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明治2年の商品券

NETWORK租税史料 税務情報センター(租税史料室) vol.134 明治2年の商品券
明治2年の商品券

 商品券とは、いうまでもなく商品券面に表示されている商品と引き換える義務があり、それを発行した商店が取り扱う物品切手のことである。この商品券という言葉は、明治前期のいわば準備段階を経て、日本の資本主義経済が一段とアップし始める明治20年代に生まれるが、それまでは切手とか手形と呼ばれていたことなどは、あまり知られていない。
 商品券の発祥は意外と古く江戸時代の半ばごろで、仙台地方では冬至になると、懇意先へ平素の厄介に感謝するために豆腐を贈る風習があった。しかし一時に多数の豆腐が集中するのを避けたいところから、必要なときに随時に受け取ることができる「御厄介豆腐切手」を販売するようになったという。これが現在使われている商品券の起源とされている。
 江戸時代も後期になると商品貨幣経済は大いに発達するが、全国経済の中心地であった大阪では、寛政5年(1793)に、高麗橋の菓子商虎屋が発行した饅頭切手が商品券の初見といわれ、このころから、煉羊羹切手、酒切手、寿し切手、蒲鉾切手、海魚切手など多様な商品券が、冠婚葬祭などの贈答用に多く用いられ、かつ通貨のように使用される場合が少なくなかったという。贈答用に多用されたことは、現在にも通ずるものがある。
 一方、幕府の所在地である江戸では、天保2年(1831)に、日本橋で手広く鰹節を商っていた高津伊兵衛(現 株式会社「にんべん」の祖)が、薄い銀板製の鰹節形をした鰹節引き換え用の切手を発行したが、これが政治都市であった江戸における商品券の初見とされている。経済都市の大阪よりは随分遅い出現といえよう。
 租税史料室が所蔵する商品券を二つ紹介しよう。平成12年に大阪研修所から移管を受けた租税史料で、いずれも大阪地方で発行された商品券である。
 一つは、酒切手である。発行主は木間村の吉兵衛で、「木酒吉」の墨捺印が名前のところと、「一升」のところとに、二か所ある。
 一 酒一升 右御入用之節、此切手を以差上可申候也 月日
と、三行に記されている木版墨刷りの文言は、この切手を木間村の吉兵衛のところに持参すると、酒一升と引き換えることができるという意味である。酒切手の裏面には、「明治二巳九月」と筆墨による書き込みがあるから、同年の発行であることはまず間違いない。
 『旧高旧領取調帳』という明治初期の村名と村高およびその支配者の全国的な調査書で調べると、該当の時期に、大阪周辺で木間村というところは見当たらない。だが大阪市中の東北方にあたる摂津国川辺郡に「木間生村」があり、同村が該当すると考えられる。木間生村は、現在も酒造地として著名な灘の間近にある。

 次は、菓子手形である。
菓子手形 一 御菓子百文 右此手形ヲ以御引替奉申上候 以上 小路村 廣田屋与右衛門
と、三行に記されている。このうち「百文」の部分だけが赤色の印影で、それ以外は総て筆墨書きである。発行主である廣田屋与右衛門の下部に「廣与」の捺印、手形の上部に「巳」の赤色印影、また「百文」の下部に「引替所 大阪谷町二丁目松本寿し、南野村三木屋酒店、泰村中村屋吉兵衛」の緑色印影、最下部の中央部分に「何連も商売向の品物で差上可申候也」の墨色印影がある。これら印影の文言から判断すると、この菓子手形は小路村の廣田屋で菓子百文と引き換えられることは勿論だが、他町村にある松本寿し・三木屋酒店・中村屋吉兵衛店でも、これらの店が取り扱う商品を百文分引き換えることができたのであろう。まさに通貨と同様な使われ方があったと考えられる。
 貨幣単位に円・銭が用いられるのは、明治4年の新貨条例からである。したがって「百文」とあれば、同年以前の発行である。同年以前で「巳」年は、明治2年が最も近い。この菓子手形も酒切手と同じく、明治2年の発行であろう。
 発行地の小路村に該当する候補地は大阪周辺に沢山あり、同市中の北方摂津国島下郡の小路村か、あるいは市中西方の同国兎原郡の小路村、市中北東方にやや離れる河内国讃良郡小路村、のいずれかが該当しよう。
 切手・手形の用紙には、山形(仙花紙十二切り)が多く用いられた。仙花紙は楮(こうぞ)製の丈夫な和紙で、これを短冊状に十二枚に切断し、これら切断片を山形といった。上記の酒切手の寸法はタテ25センチメートル×ヨコ11センチメートル、菓子手形はタテ26センチメートル×ヨコ9.5センチメートルで、両者の形状はやや異なるが、ともに短冊状であり、山形に相当しよう。
 第二次世界大戦後の用紙不足時代には、洋紙のカス(滓)をトリ(取)用いたところから、カストリ雑誌と総称される書籍が大いに刊行されたが、この用紙も仙花紙といった。しかし名称は同じでも、両者は全く別物である。和紙の仙花紙はかつて、泉貨紙の文字が当てられ、その名は宇和島藩の泉貨の工夫により生まれたという由来がある(泉貨紙創始者泉貨居士の墓が愛媛県西予市内に現存する)。
 ところで明治6年、受取諸証文印紙貼用心得方規則により、印紙税が導入された。同規則で、金高10円以上の物品切手には、金高に応じて規定額の収入印紙を貼用し、納税することを定めた。これが国税としての商品券税の始まりである。

(研究調査員 鈴木芳行)