今回紹介する史料は、昭和12年の味生村(現在は松山市)の納税袋です(史料)。納税袋は租税完納を目的に村役場が配付したもので、「始めて小学読本巻七へ五作ぢいさんとして採用」と明記されています。

村はずれに住む老人(娘と孫の4人暮)が大病で仕事が出来なくなり、その年の村会で納税が免除されました。しかし、老人は納税令書が来ないので、何かの間違いではないかと病身を押して役場に出向きます。そこで収入役が今年は免除された旨を伝えると、老人はそれでは何十年も村に世話になっているのに申し訳ないので、少しでも税金を納めたいと50銭銀貨を差し出したのです。村長も奥からでてきて村会で決まったことだと説得するも、納税をしないと村から除け者にされたも同然で、国民としての資格もなく、孫たちが大きくなってから恥ずかしい思いをすると言って聞き入れません。今後の事は村会で決めるとして、今年だけは納税を見合わせるよう説得し、ようやく帰って行ったのです。この老人の態度に、村長を始め役場に居合わせた人たちは大きな感銘を受けたのです。

さて、この話は、大正15年(1926)に関西三大都市税務協会(大阪市・京都市・神戸市と大阪税務監督局、3市内の税務署で構成)が懸賞募集した、納税美談の二等入選作で紹介された実話です。作者は、愛媛県庄内村(現西条市)の税務係であった青野昌作で、租税負担の増加により税逃れのため都会に転居する富豪もいるなか、「涙ぐましき模範納税者」として、村内の村上和平という80歳になる翁の話を紹介したのです。納税袋の顔写真が、「五作ぢいさん」のモデルとなった村上和平翁です。

そして、その後、昭和6年(1931)に、愛媛県庶務課が募集した納税に関する作文募集に応募した、尋常小学校5年生森田武の作文で紹介され、一等入選となったのです。和平翁の話は小学校でも取り上げられ、愛媛県土居村役場が編纂した『全国納税資料実例輯覧』(昭和9年)にも掲載されるなど、良く知られた納税美談だったようです。

その後、昭和8年に文部省が国定教科書の修身並びに国語読本の教材用の資料を募集した際、今治中学に進学していた森田君が、先の作文に若干手を入れて応募して三等入選となりました。そして昭和11年、これが「五作ぢいさん」として教科書に採用されたのです。当時、愛媛県を管轄していた広島税務監督局が作製した『管内納税施設実例便覧』(昭和12年)には、愛媛県社会教育協会から刊行された「国民必読 納税美談 村上和平翁伝」というパンフレットが収録されています。

さらに「五作ぢいさん」は、昭和15年に徳光寿雄監督により映画化されています。徳光監督は、元日本テレビアナウンサー徳光和夫氏のご実父です。

(研究調査員 牛米 努)