【答え】

2. 東海道本線の車窓から見ることを目的とした広告

【解説】

広告税は当時、道府県税の雑種税に分類されていました。神奈川県では確認できる限り、昭和4年ごろから課税されていたようです。
神奈川県の広告税の税率区分表を見てみますと、条件を指定した税率の区分として「東海道本線客車より望観を目的として設くるもの」と「係留気球によるもの」の二つが挙げられています。係留気球とはアドバルーンのことです。
東海道本線は神奈川県を東西に横断する大動脈であり、新幹線や高速道路が無かった当時の最重要幹線でした。また川崎、横浜、小田原など当時の主要な都市部をほぼ網羅しており、このような理由から東海道本線沿線の広告は多くの人の目に触れることができました。
当時の東海道本線は昭和3年に関東大震災で被災した横浜駅が現在の場所に三代目横浜駅として再建され、昭和9年には丹那トンネル開通に伴って国府津-沼津間が開業するなど、現在の東海道本線の姿がほぼ完成した時期でした。
『地方税総覧』によれば昭和11年度のデータとして神奈川県ではこの広告税の収入が年間2,106円あり、これは静岡県の4,420円に次ぐ収入額でした。東海道本線の車窓から見ることを目的とした広告からの税収はその中でも1,463円と神奈川県広告税収入の大半を占めていました。また、神奈川県以外の3県では主に広告を出す土地の等級によって税額が区分されていました。
また広告税は太平洋戦争中の昭和17年4月1日から昭和21年9月1日までの間、国税として存在しました(昭和20年8月1日に課税停止)。国税としての広告税は課税対象が広く、看板をはじめとして、新聞広告や広告入りのカレンダーなど様々なものに課税されていました。

(研究調査員 菅沼明弘)