三上 純平
税務大学校
研究部研究員
平成29年5月、民法における債権関係の規定について、約120年ぶりの大改正が行われた。改正された項目は多岐にわたっているところ、制度が大きく変わった項目の一つとして消滅時効制度が挙げられ、職業別に定められていた3年、2年又は1年の短期消滅時効が廃止され(民法170条〜174条(以下、民法の条文番号を示す場合、平成29年5月改正前を「民法」とし、改正後を「新民法」とする。))、権利を行使することができることを知った時から5年の消滅時効が追加された(新民法166条1項1号)(権利を行使することができる時から10年の消滅時効は維持されている(新民法166条1項2号)。)。
他方、法人税法は、企業活動から生じる所得を課税の対象としているため、商法及び会社法と関連する取扱いが多く存在し、民法と関連する取扱いは決して多くはないものの、貸倒損失の取扱いについて、短期消滅時効制度と関連するとされるものがある。それは、売掛債権に係る貸倒れの判定基準が示されている法人税基本通達(以下、通達番号を示す際「法基通」という場合がある。)9−6−3《一定期間取引停止後弁済がない場合等の貸倒れ》であり、取引停止以後1年以上経過した場合に貸倒れとして損金処理が認められている。この通達は、貸倒れに関する事実認定を形式的な基準によって行うものである。貸倒れに関する事実認定は、課税実務上、困難を伴う場面も多く、納税者と課税庁が争うことも少なくない。このような状況を考慮すると、この通達による形式的な貸倒れの判定は、課税実務において重要な取扱いであるといえ、その存在意義は大きい。
短期消滅時効制度と法基通9−6−3の関連については、この通達は短期消滅時効制度の存在を考慮しつつ定められたなどと説明されているが、短期消滅時効制度のどのような部分が考慮されたのかなど、具体的な関連は明らかではない。関連する内容によっては、短期消滅時効制度が廃止されたことに伴い、法基通9−6−3は合理性を有さなくなり廃止すべきということもあり得るが、この通達の存在意義からすると、その場合における課税実務への影響は非常に大きいと考えられる。
そのため、本稿では、短期消滅時効制度と法基通9−6−3の具体的な関連及びこの通達が発遣された趣旨等を明らかにし、短期消滅時効制度の廃止に伴い、この通達が見直される必要性の有無について検討する。なお、検討に当たっては、短期消滅時効制度と法基通9−6−3の関連の前提となる民法における消滅時効と法人税法における貸倒損失の関係、具体的には消滅時効が援用された場合の法人税法上の取扱いについて、様々な見解が確認され、必ずしも整理されていないと思われるため、まずこの点について、整理・検討を行う。
(1)消滅時効制度と貸倒損失
イ 消滅時効が援用された場合の法人税法上の取扱い
消滅時効が援用された場合、法律上、債権が消滅する(新民法145条、166条1項(民法145条、167条1項))ため、その債権は回収不能となり、援用された時点で損失は確定する。そのため、法人税法上、寄附金等、別段の定めに該当する場合を除き、損金の額に算入される(法人税法22条3項)。消滅時効が援用された場合の法人税法における貸倒損失の取扱いについては、このように整理できると考えるが、様々な見解が確認され、必ずしも整理されていない。この点、貸倒損失における事実認定については、課税実務上、法基通9−6−1から9−6−3までに該当するか否かにより行われている面があるところ、消滅時効が援用された場合については、これらの通達に示されていないことが、原因の一つではないかと考えられる。そこで、これらの通達のうち、債権が切り捨てられ、法律上、消滅した場合等の取扱いが示されている法基通9−6−1《金銭債権の全部又は一部の切捨てをした場合の貸倒れ》について、検討を行った。
ロ 法人税基本通達9−6−1の検討
法基通9−6−1では、消滅時効が援用された場合は示されていないものの、その発遣・改正経緯等を確認したところ、この通達に示されている場合について、厳格な限定列挙として積極的に解する理由は乏しく、むしろ例示列挙として解するべきと考えられる。また、この通達に示されている場合の特徴を精査した結果、この通達は、法律上、債権が消滅したことの前提として、債権者の恣意性ないし利益操作性が排除されている手続を経ているか、又は、債権の全部若しくは一部が経済的に無価値となっているかという事実認定を必要としている取扱いであると整理することができる。そして、この事実認定については、法人税法37条の寄附金課税の事実認定に通じる部分があり、この意味において、この通達は、法律上、債権が消滅した場合について、寄附金と認定されない限り、貸倒れとして損金の額に算入されることを示しているものといえる。
ハ 時効により消滅した債権に係る寄附金該当性の検討
時効の援用は、債務者の意思表示によりその効果が生じ、債権者の自由な意思が介在するものではないため、時効の援用による債権の消滅については、基本的には債権者から債務者への「贈与」又は「無償の供与」があったとは認められず、寄附金に該当しないと考えられる。しかし、時効の援用の前提である時効の完成については、債権者が意図的に成立させることができる点に留意する必要がある。また、債権者が贈与する意思を有していない場合であっても、経済的な効果から贈与があったと認められる場合もある。
そのため、時効の援用により債権が消滅した場合については、基本的には、寄附金に該当しないと考えられるものの、必ずしも一様に決するわけではなく、一定の事実認定が必要となる。
なお、時効により債権が消滅した場合の寄附金該当性については、債権回収のための適切な努力をしなかったため寄附金となる可能性が高いとする見解や、時効が完成したことに対して債権者に帰責性があるため無税償却は認められないとする見解がある。回収努力や帰責性については、寄附金の事実認定における一つの間接事実となり得ることは否定しないが、真実として時効期間を失念していた場合についてまで贈与があったと認定される可能性は低く、また、債権の額等に応じて選択された電話による督促等の回収方法が、事業上、合理的である場合には、それにより時効が完成したからといって、必ずしも債権者に帰責性が認められるわけではないことに留意する必要がある。
(2)短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3
イ 短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3の比較
短期消滅時効制度と法基通9−6−3の対象債権や存在理由等について比較を行った。その結果をまとめると次表のとおりとなるが、この比較からは関連性は見いだせなかった。
法人税基本通達9−6−3(1) | 民法173条、174条 | 判定 | |
---|---|---|---|
対象債権 | 売掛債権 (貸付金等を除く) |
職業別の債権 | × |
起算点 | 取引停止時 | 権利行使することができる時(民法166条) | × |
期間 | 1年以上 | 1年、2年 | △ |
効果 | 損金処理が認められる | 時効が完成する (援用で消滅) |
× |
継続取引 | 継続取引のみ | 単発取引も含む | × |
債権保全 | 履行が遅滞しても直ちに債権確保の手続をとるのは事実上困難 | 単発取引の場合等、担保を取る場合もあり得る | × |
発生頻度 | 大量回帰的 | 日常頻繁に生ずる | △ |
金額 | 特になし((2)は少額) | 少額 | × |
領収証 | 特になし | 不交付・不保存 | × |
※ 「判定」欄の「×」は不一致、「△」は一部一致を示している。
ロ 法人税基本通達9−6−3の発遣・改正経緯からの検討
法基通9−6−3に相当する取扱いである法基通78の4は、昭和39年に発遣された際、債務者との取引の停止後2年以上を経過した場合に貸倒れとして損金処理が認められるものであり、この「2年」という期間が短期消滅時効制度と関連する部分と説明されていた。そして、具体的な関連については、当時の課税庁の説明を踏まえると、この通達の対象となる債権が売掛金等であるところ、必ずしも明確な対応関係が念頭にあったわけではないものの、民法173条1号に規定されている商品売買代金に係る債権を想定した上で、商品売買代金に係る債権における2年の時効期間を参考としたものと解するのが妥当であるという結論を得た。
しかし、昭和42年、この通達は、短期消滅時効制度が改正されていないにもかかわらず、当時の貸倒れの状況を考慮し、その期間が「2年」から「1年」に改正されており、その後において1年の時効期間を規定する民法174条を考慮したと説明されているものの、この改正により対象債権の類似性は希薄化し、この通達と短期消滅時効制度の関連は、この通達の取引停止要件における期間について、短期消滅時効制度に規定されている期間を参考としたという程度となったと解される。
なお、昭和39年当時、この通達の発遣理由は、債務者との取引を停止して一定期間弁済がなくても、債務者が事業を継続しているような場合には、なお弁済能力があるものとして貸倒れの経理が認められないことが、貸倒れの実情にそぐわない面があったこと及び未収差益勘定制度の廃止に代わる救済措置を講ずる必要があったことと説明されている。
(1)消滅時効制度と貸倒損失の関係は、消滅時効制度における債権の発生から消滅までの一連において、ある債権が発生し、時効が完成した後、時効が援用された時、寄附金等に該当しない限り、貸倒れとして損金の額に算入されるという関係となる。
(2)短期消滅時効制度と法基通9−6−3の関連は、この通達の取引停止要件における期間について、短期消滅時効制度に規定されている期間を参考としたという程度であり、時効の完成など、消滅時効制度における法的効果と関連を有するものではない。そのため、短期消滅時効制度が廃止されたことにより、法基通9−6−3は影響を受けるものではないと考えられる。
(3)短期消滅時効制度が廃止されたことにより、3年、2年又は1年の短期消滅時効が適用されていた債権は、5年の一般消滅時効が適用されるため時効の完成が遅くなり、それに伴い、時効が援用される時期も遅くなる。そのため、消滅時効により貸倒損失となる時期も遅くなり、法律上、債権が消滅していない場合の貸倒れの取扱いである法基通9−6−3が適用される期間は延び、その適用場面の増加が見込まれる。
また、現実問題としては、時効期間が延びたからといって債権の回収可能性は必ずしも高くなるものではないことからすると、短期消滅時効制度の廃止により、法人の帳簿上、回収可能性の低い債権が滞留する傾向が強くなることが想定される。
そうすると、回収不能の事実認定が困難である課税実務において重要な取扱いである法基通9−6−3は、短期消滅時効制度の廃止により、その重要性が増加するといえる。
(4)以上のことから、法基通9−6−3は、短期消滅時効制度の廃止にかかわらず、改正すべきではないと結論づけられる。
項目 | ページ |
---|---|
はじめに | 120 |
第1章 民法改正について | 122 |
第1節 民法改正の概要 | 122 |
1 民法改正の経緯・必要性 | 122 |
2 民法改正の対象範囲・主な改正内容 | 123 |
第2節 短期消滅時効制度と売掛債権に係る貸倒損失 | 124 |
1 短期消滅時効制度と売掛債権に係る貸倒損失の関連 | 124 |
2 売掛債権に係る貸倒損失の取扱いの存在意義 | 125 |
第2章 「消滅時効制度と貸倒損失 | 127 |
第1節 消滅時効制度と貸倒損失の関係 | 127 |
1 消滅時効制度の改正による貸倒損失への影響についての指摘 | 127 |
2 消滅時効制度に関する貸倒損失についての見解 | 128 |
第2節 消滅時効制度及び改正の概要 | 130 |
1 消滅時効制度の概要 | 130 |
2 消滅時効制度に関する改正の概要 | 132 |
第3節 法人税法における貸倒損失の取扱い | 132 |
1 法人税法における貸倒損失 | 132 |
2 法人税基本通達における貸倒損失 | 133 |
3 消滅時効が援用された場合の法人税法上の取扱い | 134 |
第4節 法人税基本通達9−6−1についての検討 | 135 |
1 法人税基本通達9−6−1は限定列挙か例示列挙か | 135 |
2 法人税基本通達9−6−1における事実認定 | 141 |
3 法人税基本通達9−6−1における事実認定に対する法人税法からの捉え方 | 145 |
第5節 時効により消滅した債権に係る寄附金該当性の検討 | 147 |
1 時効により消滅した債権の寄附金該当性 | 147 |
2 時効により消滅した債権が寄附金に該当するかの具体的な事実認定 | 149 |
第6節 短期消滅時効制度の廃止による時効消滅に係る貸倒損失への影響 | 151 |
第3章 短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3 | 153 |
第1節 短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3の関連 | 153 |
1 短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3の関連についての指摘 | 153 |
2 短期消滅時効制度と法人税基本通達9−6−3の関連についての 検討方法 | 155 |
第2節 短期消滅時効制度の概要 | 156 |
1 短期消滅時効制度の対象債権 | 156 |
2 時効制度、消滅時効制度及び短期消滅時効制度の存在理由 | 157 |
3 短期消滅時効制度の立法経緯 | 159 |
4 短期消滅時効制度が廃止された経緯 | 161 |
第3節 法人税基本通達9−6−3の概要及び民法173条、174条との比較 | 162 |
1 法人税基本通達9−6−3の概要 | 162 |
2 法人税基本通達9−6−3(1)と民法173条、174条の比較 | 163 |
第4節 法人税基本通達9−6−3の発遣・改正経緯からの検討 | 167 |
1 法人税基本通達9−6−3の発遣・改正経緯と短期消滅時効制度の関連 | 167 |
2 法人税基本通達9−6−3の取扱いが発遣される前の関連通達 | 168 |
3 法人税基本通達9−6−3の取扱いが発遣された時の説明等 からの検討 | 172 |
4 法人税基本通達9−6−3の取扱いが改正された時の説明等 からの検討 | 177 |
第5節 短期消滅時効制度の廃止による法人税基本通達9−6−3への影響 | 183 |
結びに代えて | 186 |