは、慣れないハワイの地で、買い物代金の支払いを自分でしたときのことだ。レシートには、TAX十五パーセントの文字が見て取れた。消費税が十五パーセントにも及ぶことに驚いたわたしに、姉が、「日本の消費税は、他の先進国に比べると税率がすごく低いんだ。二十パーセントを超える国も多いんだから。」と教えてくれた。五パーセントでも高い、消費税なんていらないのに・・・と思っていたわたしにとって、新たな知識であった。
実際調べてみると、韓国で十パーセント、中国で十七パーセントと、近隣の国の中でも日本の税率は最も低い。社会福祉の面で充実しているというノルウェーやスウェーデンでは二十五パーセントにものぼる。
最近、消費税率アップについての与野党の議論をよく耳にする。税率据え置きを唱える議員も多く、賛成したくなるが、本当にそれでいいのだろうか。国家予算の無駄遣いをなくせば財源は確保できるという意見を信じたいが、確実なのだろうか。急速に高齢化が進んでいる日本で、これからの財政はこのままで大丈夫なのだろうか。
税金はわたしたち国民が互いの暮らしを支えるための「会費」のようなものであるといえよう。もし、税金による歳入が見込めなければ、国の歳入総額の六十五パーセントがまかなえなくなる。そうなれば、わたしがお世話になった救急車も、その都度高額の使用費を払って利用しなければならないわけだ。格差社会が叫ばれる今日、救急車の出動依頼を金銭的理由でためらう人たちが、少なからず出てくることは間違いない。
救急車以上に身近な、様々なものにしわ寄せが来ることも容易に想像できる。暮らしに欠かすことのできないライフラインの整備、医療費の補助、交通網の整備、教育振興のための助成、警察・消防・環境衛生・生活保護などの公共サービスの実施など、わたしたちが暮らしていく上で必要なものを互いに支え合うためには、税金は不可欠なものである。
人が人として生きていくためには、公共のサービスを受ける権利が大切だが、権利は義務の遂行があってこそ成り立つものである。給食費の未納や国民年金の掛け金未納など、社会人としてのモラルが問われるようなニュースの多い昨今、高齢化の波とニートの急増とも相まって、今後の日本の社会のあり方は、高校生のわたしですら心配になってくる。
自分の将来について現実的な展望をもたなくてはいけない時期にさしかかったわたしにとって、社会の仕組みを支えるために不可欠な納税の意義を今一度しっかりと認識しなければいけないと思う。そして納税の義務をしっかりと果たし、税金の使われ方にも関心をもつ社会人になりたいとわたしは思う。
【都道府県】 静岡県
【学校名・学年】 不二聖心女子学院高等学校 1年
【氏名】 岸 花帆里
【内容】
「もう、いやんなっちゃう!」
小学校6年生の弟がいらいらした声を上げた。今年は夏休みの宿題に、毛筆が出ているらしい。クーラーのついた和室に新聞紙を敷き詰めて、朝からずっと取り組んでいる。
「頑張ってるのに、なかなかうまくいかないね」
少しかわいそうになって、弟の顔を覗き込みながら声をかけた。課題は「振替納税」。良い作品はコンクールに出されるという。
「ねえ、ところで振替納税って何なの?」
「そんなのわかんない。僕はお手本の通りに書くだけだよ」
「そうか、そうだね。じゃあ、がんばって。私も宿題頑張るからさ」
声をかけて涼しい和室を出たが、廊下にはむっと暑い空気が満ちて宿題をする気分になれない。
「振替納税」。その言葉が気になって、そのまま宿題を再開する気持ちになれずパソコンの前に座った。
検索をかけてみると、17万件もかかった。とりあえず、目に付いたものからホームページを開いて斜めに読んでいく。難しい言葉は分からないけど、どうやら振替納税とは、税金も電気代や学費のように、決まった日に金融機関の口座から自動的に引き落とされるという制度だと分かった。申告所得税と消費税・地方消費税で利用できること、およそ40年前に納税貯蓄組合の働きかけによってできた制度であること、納税の為に現金を持ち歩かなくてよい「安心」、納税の為に金融機関の窓口に出かけなくて良い「便利さ」、そしてうっかり納税期限を忘れることがない「確実さ」が特徴であると記されていた。
税の起源は、どこまでさかのぼれるか分からないほど古い。紀元前数千年前、すでに税についての記録があるという。元々は神への自発的な捧げ物として行なわれ、古代のユダヤでは得られたことへの感謝としてそのものの10分の1を神に捧げる(什一税)ことがなされていた。これはやがて強制され、支配者を支えるために用いられた。重い負担を負わされた民衆が怒りの声をあげ、政変や革命につながったこともたくさんある。日本でも律令国家で租庸調が課されて以来、様々な税が課されてきた。税というと「とられる」というイメージがあるのも、こうした社会を支配する仕組みとセットになっているからかも知れない。
誰だってできることなら自分の元から出て行くお金は少ない方がいいに決まっている。働いてやっと手に入れた収入の中から一定の割合を所得税として引かれたり、ほしいものを買うときに5パーセント余分に支払う消費税。特に昨今のガソリン高騰でガソリン税や揮発油税を、タバコ値上げで煙草税を知った。ありとあらゆるところに税金が課されていると思うと、それを払うことになる自分の将来が重苦しく感じられる。
しかし、社会保障や公共事業、地方行政、国防など、国民が安心して安全に暮らせる社会を動かしていくためにも、当然ながらお金が必要だ。例えば、私たち高校生に一人当たり一年間で90万円もの税金が使われているという。水道もゴミの処理も図書館も、毎日当たり前のように使っている行政の費用は国全体だと莫大な額になるだろう。それを誰かだけで負担するなど出来る訳はない。みんなが受けるのだからみんなが少しずつ負担するのが、公平なあり方だと思う。税の負担逃れや滞納を減らすために、電子申告や振替納税など納税者の利便をよくする工夫がなされることは大切なことだと思った。
できることなら私はこうした社会に感謝して税を払える人になりたい。習字に行き詰った弟に教えてやろう。君が書いている言葉の意味を。そして税の大切さを。
【都道府県】 大阪府
【学校名・学年】 学校法人履正社履正社高等学校 1年
【氏名】 木内 舜
【内容】
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らなソンソン」今年の盆、僕は両親の故郷の徳島へ帰省した。僕達を迎えてくれたのは、阿波おどりの熱気あふれる「よしこの」のリズムと優しい祖母の笑顔だった。
今年、喜寿を迎えた祖母は、去年の春、肺を患い入院して手術をした。高齢の上に長時間の手術だったので両親や親類はとても心配していたが、祖母は術後、順調に快復し、退院後もデイサービス等の福祉サービスを受けて多くの人達と交流を持ちながら楽しく毎日を過ごしているようだ。祖母は「ばあちゃんは一人暮らしやけん、病気になっても高い治療費はとても払われへん。ほんまに税金のおかげで大事な命を助けてもろうたわ」と、税金のありがたさをしみじみと話してくれた。社会保障制度のおかげで、祖母はわずかな金額で治療することができたのだ。そしてこの時、僕は祖母から非常に衝撃的な話を聞かされた。今から50年前、祖母の母親は子宮ガンにおかされ入院していたが現代のように社会保障制度が整っていなかった当時、病院の治療費は現金払いが原則で、お金が払えなくなれば、即退院させられたそうだ。当時、父がお腹の中にいた祖母は、身重の体で親類に頭を下げて回り、何とかお金を工面しようとしたそうだが、治療費には全く足りず、すがりつく思いで病院のドアを何度も叩いて、せめて注射一本打ってもらえないかと必死に懇願したが、そのドアが開くことはなかったそうだ。祖母の母親はもうろうとした意識の中で「もうええけん、ありがとうな。よっこらしょ、よっこらしょ」と、最期に自分の生まれ故郷の緑豊かな山を登る夢でも見ていたのか、小さな声で呟きながら祖母の目前で静かに息を引きとったそうだ。「昔は治療費が払えんかったら死ぬしかなかった。あの頃、今のように医療制度が充実していたら助けてあげられたのに」と涙ながらに母親の思い出話をする祖母を見て、僕は声をあげて泣いてしまった。このことがきっかけで、僕は「税」に興味を持ち詳しく調べようと思った。
僕達が住む日本には、所得税、法人税、消費税、たばこ税等の様々な税が存在するが、僕は今まで、この税の行方について考えたことがなかった。だから「消費税の5%はすごく損した気分」になっていたのだ。税の行方を調べてみると、実に多くのことに税金が使われていた。国の一般歳出のうち、祖母の命を救ってくれていつもの笑顔を取り戻してくれた社会保障関係費が26%、道路交通機関の整備、図書館や体育館の運営など公共事業関係費が8%を占め、発展途上国の経済発展や開発、福祉の向上の為の経済協力費は約1%を計上し、この額は世界でもトップクラスであるそうだ。以前、テレビのある番組で、世界的に有名なマジシャンが、教科書や鉛筆を手にすることができない発展途上国の小学校へ行き、子ども達が使っていた短い小さな鉛筆をマジックの力で、長い大きな鉛筆に変えてみせた。この時の子ども達のキラキラ輝いた嬉しそうな瞳を僕は忘れることができない。あまりもの感激で涙を流す先生や子ども達もいた。僕はこの時「全世界の人達が皆マジシャンだったらいいのに」と一瞬思ったが、そんなことはあり得ない。彼らに鉛筆を持たせてあげる為には、僕達国民一人ひとりが汗水たらして一生懸命働いて少しずつ納める税金に頼るしかないのだ。祖母の笑顔と彼らの涙・・・この二つの光景は「税金」という一つの制度で繋がっていることに僕は気づいた。僕達が何気なく払っている5%の消費税も国民全員が払えば莫大な額になり、祖母の母のように貧しいながらも必死で生きたいと願っている人の大切な命を救うこともできるし、教育を充分に受けることができない恵まれない国の子ども達に、ノートや鉛筆を提供することもできる。このような制度がきちんと確立している日本はまさに豊かで幸せな国だと思う。こんな恵まれた国に住んでいる僕達国民は、一人ひとりが税金に対する正しい知識を持ち、自分自身が納めた税金の正しい使い道をしっかり知る権利があると思う。
来年の夏もまた、僕は家族と一緒に、阿波おどりの祭りばやしと大好きな祖母の笑顔に逢いに徳島へ帰省したいと思う。来年は今年よりもっと、社会保障や公共事業、教育などの制度が充実し、一人でも多くの人々が笑顔でいられる社会になっていることを僕は祈っていたい。
【都道府県】 広島県
【学校名・学年】 広島市立福山誠之館高等学校 2年
【氏名】 西山 裕子
【内容】
父の実家は専業農家。九州の田舎にあり、77歳の祖父と99歳の曾祖母の二人暮らし、いわゆる「老々介護」家庭だ。先日、一学期が終わり、恒例の成績報告を兼ねた電話をかけた。最近、耳とともにめっきり足腰の衰えたおばあちゃんは、普段、一人で留守番をしていることが多い。そのため、電話で驚いたり慌てたりすることのないよう、我が家では、祖父のいる昼、または夜の時間帯に電話をかけるようにしている。電話に出たのはやはり祖父で、私は「成績はいまいちだったが、無事一学期が終わったこと」「盆休みには帰省すること」を告げ、いつもの様におばあちゃんに代わってくれるのを待っていた。すると祖父から「おばあちゃんはショートステイに行っとるよ。家は暑かけん、施設の方が涼くて過ごしやすいから。」と教えられた。祖父が田植えで忙しい6月から、おばあちゃんがショートステイに行っていることは知っていた。だが、おばあちゃんは、明治生まれでよそが大の苦手。今まで何度話しても嫌がっていたのに、どうしたのだろう。
帰宅した父にそのことを話すと、詳しい内容を教えてくれた。父の郷里は数年前まで、人口一万人に満たない小さな町だった。そこが、平成の大合併で近くの4町と合併し、人口四万五千人程の市に生まれ変わった。そのおかげで、新たに立派な介護ステーションが設けられた。それに伴ってケアマネージャーの方の人数や利用できる施設が増え、以前よりきめ細かなサービスを受けられるようになったのだという。おばあちゃんがサービスを受ける運びとなったのも、何度も足を運んでくださったケアマネージャーさんの存在に加え、知り合いの方が多くいる施設の利用が可能になったからなのだそうだ。そして、そのシステムを支えているのが、介護保険、更には税金なのだ、と。
そう言えば、新聞やニュース等で、現在の少子高齢化の進展が、様々な面で社会に与える影響が大きくなった、との報道が目立ってきた。働く人が減れば、当然、税収も減ってくる。国や地方の財政は苦しくなる一方、というので、政策として市町村合併による財政の効率化を計り、少しでも、社会保障費やその他の負担を軽くしようとしているらしい。又、消費税を社会保障の財源確保に向けた目的税にする、という案が出されている。消費税率を10%〜15%くらいに引き上げ、これからますます増えるであろう、社会保障の関係に使おう、というものらしい。しかし、私達の側からみれば、この増税は、更に毎日、目に見える形で生活に影響してくる訳だ。
私は今、修学旅行のノルウェー大使館研修に向け、ノルウェーについて調べている。ここは、福祉を中心とした公共サービスが充実していることで知られている国。それを支えているのは、高い消費税、14%〜25%という高率の税金額だが、国民はそれを当然の義務と受けとめている。もちろんその分、一人一人の政治を見る目は厳しい。日本では、毎日の様に流れてくる国や行政、政治家の不正や疑惑で、悪いイメージがつきまとう。税を納めても、それが必要な所に、正当に使われているのかが、信じられずにいるのだ。公平な負担を求められる消費税、そのアップの議論は幾度となくあがるものの、増税を国民が快く受け入れるわけはなく、政治家も選挙のからみか、一歩も踏み出せずに今日に到っている。その点、ノルウェーの人々は、「自分の受けるべき」公共サービスを良くするため、互いに支え合う意識が強いように思う。
又一方、記憶に新しいところでは、今年の四月の道路特定財源、暫定税率の一ヶ月失効があげられる。これにより、国税の収入額は約1400億円の減少、目先の益ばかりにとらわれた国民も政治家も、その一人一人の行動が財政を悪化させた。
こうして考えると、今まで距離を感じていた税金は、実は直に私たちの生活にひびいてくるものだ、ということがよく分かる。だからこそ、私たちは、「自分たちの明日」を築くものとして、これからの税金の在り方を考えていく必要があると思う。税を扱う者も、国民が納得する税の使い方をして欲しいと思うし、国民もその義務をしっかりと果たさなければならない。
うちのおばあちゃんを始め、多くのものや人を支えるエネルギーである「税」。
これから日本も、みんなが喜びを感じることのできる税制社会になってほしいし、私もまた、そんな社会を支える人になりたい。
【都道府県】 愛媛県
【学校名・学年】 愛媛県立今治西高等学校 1年
【氏名】 越智 晃久
【内容】
玉川ダム湖の水面を何艘ものボートが滑る。ボートが作り出した波が、照りつける夏の太陽光を反射しきらきらと輝く。僕たちは汗びっしょりになり懸命にオールを漕ぐ。
僕は高校一年生。希望に胸をふくらませこの春高校の門をくぐった。灰色の受験生(一説によると、好きなことを犠牲にして勉強しなければならないらしい)だったころも、高校に入ったら何部に入ろうかと考えわくわくしていた。どうせなら遊び半分ではなく、より上を目指し努力できる部活動にしようと考え、歴代の先輩方が輝かしい戦績を残すボート部に入部した。さすがに県内屈指の強豪校である。厳しい練習について行くのが精一杯で、体中が筋肉痛で悲鳴をあげた。それでも帰宅後には宿題や翌日の授業の予習をしなければならない。疲れて寝てしまいそうな僕に向かって母は、
「部活も大事やけど、学生の本分は勉強よ。」と悪魔のように厳しいことを言う。
「義務教育じゃなく、世の中の人に勉強させてもらいよるんやけんね。感謝しなさい。」とたたみかける母の言葉を聞き、僕の頭の中に?マークが浮かんだ。
「なんで世の中の人が関係あるん。入学金も授業料も教科書も設備費も家の人が払いよるやろ。」
「大いに関係ある。そのわけを考えるのは母さんからの宿題。」
たまった宿題に四苦八苦する息子に更に追い打ちをかけるように宿題を出す母は、やっぱり悪魔のようだと思ったものの、母の宿題は期限なしだったので放っておいた(というよりすっかり忘れていた)。
母に出された宿題に取り組むことになったのは、高校の夏休みの課題で税について考えているときだった。公立高校の生徒一人に対して年間九十万円もの教育費を国が出していることを知った。確かにそうだ。校舎や体育館やプールなどの建造物も机や椅子や黒板などの備品も僕たちの納める授業料で足りるはずがない。多くの先生方からそれぞれの目標とする進路にあった学習内容を学ぶことができるのもたくさんの人たちが納めた税金が使われているからだ。
高校に進学せず働いている中学校時代の同級生がいる。通勤途中の彼を見かけた人から高校生になりたてのまだまだ甘えの抜けきらない僕らと違って、責任感のあるりりしい顔をしていたと聞いた。彼は、汗水流して働いて所得税を納めているのだ。彼も含め世の中の多くの人が納めた税金のおかげで、僕たちは勉強や部活動をすることだけに専念できる。僕たち高校生は、多くの人に支えられていることに気が付いた。今はしっかり自分の立場を自覚して勉学に励み、様々な知識を身に付け、将来自分に適した職業に従事する。それが今貴重な税金を注ぎ込んでくれることへの最大の返礼だと思う。
母の宿題の答えを探すうちに税は高校生の僕から懸け離れたものではなく、案外身近なものだと気が付いた。毎日使う道路の工事費、病気やけがをしたときの医療費、僕たちが出したゴミや下水の処理費用、安全な生活を守るための消防や警察の費用など僕らの生活と直結したことに税金は使われている。祖父が通うデイサービスなどの老人福祉費や年金、老人医療費などは、高齢化が進む我が国では今後ますます膨らんでいき、税の重要な使途になっていくだろう。税はより一層必要不可欠なものとなり、その使い道もよく吟味して改革して行かなければならないだろう。
お菓子やジュースを買うと、お釣りで五円玉や一円玉を手渡される。これまではうっとうしく思っていたが、僕の払った消費税が人々の為に使われるんだと実感できるので、何となくうれしく思えるようになった。
この広く公平に税負担を求める消費税は、僕が生まれる数年前に導入された。当初は三%だったにもかかわらず国民の多くから大反対にあったと聞いた。現在は五%の税率だが、社会福祉の充実しているヨーロッパなどの国々と比較するとはるかに低い。消費税率アップの話があがっても反対の声が大きく、実現しないまま消えてしまう。消費税を「とられる」と思うから反対するのであって、「私のために有効に生かしてもらう」と思えば支払って当たり前だと思うはずだ。今年の春、日本中を騒がせた道路特定財源も「私たちの使う道路の為に使う」と思えばガソリンが少々高くても当たり前だと思えるはずだ。税は目に見えない誰かのために仕方なく差し出すものではなく、自分自身や自分の親兄弟、子どもや孫、近隣の人々のために生かされるのだ。
僕たちは税に関心を持ち、正しく学び理解しようとすることが大切だと思う。そうすれば、みんなの力で、生きた税の使い方やより公平な税負担のあり方が見付け出せるはずだ。
【都道府県】 長崎県
【学校名・学年】 長崎県立壱岐高等学校 2年
【氏名】 安永 真由美
【内容】
今年の四月より、後期高齢者医療制度が施行された。高齢者世代と現役世代の保険料の負担割合の公平化を目的とした、七十五歳以上を対象とする、心身の特性や生活を踏まえた医療制度である。
私は、なぜこの制度が作られ、施行されたのか、正直、理解しがたい部分があった。この制度は、「平成のおば捨て山」だと言われているが、本当にその通りだと思ったし、批判を受けるのは、当然のことだとも思った。確かに、七十五歳以上となれば、だんだんと自由も利かなくなり、日常生活に困難を感じたり、医療や介護サービスを利用する機会も増えるだろう。しかし、その保険料を高齢者自身にも求めるのは、あまりにも、過酷すぎるのではないだろうか。高齢者だけを別枠の制度に押し込んでしまえば、自分たちだけが取り残されたような気分になり、「捨てられた」と思うのも無理はない。これが、私の最初の考えだった。
だが、このような現状になってしまったのは、仕方のないことでもあり、国民自身の責任でもあるのではないだろうか。
現在、日本は、世界一の長寿国であり、少子高齢化という非常に深刻な問題を抱えている。日本人の平均寿命はここ三十年間で約十歳も延び、社会保障の費用がどんどん増えてきている。そして一方では、その費用を負担する働き手となる子どもが減ってきているのである。つまり、一人が負担しなければならない金額が大きくなるのだ。このままだと、とても一人の手には負えない程になってしまうだろう。そう考えると、少しでも多くの人が費用を負担した方が、介護施設の設備なども十分に行き届くのではないか、とも思えてくる。
また問題なのは、税を納めない人がいたり、税が無駄に使われているということだ。よくメディアを通して、「脱税」という言葉を耳にする。私は、なぜこの言葉が存在するのか、納得がいかない。本来は、存在するはずがないのに、定められたことをきちんと果たさない人がいるために、このような言葉が生まれてしまったのだ。私たちは、普段の日常生活の中で、あらゆる場面で、税からの助けを受けている。もはや、税の力なしには社会は成りたたない。私たちが教育を受けることができるのも、税のおかげである。税からの助けなしに生活をしている人は、一人もいないはずだ。それなのになぜ、税を納めない人がいるのだろうか。少子高齢化が進む中で、このような人々が増え続けると、日本の社会は破滅する一方だ。社会保障の費用が多く必要となるのに、税を納めない人がいれば、当然たりなくなってくる。その分を補うためには、やはり、高齢者にも、負担してもらうべきなのだろうか。
私には、今年七十五歳になった祖母がいる。当然、後期高齢者医療制度の被保険者である。祖母は、毎月、少ない年金で生活をやりくりし、水道代や電気代を削ろうと、日々心がけている。そんな祖母は、毎年、正月、お盆、誕生日、クリスマスには、必ず、兄弟三人にお金をくれる。祖母が私たちの誕生日を忘れたことは、一度もない。私は、祖母の笑顔や頑張る姿が大好きだ。だから、祖母の苦しむ姿は見たくないと思う。祖母の笑顔を守ってあげたいと思う。高齢者が住みやすい社会となるためには、公共施設などが、高齢者の使いやすいものとならなければならない。そのためには、やはり、税の力が必要なのだ。
何が正しくて、何が間違っているのか。まだ、未成年で、税を納める立場ではない私には、偉そうに言う資格はないと思う。正直、よく分からないし、自信を持って答えることもできない。形として、何かを残すことができるわけでもない。しかし、そんな私にも、できることはあるはずだ。まずは、もっと税に関しての知識を増やさなければならない。近い将来、納税者の一員となる私たちだからこそ、もっと、税に関心を持つべきだ。そしてそれを、一人でも多くの人に伝えることができれば、と思う。
一人一人が納めた税は、形を変え、私たちの生活を支えてくれている。私は、日々、そのことを忘れないでおきたい。そして、税のありがたさの分かる人間になりたいと思う。「法律で定められているから」などではなく、自分から進んで、「納めよう」という意識が広がれば、今の日本の社会も、いい方向へと変わっていくのではないだろうか。正しく納めること、それが、普段お世話になっている税への、一番の恩返しだ。
【都道府県】 熊本県
【学校名・学年】 学校法人白百合学園八代白百合学園高等学校 3年
【氏名】 松寺 亜衣
【内容】
少し想像してみて下さい。火事が起きても消防車がこない。急病人が出ても救急車がこない。ゴミがたまってもゴミ収集車がこない。そんな生活が、果たして考えられるでしょうか。しかし、私たちが、「税金」を納めていなければ、実際、このような恐ろしい生活になってしまうのです。これらの例は、ほんの一部にしか過ぎません。私たちが税金を負担する理由――それは、「人々が安心して生活するため」というのが第一の理由ではないでしょうか。このように言えるのは、十七歳になり、大人の階段を登るにつけ、社会に対し、少なからず、関心を持つようになったからかもしれません。以前の私は、税金について、全く関心がなく、興味すらありませんでした。「税金って何。何故、消費税を納めなければならないの?」と、疑問の連続でした。正直なところ、税金は、私にとって「負」のイメージしかなかったのです。しかし、新聞やテレビ、学校の授業を通して、自ら学び、考えることで、税金の意味を徐々に理解出来るようになりました。
現在、日本は様々な問題を抱えています。その中でも、特に、少子高齢化は、すさまじい勢いで進行しており、二〇五〇年には、国民の三人に一人が、六十五歳以上の高齢者という「超高齢社会」が到来すると予想されています。将来、高齢者一人を一.四人で支えなければならない我が国は、税金に対する考えを、国全体で見直すべき時期であると言えます。一方、他国には、将来のことを見据えた上で、税を使っている国があります。
まず、福祉大国のスウェーデンは、世界でも、税負担が非常に高いことで有名です。日本の消費税五パーセントに対し、スウェーデンは、なんと、その五倍の二十五パーセントです。もし、日本で、消費税が二十五パーセントにまで上がると、おそらく、多くの国民が不満を口にするでしょう。しかし、スウェーデンの人々はそれとは違います。それは、何故か、スウェーデンの人々の中で、税金の使い道が「国民のため」とはっきり自覚されているからです。このような国だからこそ、福祉が、より、他の国より充実していると言えます。それに比べ、日本人は税金の使途に対し、関心を持っているとは言い難いのです。このような状況では、国民が、「増税」に対して、反対するのは無理からぬことでしょう。もっと、国民は、自分たちが払う税金に対し、関心を寄せるべきです。一人ひとりの税金は、様々な形で、国や私たちの生活に役立っているのですから……。
何より、私自身も、税金に支えられ生きている一人です。毎日、私が利用する「肥薩おれんじ鉄道」は赤字続きで、今後の経営が心配されています。しかし、自宅から学校まで、約四十分の時間を要する私にとっては、唯一の通学手段なのです。そんな「おれんじ鉄道」も税金なしでは動きません。小・中学校で使っている教科書も同じです。税金がなければ、私たちは、十分な教育を受けることはできません。今、このように、当たり前のように教科書を使い、勉強できる環境が整っているのは、税金のおかげだと言っても過言はありません。税金は取られるためにあるのではなく、私たちに恩恵を与えるためにあるものなのです。余りにも、至る所で使われ、当然のように、そこかしこにあるために私たちが気付いていないだけなのです。私たちは、税金のありがたさを、もっと、感じて生活していくべきだと思います。税のありがたさを知ることは、未納税者が減ることにも繋がります。そうすることで、日本は、今よりも、もっと豊かで、幸せな生活を送ることが出来るはずです。
現在の私は、まだ「消費税」しか納めていません。しかし、その五パーセントの消費税が、何らかの形で役に立っていることを知り、少し誇らしげな気持ちになりました。これから、大人になる数年後には様々な税を納める義務が生じます。しかし、それは、一人の大人として、社会の一員として、当然のことなのです。私の納めた税金が、今日もどこかで、世界や、そして、日本のどこかで使われているのだとしたら、税を納めるのは苦痛ではありません。
仮に、「税」を別の表現に置き換えると、部活動でいう「部費」ではないでしょうか。テレビで白熱した試合を展開し、私たちに感動を与える高校球児でさえ、部員全員が、きちんと部費を納める義務があります。部費も納めているからこそ、整った環境で、練習に打ち込め、甲子園という輝かしい夢の舞台を手にすることができるのです。そう、私たち一人ひとりが税を納めること――それは、私たち自身が安定した、豊かな世界を築くことに繋がっていくのです。
【都道府県】 沖縄県
【学校名・学年】 沖縄県立名護高等学校 3年
【氏名】 平安山 千帆
【内容】
政治経済の授業で国民の三大義務について学んだ。中学生の頃にも学んだ国民の三大義務の一つ、納税。今までなぜか、納税という言葉に対して良い印象が無かった。おそらくニュースや新聞で時折話題となる「税金の横領事件」や、「税金の無駄使い」の話が私の納税に対するイメージを悪くしていたのだろう。しかし、他の国民の三大義務である勤労と教育に悪い印象はそもそも無かった。
なぜなら、働かなければ生活していけないし、何より私自身が将来就いてみたい職業が多く、勤労の義務は納得出来る。教育の義務も、結果的に将来の自分のためになるので納得がいくからである。
しかし昨年、税金について考えさせられる出来事があった。それは祖母が倒れたことが発端だった。祖母は幼少時代に戦争を経験し苦労した世代である。若い頃の苦労が祟ってせきずいの一つが潰れ、さらに脳梗塞とパーキンソン病を数年前に併発した。私は祖母が倒れたと知ったときはとても不安になった。しかし翌日詳細を聞くと、胃袋にポリープが出来ていたために緊急手術をしたそうだ。幸い救急車の到着が早く、祖母は大事には至らなかった。
「もし税金がなかったら、救急車もない。本当に今回は税金に助けられたね。」
病院から帰った祖母の言葉に、私は税金の有難さを知った。同時に税金の必要性に気づかされた。
それ以来、納税の義務をわずらわしいとさえ思っていた私の考えは変わった。医療費の七割は税金でまかなわれている。祖母は複数の病院へ定期的に通院している。そのため、医療費が数万円になる事もあるそうだ。もしも医療費が全額自己負担になったら、祖母は通院できなくなるだろう。祖母や私たち国民の命を影で支える税金。知らず知らずのうちに税金に助けられている事は多い。そして私自身、税金に興味が出てきた頃にニュースの特集で、現在の消費税率五パーセントは北欧諸国と比べると低いと知った。デンマークは北欧諸国の中でスウェーデンに並ぶ福祉国家として有名だ。しかし福祉国家と名高いデンマークの消費税が二十五パーセントと聞いたときは正直、国民の生活が苦しいのではないか、と疑問に思った。だがその高い税金は、国民に還元されていた。例えば医療は、誰もが原則として無料で治療が受けられ、学費は大学に至るまで無料などが挙げられる。高齢者福祉や助成金制度も整っている。国民のひとりひとりが社会の恩恵を享受できるシステムになっている。こういった点がデンマークが福祉国家と呼ばれる所以だろうと思った。しかしながら、福祉国家を支える高い税金を払うのはもちろん国民だ。だがデンマークの国民は、高い税金を「クレージー」と評価しているが、現在の税金負担は広く受け入れられている。デンマークの国民は税金に対する関心が高く、税金の使い道を知っている。だからこそ、税金の有難さを知っているのだと思う。
そのニュースの特集を通じて、より一層私の税金に対する興味がわいた。私は日本での税金の使い道が気になり、調べてみることにした。調べていくと、税金は身近なところで使われている事が分かる。私が調べに行った市立図書館の運営は税金でまかなわれている。その他幼い頃に遊んでいた公園も、整然と舗装された道路や橋も、全て税金でまかなわれていると分かった。税金があるからこそ、これらの施設を無料、もしくは安い料金で使用する事が出来るのである。
人口の異なる日本とデンマークを単純に比べることは出来ないが、共通している点もある。それは高齢化である。
福祉国家デンマークでは毎年、福祉関係の予算が政治予算の五十パーセントを超えているそうだ。その代わり労働者は、給料の約半分を税金として納め、国民負担率は七十パーセントにもなる。しかし、日本では税金を払っても将来の心配をしなければならないのに対し、デンマークを始めとする福祉国家ではこれらを払えば、将来は安心できる。
日本での高齢化問題の一つに、これから社会保障の費用が増えていくという事と、費用を負担する働き手が減っているという事が挙げられる。二〇〇〇年には、六十五歳以上の高齢者一人を三・六人で支えていたのに対して、二〇四〇年には一・六人で支えることになる計算になるそうだ。
デンマークやスウェーデンの税金の使い方と、日本の税金の使い方、どちらとも税金の使い方が違い、どちらが良いのか分からない。
しかし私はやはり、税金は両親や国民の皆で汗水を流して払った大切な国民の財産であるから、より良い使い方をされるのが一番だと思う。私は今回の作文を書く中で、祖母の件を通じて「税金」の大切さを身に染みて感じた。
また、私もいつかは納めなければいけない立場になる。まだ関係ないのではなくて、これから税金はどうなるか、どのような使い方が一番良いのか、などと考える良いきっかけとなった。
税金はやがて私たちに返ってくるものである。私たちの暮らす社会を豊かにしていくためにも、税金についてもっと知ることが、これからの未来を担っていく私たち高校生の義務だと考える。







