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年貢米の江戸回送

問い

 江戸時代の領主は年貢を米で徴収しました。全国各地の領主は年貢として集めた米を食用米や備蓄米など米として使用する分を除いて市場で換金するため大坂や江戸に送りました。
 江戸時代の物流は、現代よりも季節や気候の影響を受け易く、年貢米の回送も大きく左右されました。では、越後国高田藩(榊原家、約15万石)を例として、ある年の秋に収穫した米は、城下町であった現在の新潟県上越市から江戸に送ると、いつ頃到着したのでしょうか。

答え

 今では想像できませんが、江戸時代の文献によると江戸に着くのは翌々年の春以降になります。
 その年の年貢の納入は12月に終了しますが、豪雪地帯の高田藩領はすでに雪に覆われており、年末の段階で年貢米は領主の蔵(城下の蔵、および領内各地に点在する領主指定の蔵)の中にあり、この地で年を越します。翌年の春、雪解けを待って、高田藩領の直江津港から船積みされて海に出ます。
 米は6石(1石=180リットル)で1トン程度の重さになるので、人力、馬ではなく船で海上輸送されました。高田藩のような日本海側の藩の場合、まず大坂を目指し、日本海を南下・西進し、関門海峡を通り、瀬戸内海を経て大坂に至るルートをたどりました。輸送は大量かつ遠距離なため幾つも港に寄港しながら運び、大坂までの回送に年内一杯を費やすことになります。
 当時の日本式の帆船は冬の季節風や荒波に弱いことから、江戸への回送は翌々年の春以降となってしまいます。もちろん、大坂でも換金されますが、全部ではなく、残りは市場の大きな江戸に向けて送られるのです。こうして、大坂から送られた高田藩の年貢米は、半月から1ヶ月かけて江戸に順次到着します。
 大坂や江戸に送られた年貢米は、蔵元(くらもと)・札差(ふださし)・掛屋(かけや)と呼ばれる御用商人の手で販売されることになります。蔵元たちは同時に金融商人でもあり、年貢米を担保(信用)として大名貸し(大名相手の金融)を行っていることが多いのです。そのために藩は、年貢米を大坂や江戸で売るよりも前に、蔵元などから現金を手に入れることができたのです。
 この時代、年貢米の回送には非常に時間がかかりましたが、政治や行政を行う上で支障が出ないようそれを補う現金調達の仕組みが出来上がっていたのです。