【答え】

3 免許税

【解説】

江戸時代の按摩の営業は、当道座(とうどうざ)という盲人が組織する座(職能集団)が管理していました。座には男性の盲人だけが加入することができ、座に金銭を納めることで、技術を習得し、営業することができました。
多くの按摩は、店舗を開いていたのではなく、各地を遍歴していました。現地では、村人が村境まで出迎え、次の村境まで送り届け、必要に応じて村人が自分の家に泊め、食事も提供しました。この支出は村全体の公的経費となり、村入用に計上して決算しました。江戸時代の人々は移動の自由が大きく制限され、自分の家に余所者(よそもの)を入れることも泊めることもできませんでした。盲人は元の身分を抜け、当道座に加入することで、営業権のほか、遍歴に必要な身分を得たのです。
当道座の本所(支配者)は、久我家という公家でした。朝廷の中で摂関家に次ぐ高い家格(清華家)を持ち、朝廷内で政治の中心を担う大臣になる家柄でした。武士と同様に、領主として石高700石の所領を支配していましたが、所領からの年貢のほか、当道座からの上納金も大きな財源となっていました。
このような久我家の権威の下で、座は盲人の合議による自治的な運営が行われていました。座内部の職階は、検校・別当・勾当・座頭の四官に分かれ、さらに16階73刻に細分化されていました。内部の犯罪に対しては、裁判を行い、死刑や遠島などの重い刑罰も課すことができました。座が公権力の一部を執行していたのです。盲人は元の身分を抜けて座に加入することで、座から人身と営業の支配を受けたのです。
江戸時代には、当道座の他にも、公家や有力寺院などを本所とし、さまざまな芸能や宗教を生業とする人々が独自の組織を作り、自分たちの権益を確保していました。そのため、江戸時代には、雑多な免許税が存在していたのです。

(研究調査員 舟橋 明宏)